地涌の菩薩
 蓮ちゃん  いよいよ、「従地涌出品」から本門に入るんだね! 釈尊滅後の弘教が誰に託されるかが明らかになるところだね。

 華ちゃん  そう! まず冒頭で、他方の国土からやってきた菩薩たちが、釈尊滅後に娑婆世界(しゃばせかい)で妙法を弘めることを誓う。彼らは、全宇宙から集まってきた最高峰の菩薩。誰もが「釈尊はこの菩薩たちに付嘱するだろうな」と思っていたの。 

 蓮ちゃん  ところが釈尊はその菩薩たちを制止する。

 陽ちゃん  えー! せっかく誓ったのに止めるなんて、どうしたの?

 華ちゃん  なんと、釈尊はこう言ったの。「この娑婆世界にいる六万恒河沙の菩薩たちが弘めてくれるからだ」と。すると、全ての大地が震動して裂け、そこから数え切れないほどの「地涌の菩薩」が、同時に出現したの!

 陽ちゃん  まさに全宇宙を震撼させるようなドラマチックな展開! 大地から涌き出てきたから「地涌」の菩薩なんだね。

 蓮ちゃん  菩薩の身体は金色に輝き、仏に具わるべき32の理想的特徴(三十二相)を具えていて、無量の光明を放っているの。

 華ちゃん  さらに、一人一人の菩薩は皆、たくさんの眷属(仲間)を引き連れている。 

 陽ちゃん  地涌の菩薩は、滅後の広宣流布のリーダーなんだね! 

 華ちゃん  そうだね。そうして出現した地涌の菩薩たちは、まず宝塔の中にいる釈尊と多宝如来(たほうりょらい)にあいさつをする。次に全世界から集ってきた無数の仏たちの所へ行って、礼を尽くして賛嘆するの。

 それが終わると、地涌の菩薩の代表である4人のリーダーと釈尊の対話が始まる。

 蓮ちゃん  上行・無辺行・浄行・安立行の四菩薩ね。

 華ちゃん  四菩薩が釈尊の身を案じながら、民衆救済をテーマに、互いにたたえ合い、心通う対話を繰り広げるの。

 蓮ちゃん  この一連の流れを見ていた他方の菩薩たちの驚きと複雑な思いを、弥勒菩薩が代表して釈尊に質問するんだよ。

 陽ちゃん  他方の国土の菩薩がついに発言したのね。

 華ちゃん  そう。弥勒菩薩は、「地から涌き出た、この菩薩たちは、一体どこから来たのでしょうか? 何の因縁によって集まったのでしょうか?」って聞いたの。

 蓮ちゃん  この問いは、「弥勒の疑請」というんだ。

 華ちゃん  この弥勒の問いこそが、真実の教えを開く鍵になっている。だから釈尊は質問したことを褒めているわ。 そして釈尊は、「私は久遠の昔から、この地涌の菩薩たちを教化してきたのである」と明かすの。 

 陽ちゃん  「久遠の昔から」⁉ 釈尊は、遠い過去世から菩薩たちを教化し続けていたの? でもこの時、会座にいた人々は皆、釈尊が今世で初めて悟りを開いた(始成正覚)と信じているよね。

 蓮ちゃん  うん。とはいえ、今世で釈尊が成仏してからまだ40余年しかたっていないから、これほどのおびただしい数の地涌の菩薩を教化することはできない。“矛盾が生じている”といえるね。

 華ちゃん  ここは、真実の法が語られていく大事なところなの。それまで信じていたものが揺らぎ、打ち砕かれるような驚き。これを「動執生疑(どうしゅうしょうぎ)」というのよ。 

 蓮ちゃん  「執(しゅう)を動じ、疑を生ず」と読む。小法に執着している心を動揺させて、疑いを生じさせるという意味だよ。疑いを生じさせた後に、真実の法を説いて悟りを開かせるんだ。 

 陽ちゃん  真実を教えるために、あえて動揺させたということ?

 華ちゃん  執着している心を揺り動かし、より大きな価値観に目覚めさせる化導の方法のことなの。釈尊はここで、それまでの世界観を根底から壊すことで、真実の境涯を明かしたのよ。

 蓮ちゃん  遠い昔から地涌の菩薩を教化してきたと告白したことで、仏の三世の生命が明かされたんだね。

 華ちゃん  まさに劇的な展開を迎えるのが従地涌出品よ。そしてこの章の最後は、弥勒が「詳しく解説して、私たちの疑いを除いてください」という問いかけで終わっているの。 

 陽ちゃん  弥勒が動揺している様子が伝わってくるね。 

使命に目覚める
 陽ちゃん  でも、どうして地涌の菩薩が出てきたの? 他方の菩薩たちも妙法を弘める決意をしていたのにね。

 華ちゃん  地涌の菩薩は、はるか昔から、ひたすら妙法を修行してきたの。だから末法において大難に耐えて弘教していける。娑婆世界での弘教によって大難に遭うことは、経文に説かれている通り、必然だよね。あくまで自分の成仏を目指している他方の菩薩には、とても耐えられるものではないのよ。

 蓮ちゃん  つまり地涌の菩薩は、末法の弘教のスペシャリストだね!

 陽ちゃん  なるほど! 地涌の菩薩は、満を持して使命を果たそうと出現したんだね!


 華ちゃん  そう。日蓮大聖人は「日蓮と同意ならば地涌の菩薩たらんか」(御書1360ページ)と仰せだよ。大聖人と同じ心で題目を唱え、広布に生きる人こそが地涌の菩薩であることを示されているの。大聖人に連なる創価学会・SGIは、まさに地涌の菩薩の連帯だね。 

 陽ちゃん  私にも地涌の菩薩としての使命がある……。そう思うと、なんだか自信が湧いてきた。

 華ちゃん  現実は悩みも多いし、自分が立派な菩薩だと思えないこともある。でも、さまざまな苦難と戦いながら、友の幸福を祈って弘教に挑戦し、学会活動に駆ける私たちの使命が、どれほど崇高か。その功徳が、どれほど大きいか。それが計り知れないものであることを確信していこうよ。 

 蓮ちゃん  大聖人は、「二人・三人・百人と次第(しだい)に唱へつたふるなり、未来も又しかるべし、是(これ)あに地涌の義に非(あら)ずや」(同1360ページ)とも仰せだよ。地涌の使命と誇りへの目覚(めざ)めは、どこまでも「一対一の対話」によって広がっていくということだね。

 陽ちゃん  そっか。確かに、友の幸福を祈っている時、勇気の対話に挑戦している時、生命が最も歓喜していると感じるよ。これって、地涌の使命を呼び覚(さ)ましている歓喜なんだ!

 華ちゃん  その実感が、とても大事。地涌の生命が発揮されれば、どんな悩みにも負けず、どんなことも楽しめる境涯になっていける。
 目の前の一人に励ましを送り、共に幸福になっていくこと。その挑戦が、末法の弘教を託された私たちの偉大な使命ね!