〈世界の体験〉パナマ大学・西パナマキャンパスの副学長 2024年6月7日

パナマSGI マルコス・ボタシオさん

 時は50年前の1974年。
 歴史的な池田先生のパナマはつほうもんに、マルコス・ボタシオさん一家の中で立ち会ったのが、母と姉だった。

 まだSGIメンバーではなかった2人は、知人に招かれてSGIの集いに参加したのだ。この日の先生との出会いをきっかけに、よく75年、母とボタシオさんきょうだいは、そろってSGIに入会した。

 一家は当時、大きな試練におそわれていた。母は重度のぜんそくととう尿にょうびょうわずらっており、その病状は日々悪化していた。

 「お母さんは絶対に元気になります」「題目を送っています」とのSGIの同志のはげましの言葉は、一家にとって希望となった。

 そんなある日、母がきんきゅう入院を。医師からの悲観的な説明に、家族はかくせまられた。

 「この時、10歳だった私も御本尊の前にすわり、家族と共にひたすらいのりました」

 数日後、母はせき的にせいかんし、一家は祈りのちからを実感した。母はじょじょに回復し、無事、退院。日に日に元気になっていく母の姿すがたを見て、ボタシオさんたちは、感謝の題目をあげ続けた。

 母と姉が周囲の人にこの体験を語ると、しんせきりんじんたちも次々とSGIに入会し、きょうの波は大きく広がった。

 「その後、入会した父も、母と共にリーダーとして学会活動にほんそう。一つのグループだった組織が地区へ、そして地区から二つの支部へと発展していきました」

家族や親戚、3世代で広布の道を歩む(前列左端がボタシオさん)

家族や親戚、3世代で広布の道を歩む(前列左端がボタシオさん)

師とのちかい胸に

 きょうだい6人の大家族だった。“勉強はに”と両親にきびしく育てられた。しかしボタシオさんは、おさない頃から病弱で、学校を休むことが多かった。

 医師から「のうすいたいふくろじょうのものができている」とげられた。成長する過程で消えるはずののうほうが、大きくなり、神経をあっぱくし、つうりょくの悪化をもたらしていると診断された。さらに医師は「学校に行けるのは高校まででしょう」と両親に伝えた。

 それでも少年のボタシオさんはあついメガネをかけ、けんめいに学校にかよった。

 成績がるわず、留年を経験しても、高校の卒業は絶対に果たしたかった。

 転機は81年。池田先生が再びパナマをおとずれた時、創価班の一員として任務に就いたボタシオさんは17歳。初めて師との出会いをきざんだ。

 「先生は、私たち一人一人に温かなまなしをそそぎ、『いつもありがとう』と言葉をかけてくださいました」

 この時、“どんなこんなんにあっても自分を信じて、ちょうせんの青春を”と誓った。そして大学進学を決意した。

 その夢は、21歳の時に実現。念願の国立パナマ大学に入学し、ジャーナリズムを専攻した。

 「幸い、持病になやまされることなく、勉学に専念することができ、大学を卒業しました。社会に出てからは新聞記者として働いた後、公共機関の広報部門で管理職としてのキャリアを積み上げることができました」

 91年、ボタシオさんは、日本でのSGI青年研修会に参加し、池田先生との再会を果たす。

 当時、パナマでは第2次しゅうもん事件によって退転する幹部も出た。先生は来日していたパナマ青年部のリーダーに直接、励ましを送った。

 「先生から『みながパナマ最前線の第一人者に』とのだいげきれいをいただきました。私たちは涙をこらえながら“パナマの同志を守り抜きます”と先生に誓いました」

 宗門からの圧迫が続く中、パナマ青年部は立ち上がった。ボタシオさんもいっけん一軒、同志の元へ足をはこび、先生の大激励の言葉を友に伝えていった。

教授のマルコス・ボタシオさん(中央)が学生たちと語り合う(パナマ大学・西パナマキャンパスで)

教授のマルコス・ボタシオさん(中央)が学生たちと語り合う(パナマ大学・西パナマキャンパスで)

だれもが何かの天才

 やがてボタシオさんはやまいこくふくし、二つの学士号に加え五つの修士号を取得。そしてSGIの友にすすめられる中で、教育の道にきょうをもち、大学教員へのてんしんを決心する。

 2000年、母校の国立パナマ大学が池田先生に名誉博士号をじゅ。そのよくねんに、採用試験に合格し、同大学の教員としてキャリアをスタートさせた。

 以来、23年間、教育の現場に立つ。現在は、西パナマ県に位置するパナマ大学の「西パナマキャンパス」の副学長をつとめながら、授業もたんとうしている。

 ボタシオさんが学生に伝えたいこと。それは、“限界のかべをつくってしまうのは自分だが、不可能を可能に変えるのもまた自分である。だからこそ、若い時に、努力を積み重ねてほしい”――ということだ。

 「“だれでも、何かの天才”との池田先生の言葉にある通り、その才能に気付くことが重要です。学生の相談にしんに乗り、共に考える存在になりたいです」

 現在、ボタシオさんは、西パナマ県にらし、支部長として広布にけている。

 半世紀前に入会した一家は、きょうだいの子どもたちを含めて、25人がSGIメンバーに。毎週土曜日には、家族や親戚が集まり、「家族唱題会」を行っている。これは長年続く一家の伝統だ。

 「私は、先生との誓いをかたときも忘れたことがありません。地域の、社会の“第一人者”を目指して、パナマ広布へ第一線をけていきます」

ボタシオさんが副学長を務めるパナマ大学の西パナマキャンパス

ボタシオさんが副学長を務めるパナマ大学の西パナマキャンパス