〈明日を照らす〉 テーマ:(しゅう)(ねん)を燃やす

 いかなる挑戦も、最後まで走り抜かなければ、栄光を勝ち取ることはできません。今回の「明日を照らす」は、「(しゅう)(ねん)を燃やす」をテーマに学びます。

御文

 (だい)()()さば()ずるるとも、(おお)(ぞら)()なぐ(もの)はありとも、(しお)()()ぬことはありとも、()西(にし)より()ずるとも、()()(きょう)(ぎょう)(じゃ)(いの)りの()なわぬことはあるべからず。
 (()(とう)(しょう)、新592・全1351)

 【通解】大地をさして外れることがあっても、大空をつなぐ者があっても、潮の()()がなくなっても、日が西から出ることがあっても、法華経の行者の祈りの(かな)わないことは絶対にない。

不可能を可能にする祈り

 広布のための祈りが、必ず実現する原理を明らかにしたのが「祈禱抄」です。(ごう)(じょう)な信心で祈り抜く時、全宇宙の働きが、その願いの(じょう)(じゅ)に向けて大きく回転していきます。
 この一節では「大地をさして外れる」「大空をつなぐ」など、実際にはあり得ない現象が起きたとしても、「法華経の行者」の祈りが(かな)わないことは絶対にないと(うった)えておられます。
 「法華経の行者」とは、万人成仏を説く法華経を弘め、衆生を救う存在です。現代でいえば、信心を根本に、民衆が光り(かがや)く社会を築くため、地道な対話を重ねる、私たち創価家族の一人一人にほかなりません。
 池田先生は、つづっています。
 「広宣流布のために戦う『法華経の行者』の祈りには、(こう)(だい)()(へん)の力がある。これが御本仏のお約束である。祈り抜き、祈り切る。そして行動を(つらぬ)き通す時、無限の()()()く。十界のいかなる衆生も(しょ)(てん)(ぜん)(じん)となって、仏の陣列を(まも)りに護る。戦う題目に(まさ)るものはない。()退(たい)(しん)(りき)(ぎょう)(りき)こそ、不可能を可能にしゆく(ぶつ)(りき)(ほう)(りき)の原動力なのだ」
 広布の(せい)(がん)に生き抜く私たちの祈りが、叶わないはずがない!――いかなる時も、日蓮大聖人に(つら)なる大確信の“戦う題目”を(とな)え抜いていきたい。
 あらゆる諸天善神を味方にする(しゅう)(ねん)を燃やし、眼前の壁を(とっ)()していきましょう。

御文

 法華経の信心を()おし(たま)え。火を()るに、()すみぬれば火を()ず。
 (()(じょう)(きん)()殿(どの)()(へん)()(ぼん)(のう)(そく)()(だい)の事〉、新1522・全1117)

 【通解】法華経の信心を(つらぬ)き通しなさい。火を起こすのに、途中で休んでしまったなら、火を得ることはできない。

最後まで勢いよく!

 日蓮大聖人は、本抄の冒頭で、常に師を支え、守ってきた四条金吾の(こころざし)に、感謝を述べられています。厚い信頼を寄せる金吾に大聖人は、あえてどこまでも信心を(つらぬ)き通すことの大切さを訴えておられます。
 「ここまでやったのだから」「もうこれでいいだろう」――(がん)()ってきたつもりでも、油断すればいつしか()(せい)や弱気が(しの)()ります。火を起こそうと木をこする時、“(けむり)が出た”と気を(ゆる)めてしまえば、火が燃え出すことはありません。最後まで、絶え間ない挑戦が必要なのです。
 池田先生は、つづっています。
 「火を生み出すためには、(かん)(だん)なく、木と木を(こす)り続けなければならない。途中で気を抜いて手を休めれば、それまでの努力は(すい)(ほう)()してしまう。火を起こすまで、ますます勢いよく、作業を続けるしかない。()(ぞく)といっても、重要なのは、事が(じょう)(じゅ)する最終段階である」
 自身の一生成仏と人間革命、そして、わが地域の広宣流布と立正安国。あと一歩のところまできて、歩みを止めてしまえば、目標を達成することはできません。
 “やるべきことは、すべてやった”“悔いはない”と、(ごう)(じょう)な信心の(じっ)(せん)を貫いてこそ、人生の栄光をつかみ取ることができるのです。

御文

 (いち)(ねん)(おく)(ごう)(しん)(ろう)()くせば、(ほん)(らい)()()(さん)(じん)(ねん)(ねん)()こるなり。いわゆる南無妙法蓮華経は(しょう)(じん)(ぎょう)なり。
 ((おん)()()(でん)、新1099・全790)

 【通解】一念に億劫の辛労を()くしていくなら、本来わが身に(そな)わっている仏の生命が(しゅん)(かん)瞬間に現れてくる。いわゆる南無妙法蓮華経は精進行である。

強き一念に仏の力が()く 

 「一念に(おく)(ごう)(しん)(ろう)」を()くす――それは、(いっ)(しゅん)一瞬の自らの命を、広布の大願に(ささ)げることです。その時、私たちに(そな)わる仏の偉大なる(ちから)()き上がってくることを、日蓮大聖人は教えられています。
 「この御書だけは命に刻んでおきなさい。学会の(とう)()になるためには、この御書は忘れてはならない」――戸田先生が、入信まもない池田先生に、そう伝えた御文です。
 師匠の(げん)(めい)の通り、若き池田先生は広布の闘士として、各地で拡大の陣頭()()()っていきました。どうすれば戦いに勝つことができるのか――まさに「億劫の辛労」を尽くし抜いたのです。
 1956年(昭和31年)10月から翌年1月にかけて、当時の山口の会員世帯数を約10倍にした「山口開拓指導」。池田先生は当時を()(かえ)り、重視したことの第一として、「勝利への()るぎなき一念」を挙げました。
 そして、この一節を(はい)して、次のようにつづっています。
 「日蓮大聖人の御指南のまま、『必ず勝つ』という師弟不二の一念で祈れば、無限の()()が湧く。仏に等しい力が(みなぎ)る。そこから(ほとばし)る確信の対話は、一人ひとりの生命を揺り動かし、仏性を呼び覚まさずにはおかないのだ」
 師匠と心を一つにした真剣な一念から発せられる、真心の「一言」が友の仏性を開きます。どこまでも、目の前の「一人」に尽くす中にこそ、広布の伸展があるのです。
 この、池田先生が若き日より実践してきた勝利の方程式を、創価の闘士である私たちが今こそ受け()いでいきましょう。