〈いのちのさん 心にきざむ一節〉 テーマ:おうばいとうかがやき2024年6月9日

 かく「いのちのさん 心にきざむ一節」では、せいくんむねに、宿しゅくめいに立ち向かってきた創価学会員の体験をしょうかいするとともに、池田先生の指導をけいさいする。今回は「おうばいとうかがやき」がテーマ。大阪府さかいの女性部員に話を聞いた。

御文

 かならさんしょうもうさわできたれば、けんじゃはよろこびしゃ退しりぞく、これなり。(ひょうえのさかん殿どのへん、新1488・全1091)

通解

 必ず三障四魔というしょうがいが現れるので、賢者は喜び、愚者は退くというのはこのことである。

“体験の引き出し”が増えた

息子の特性と向き合う日々

 「息子の成長が、他の子とくらべてちょっとちがうと感じて」。田中ゆたかさん(63)=総区女性部長=は、長男・勇気さん(36)=男子部員=がようえんに通い始めたころを、そうかえる。
       ◇
 職場のどうりょうで学会員の夫・良幸さん(69)=地区幹事(常勝長〈ブロック長〉けんにん)=と、25歳の時にけっこん。2年後、勇気さんを授かった。
 幼稚園に上がった頃からだろうか、子育てのなやみが一気に。
 他の子と同じように行動できない。まどうと固まってしまう。かんはあったが、「私の育て方が悪いんかな、と」。
 それまでのけんしんで問題はなかったため、勇気さんは小学校のつう学級へ。ところが、友達とうまくなじめず、クラスでりつしてしまう。学年が上がるにつれ、授業に付いていくのがむずかしくなり、勉強は毎日、田中さんが家で教えた。
 決まったルーティンがくずれるとパニックを起こし、友達をたたいてしまうことも。田中さんは学校からばれるたび、頭を下げて回った。
 “もし勇気が、このまま大きくなっていったら”。不意によぎるしょうらいへの不安。田中さんの心はしつぶされそうだった。
 小学校の卒業時、学校側と話し合い、中学校はえん学級を選んだ。その折、改めてせんもんのもとへ。そこで勇気さんは「軽度な知的しょうがいをともなこうはんせい発達障がい」とのしんだんを受けた。
 「育て方が原因ではないと分かり、ほっとした部分はある。けれど、すんなり受け止めきれへんかったのも事実です。“勇気だって努力したら、皆と同じようにできるはずや”と」
 勇気さん自身も、小学校時代の同級生たちと比べては、「なぜ僕だけ支援学級なんや!」と、感情をばくはつさせた。それは、田中さんのきょうちゅううずのうでもあった。
 “息子と、どう向き合えば”――。祈っても祈っても、心が晴れない。すがる思いで池田先生のしょせきを読んでいた時、ページをめくる手が止まった。
 「子どもを育てていく過程では、思いもよらない、こんなんな出来事に出合うものです」
 「お母さん、あなたが負けないことが、子どもの人生の勝利につながります」
 師の言葉が心のきんせんれる。田中さんは、「むねかれたんです。“私自身が、もっともっと、強い母親にならなあかん”って」。
 負けない自分に変わりたい。い続けてくれた同志と、前を向き、学会活動にけた。
 広布に走りに走り、唱題を重ねていたある日。田中さんの中で、とつぜん、何かがはじけた気がした。
 「“何も悩む必要なんてない。ありのままでいいんや!”と、いっぺんに目の前が明るくなって。息子は今、けんめいに生きている。“それだけですごいことなんや!”って。ずっと心をおおっていた雲がびました」
 かつてはいした「けんじゃはよろこびしゃ退しりぞく」(新1488・全1091)とのせいくんが、せんれつむねかぶ。「どんな現実をも喜べるきょうがいを開いて、笑顔で前へ進んでいこう」。そう決めると、目にうつる景色にいろどりが増した。
 勇気さんとの向き合い方も変わった。
 「息子を信じて、息子が本当にやりたいことを、やれるように全力でおうえんしようと」。教員のサポートもあり、中学校3年間で、勇気さんはできることを増やし、得意なことを見つけて自信もつけ、大きく成長した。
 その後、特別支援学校の高等部へ進学。当初は、勇気さんが新しいかんきょうれず、悩んだこともあった。しかし、勇気さんの特性を理解してくれる教員と出会い、いきいきと学校生活を送れるように。しゅうしょくかつどう時には、学校側の全面的な支援で、勇気さんは願った通りの仕事を見つけることができた。
 「どんな人にも無限の可能性がある。そのことを、勇気が教えてくれました。勇気がいてくれたからこそ、この信心で一番大事なことをつかむことができたんです」

 勇気さんは中学校時代、いじめにった。
 それ以来、勇気さんがどうとなって、母子で毎朝、勤行・唱題をしてから登校するように。すると、次第に周囲が変化して、勇気さんの特性を理解する人が増え、じょうきょうが好転した。
 「息子が笑顔で登校できるようになった日には、げるものがありました」
 そんな勇気さんが以前、「僕のことで、お母さんが悲しむのはいやなんだ」と、こぼしたことがある。だから心配させたくなくて、田中さんはどんな時も笑顔をやさず進んできた。
 池田先生は語っている。
 「人生のじょうには、さまざまななんがある。行きまりもある。そのときにこそ、信心の心を強め、唱題にはげんでいただきたい。
 宿しゅくめいの山を登りきると、それまではつらくとも、次はかいがパーッとひらけていくものである。
 信心は、そのかえしのようなものである。その究極として、永遠にくずれない絶対的幸福きょうがいにつながっていく」(池田大作先生の指導選集〈上〉『幸福への指針』)
 15年前、田中さんの母親がやまいたきりとなり、みとるまでの約半年間、ざいたくかいを。昼夜問わず24時間、母親のベッドの横に付き、世話をする日々。同志の励ましを支えに、全てを信心で受け止め、った。
 やがて、中学校で勇気さんと共に過ごした子の母親が、田中さんのほがらかな姿すがたを見て、「私も、あなたのように生きたい」と御本尊を受持。特別支援学校時代の同級生の母親は、「大変なはずやのに、田中さんは楽しそうにやってはったなと思って」と、後に学会に入会したことを打ち明けてくれた。
 「自分がなやんだ分だけ、人を励ます“体験の引き出し”が増えました」と田中さん。だからこそ、「何があろうと負けずに信心をつらぬいて、“どんだけ引き出しあるねん!”と思われるような人生を、強く歩んでいきたいです」。

[教学コンパス]

 “自信の低さでなやむのは、むしろじょうな自信がもてはやされているから”――現代を「あい過剰の社会」と評する、ロンドン大学教授のトマス・チャモロ=プリミュージク氏。自らを過大評価し、根拠のない自信におぼれていては、てきどくな人生におちいりかねない。人生をじゅうじつさせる“健全な自信”は、欠点もふくめて自らをけんきょに見つめ、成長しようと努力することで手に入る。ゆえに「自信のなさ」は、真の成長への武器になるという(『「自信がない」という価値』河出書房新社)。
 自分自身を正しく見つめて、律すること。それが、自らをより良い方向へみがき高めるための出発点になる。御書には「心のとはなるとも、心を師とせざれ」(新1481・全1088)と。自らの弱い心を正しく律する、「師」とすべきはんをどこに求めるか。その根本が信心であり、広布のしょうである。きょうちゅうの師と共に、永遠に妙法流布に生きく。そう一念を定める人に行きまりはない。広布の使命を自覚する時、人は無限に成長していけるのだ。(優)