戸田先生の講義 (下)

 前のブログで紹介しました、戸田先生の新年勤行会の講義の続きです。

 戸田の話は、難解といえば難解であった。参加者の多くは、戸田が何を言わんとしたのか理解しかねていた。
 彼は、日蓮大聖人は本因妙の仏であることを説くとともに、この娑婆世界にあって、折伏行に励む同士こそ大聖人の末弟として菩薩の道を行ずる人であることを、教えておきたかったのである。

 同士の多くは、病苦や経済苦など幾多の苦悩を背負いながら、日々、広布に悪戦苦闘していた。しかし、戸田はそこに尊い仏子の輝きを見ていたのだ。妙法広布に生きるわれわれの菩薩道の実践は、そのまま娑婆世界を仏国土に転ずる仏の行となる。そして、それを行ずる同志は、一人ももれなく地湧の菩薩であり、その内証は仏にほかならない。―― それこそが、七十五万世帯の折伏を成就した戸田城聖の不動なる大確信であった。彼は、諸仏を仰ぎ見る思いで、居並ぶ弟子たちに視線を注いだ。 (人間革命第12巻・後継の章)

 “彼は、諸仏を仰ぎ見る思いで、居並ぶ弟子たちに視線を注いだ” と述べられています。昭和33年当時、この法華経の心が解かっている方は、戸田・池田両先生は別格として、学会内では余り居なかったのではないかと思われます。

 それは、折伏・拡大の真っ最中の学会草創期にあたり、広布の流れも激流の時でした。今から考えると非常識なところも少なからずありました。地方の男子部の幹部の中には、すぐ “バカもん”・“バカたれ” 等と言うものもおりまして、ずい分 “はっぱ” をかけられたものです。

 これらの傾向性は、昭和45年の言論出版問題の時まで続いたと記憶しています。先生は前々から、社会性を持して、常識ある行動をとのご指導をされていましたが、内からはなかなか変革できず、外部から言論問題として指摘された学会は、より開かれたものとして 「変毒為薬」 することが出来ました。

 法華経には、一切衆生に仏性ありとして、お互いに尊敬し会うべきことを教えています。また、日蓮大聖人は、より深く徹底して次のように述べられています。

 『御義口伝』 に、「最上第一の相伝あり、釈尊八箇年の法華経を八字に留めて末代の衆生に譲(ゆず)り給うなり、八字とは当起遠迎当如敬仏の文なり、…… 当起遠迎とは必ず仏の如くに法華経の行者を敬う可しと云う経文なり、…… 但此の八字を以て法華一部の要路とせり」(781P) と仰せです。

 「当起遠迎当如敬仏」 の八字は、別しては、末法の法華経の行者・日蓮大聖人を、御本仏と仰いで尊敬すべきであるとの意であります。その上にたって、この文を以て法華経総体の肝要であり、「最上第一の相伝」 すなわち、法華経の中で一番大事なことであると云われているのです。

 「不軽(ふきよう)菩薩の人を敬いしは・いかなる事ぞ教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ、穴賢・穴賢、賢きを人と云いはかなきを畜といふ」(1174P) と仰せです。

 成仏と云い、南無妙法蓮華経と云っても、具体的には 「人の振る舞い」 の上に現れるものであると云うことです。ゆえに、仏法の目的は、その 「人の振る舞い」 を説くことにあります。それは不軽菩薩が、一切衆生を礼拝したように、「人を敬う行動」 に尽きる訳です。

 と言うことは、人を敬うということを、自身の日常生活の行動規範としていかなければならない。しかるに、現実の自分自身はどうなのかと思うとき、まさに汗顔の至りである。信心とは、一面から言えば、自身の内なる傲慢な生命との戦いであると思います。

 戸田先生のように、一切衆生を 「仏」 と敬うことのできる人を 「仏」 というのである。ゆえに、御本尊を受持し、広宣流布に邁進する創価学会員の皆様を 、「当に仏を敬うが如く」 お互いに、尊敬し会わなければならないのであります。