戸田先生の悟り (12)(広宣流布と師弟不二)

 特筆すべきことは、「戸田先生の悟り」 によって、滅亡の危機に瀕していた日蓮仏法が救われたということである。 
 仏法の滅亡は、外部からの弾圧の力だけではなく、実質的には内部の腐敗堕落から起きるのである。 それも末端の僧ではなく、上層部の法主からして腐っていたのである。

 戦時中、日蓮正宗は軍部の弾圧を恐れて、日蓮大聖人が 「末法の御本仏」 であるという御書の文証を悉く削除し、勤行要典の御観念文を、神道風に改ざんしたのである。 そのうえ、総本山の諸堂にまで 「神札」 を祀り、大謗法を犯すという始末である。
 昭和18年6月、学会の幹部は登山を命じられ、一応 「神札」 を受けるように、会員に命ずるようにしてはどうかと、日恭法主立ち会いのもと一僧侶から申しわたされた。
 牧口会長は、“神札は絶対に受けません” と強く申し上げて、下山の途中、戸田先生に “わたしが嘆くのは、一宗が滅びることではない。 一国が眼前でみすみす亡び去ることだ。 宗祖大聖人の悲しみを、私はひたすら恐れるのだ。 いまこそ、国家諫暁の時ではないか。 いったい、なにを恐れているのだろう” と述懐なされています。

 このような状態であり、宗門は立正安国の精神も、難を受ける覚悟もなく、日蓮大聖人の御精神を忘却してしまい、邪法邪義に染まってしまった。 その結果、昭和20年6月、大坊・客殿等を焼失し、このとき日恭法主は焼死するという仏罰を被ったのである。
 このことは、もう既に日蓮正宗には、日蓮大聖人の正法正義や信心の血脈は、実質的に消滅してしまい切れて無くなった、という証左なのである。 それでも形の上では、66世日達上人まで続きましたが、上人が誰にも相承せず遷化なされましたので、この時点で名実ともに、宗門側の法脈は完全に切れたと思っています。

 一方、大難の中、まさに日蓮仏法の滅せんとした時、命を懸けて立ち上がったのが、牧口・戸田両先生であります。 身は囚われの身であっても、国権の検察と対峙し、立正安国の正義をもって、国家諫暁を実践いたしました。
 牧口先生は、老齢の身で獄中にて名誉の殉教をなされました。 戸田先生は、苛酷なる獄中を生き抜き、大聖人の大慈悲を賜わり、あの 「獄中の悟達」 を得ることができました。
 このことは、日蓮大聖人の御精神・御意志・法脈はどこにあるのかと言えば、それは 「戸田先生の悟り」 を通して 「創価学会」 のみにある、という証左なのであります。

 戸田先生は、「地涌の菩薩の本義は、広宣流布にある」 と、戦後の焼け野原に一人立ち上がりました。昭和26年5月3日、第二代会長推戴式の席上、「私は広宣流布のために、この身をすてます! 私が生きている間に、七十五万世帯の折伏は私の手でいたします」 と、生涯の誓願を宣言いたしました。
 
 日淳上人は、戸田先生の偉業を称えて言われました。
 「この七十五万は南無妙法蓮華経の五字七字であると、私は常に察しておったのでございます ……。
 御承知の通り、法華経の霊鷲山において、上行を上首として四大士があとに続き、そのあとに六万恒河沙の大士の方々が霊鷲山に集まって、必ず末法に妙法蓮華経を弘通いたしますという誓いをされたのでございます。 …… その方々を会長先生が末法に先達になって呼び出されたのが創価学会であろうと思います。 即ち、妙法蓮華経の五字七字を七十五万として地上へ呼び出したのが会長先生だと思います。……
 …… 皆様方が相応じて心を一つにし、明日への誓いを新たにされましたことは、全く霊山一会儼然未散と申すべきであると、思うのであります。 これを言葉を変えますれば真の霊山浄土、仏の一大集まりであると、私は深く敬意を表する次第であります」 (文庫人間革命第12巻・419P)
 以上のように、戸田先生と創価学会を “仏の一大集団” であると称え敬意を表されました。

 戸田先生は、七十五万世帯の誓願を見事に成就なされ、昭和33年4月2日、霊山へと旅立たれました。 会長在任の期間は僅か七年間でしたが、その間の仏法上の業績は計り知れないものがあります。
 特に、滅亡の瀬戸際にあった日蓮仏法を蘇えらせ、今や全世界に発展する 「創価学会の原点」 は、実に戸田城聖先生の 「獄中の悟達」 にあるのであります。 
 
 題名の 「戸田先生の悟り」 は、私には荷が重すぎる課題であります。 お役に立てたかどうか分かりませんが、日蓮仏法と歴代会長と創価学会について、少しでもご理解いただければ幸いに存じます。

 “まとめ” として、池田先生の戸田城聖先生について 『人間革命』 に記載されている御文を紹介させて頂きます。
 創価学会の原点は、初代会長牧口常三郎の殉教と、その弟子である戸田の獄中の悟達にこそある。
 牧口は、総本山が戦時中の軍部政府の弾圧を恐れて、謗法厳誡の御遺誡をも破って、神札をまつるにいたった時、正法正義を守り抜かんと、決然と立ち上がった。 そして、御本仏日蓮大聖人の仰せのままに、国家の諫暁を叫び、戦い、捕らえられ、獄中に逝(ゆ)いた。 まさに、牧口は法華経を身で読み、如来の行を行じたのである。
 この殉教こそ、死身弘法の証であり、日蓮大聖人の御精神の継承にほかならない。 五濁の闇夜に滅せんとした正法の命脈はここに保たれ、学会は大聖人に直結し、信心の血脈を受け継いだのである。

 その牧口を師と定め、随順した戸田は、ともに牢獄につながれた。 彼の胸には、凡愚の身にして法に命を賭し、法華経の一句を身で読める歓喜が脈打っていた。 戸田はこの獄中で、唱題の末に、「仏」 とは 「生命」 であることを悟った。この時、難解な仏法の法理は、万人に人間革命の方途を開く生命の哲理として、現代に蘇ったのである。

 さらに、彼は、唱題のなかで不可思議な境地を会得していく。 大聖人が地涌千界の上首として口決相承を受けられた、法華経の虚空会の会座に連なり、金色燦然たる大御本尊に向かって合掌している自分を感得したのであった。 戸田は、込み上げる歓喜と法悦のなかで、自分は師匠牧口常三郎とともに、日蓮大聖人の末弟として、末法弘通の付嘱を受けた、地涌の菩薩であることを覚知した。 地涌の菩薩の本義は、広宣流布にある。 彼は、この時、この世で生を受けた自らの久遠の使命を、深く自覚することができた。
 「これでおれの一生は決まった。きょうの日を忘れまい。この尊い大法を流布して、おれは生涯を終わるのだ 
 これこそが、戸田の獄中の悟達の結論であり、彼の大業の原動力であった。

 さらに、この時、「御義口伝」 の 「霊山一会儼然未散(霊山の一会は儼然として未だ散らず)」 の御文を、生命の実感として拝することができた。彼は、師に随順するとによって、大難にあい、獄中にあって悟達を得たことを思うと、不思議な感慨を覚えた。
 そして、牧口との師弟の絆もまた、「法華経」 の化城喩品の 「在在諸仏土 常与師倶生(在在諸の仏土に 常に師と俱に生ぜん)」 の文のままに、久遠の昔より、永遠であることを感得したのである。
 しかし、ちょうどその頃、師の牧口は、秋霜の獄舎で息を引き取ったのであった。

 戸田は、恩師の三回忌法要で、牧口の遺影に向かい、感涙のなか、嗚咽(おえつ)をこらえながら語っている。
 「あなたの慈悲の広大無辺は、私を牢獄まで連れていってくださいました。そのおかげで 『在在諸仏土 常与師倶生』 と、妙法蓮華経の一句を、身をもって読み、その功徳で、地涌の菩薩の本事を知り、法華経の意味を、かすかながら身読することができました。 なんたる幸せでございましょうか」

 師の牧口は獄中に散り、死身弘法の大精神をとどめた。 その精神を受け継いだ弟子の戸田は生きて獄門を出て、広宣流布に一人立った。この生死を貫く師弟の不二の共戦のなかに、創価の精神はある。 牧口と戸田とを不二ならしめたもの ―― それは、根源の師・日蓮大聖人の御遺命である広宣流布に殉じゆく強き信心の一念であった。

 山本伸一は、戸田という師なくしては、広宣流布もなければ、民衆の幸福も、世界の平和の実現もありえないことを、命に感じていた。 事実、日蓮大聖人の精神は、ただ一人、牧口の弟子戸田城聖に受け継がれ、広宣流布の未来図は、彼の一念のなかに収められていた。

 仏といっても、決して架空の存在ではない。 衆生を離れては、仏はありえない。 法を弘める人こそが仏使であり、その人を守るなかにこそ、仏法の厳護はある。
 それゆえに伸一は、戸田の手駒となり、徹して師を守り抜いてきた。 その億劫の辛労を尽くしての精進のなかで、彼は、自らの使命と力とを開花させていった。 そして、戸田の精神を体得し、師の境地に迫っていったのである。

 戸田城聖は、無名の庶民に地涌の使命を自覚せしめ、七十五万世帯の達成をもって、六万恒河沙の地涌の菩薩の出現を現実のものとしゆく原理を示した。 それは、法華経の予言の実現であり、日蓮大聖人の御精神の継承の証明といってよい。 山本伸一が、今、その師のあとを受け、創価学会の会長としてなすべき戦いもまた、この地涌の義を世界に実現することにあった。

 一人ひとりの胸中にうちたてられた地涌の使命の自覚 ―― それは自身の存在にもっとも深く根源的な意味を与え、価値を創造し、悲哀の宿命をも光輝満つ使命へと転じ、わが生命を変えゆく人間革命の回転軸にほかならない。
 そして、その使命を果たしゆく時、一人の人間における偉大な人間革命がなされ、やがて、一国の宿命の転換をも可能にするのである。 (文庫人間革命第12巻・447~451P)

 あらためて、歴代会長への報恩感謝の意を表したいと思います。
 創価学会初代会長・牧口常三郎先生、二代会長・戸田城聖先生、三代会長・池田大作先生を広宣流布の永遠の師匠と仰ぎ、その死身弘法の御徳に報恩感謝申し上げます。