戸田先生の獄中のエピソード
戸田城聖先生の入信は、師である牧口先生のおっしゃることに、素直に随われた故であります。後に、創価教育学会が弾圧された時も、牧口先生に随って共に入獄いたしました。不退の信心で師弟不二の道を貫き通し、あの 「獄中の悟達」 の功徳を得ることが出来ました。
戸田先生は、牧口先生の三回忌法要の席上、「あなたの慈悲の広大無辺は、私を牢獄まで連れていってくださいました。そのおかげで 『在在諸仏土・常与師倶生』 と、妙法蓮華経の一句を、身をもって読み、その功徳で,地涌の菩薩の本事を知り、法華経の意味を、かすかながら身読することができました。なんたる幸せでございましょうか」 と、感謝のことばを申し上げております。
そこで、戸田先生の獄中でのエピソードを、一つご紹介しょうと思います。
戸田先生が、自宅にて逮捕されたのは、昭和18年7月6日の朝方であった。同じ日に牧口先生も、伊豆の下田にて逮捕されました。その後・同年11月の中旬頃、牧口先生の後を追うようにして、東京拘置所へ入られました。
拘置所内での唯一の楽しみは読書であった。拘置所では、一定の日に、図書館にある本の借入れを申込んで配達してもらうことになっていた。そこで面白そうな小説を選んで申込んだのに、配達されてきたのは、『日蓮宗聖典』 であった。日蓮宗といえば身延であるし、小説の面白さに引きずられて、何もかも忘れようとしているのだから、それを読む気は全然なく、机の片隅に飾ってしまいました。
明日は大晦日、三十日の午後、仲の良い雑役夫が扉を開けて、正月に読む本を決めろといって目録を渡した。
そこで巌さん(戸田先生)は小説の部を見て面白そうなのを選び、日蓮宗聖典を返した。
「この前みたいに間違えたら承知しないぜ。こんな堅いものは頭が痛くなる。不自由な監獄生活でわざわざ頭を痛くするのは、おれは嫌なんだ。いいかい。間違えるなよ」
その雑役夫は文字とか本などに縁のない男、持っている箱の中へ、日蓮宗聖典を放り込んで帰って行った。
………
明けて三十一日の夕方、巌さんが独房の机に向かって腕を組み、…… 感慨に耽っていると、扉が開いた。
「おい! 正月に読む本だ!」
雑役夫の声がして、扉が閉まり、監獄にも歳末がきているらしく、なにか、あわてているような足音が遠くなって行った。
………
(そうだ、正月に読む本 ……)
彼は扉のところへ行って、落ちていた本を取上げた瞬間、胸を衝(つ)かれた形になって、眼鏡の底の眼を瞠(みは)り、本を手にして、そこに坐って凝然(ぎょうぜん)となった。
昨日、強く念を押して、雑役夫に返した日蓮宗聖典が投込まれていたのだった。
(正月の読み物に、この聖典を読めというのか ……)
文字にも書物にも、なんの関心もない雑役夫が、作意で投込むはずがない …… とすれば、この間違いは、なにを暗示しているのか ……。
(御遺文を読むのか …… それとも、法華経を読むのか ……)
独房の中の夕闇が濃くなって、電燈がともった。
(宗学の研究をせよという暗示であろうか ……)
巌さんは薄暗い電燈の明かりで、日蓮宗聖典を開いて見た。
そこには法華経の序品があったが、返り点もなければ仮名もふってない白文であった。
巌さんは開いたところへ眼を落とし、刻まれた像のよう、一時間ばかりは身動きもしないで凝然となっていたが、突然、
「よし! 読もう! 読切って見せる! 法華経を読むんだ!」
大きな声で叫んで立上がり、押しいただいて机の上に置いた。 (戸田先生の文庫人間革命下・232P)
昭和19年の元旦を期して、法華経を読みきることと、題目を一日・一万遍以上あげることに挑戦しました。その結果、11月の学会創立の日と同じ頃、荘厳なる虚空会の儀式に参列しているという、不思議なる仏の境地を感得することが出来ました。
大聖人は 「南無妙法蓮華経と唱え奉る者の住処は山谷曠野皆寂光土なり此れを道場と云うなり」(781P) と仰せです。人の忌み嫌う獄舎にあっても、南無妙法蓮華経と唱え奉れば、その住処は寂光土となり、仏身を成ずることが出来るのである。この御金言を、戸田先生は自らの身をもって、我われにご教示くださったのであります。
法華経を読むきっかけになったのは、返却した聖典が不思議にも、また舞いもどってきたことである。これには何か、御本仏日蓮大聖人の御意志が働いているようで、戸田先生に日蓮仏法の再生を託されたとしか思えてなりません。
この一事を以ってしても、創価学会は仏意仏勅の広宣流布の団体なのである。このことを “11・18 創価学会の創立の日” に、あらためて確認する次第である。