〈いのちの賛歌 心に刻む一節〉 テーマ:しょうと向き合う2024年5月21日

 かく「いのちのさん 心にきざむ一節」では、せいくんむねに、宿しゅくめいに立ち向かってきた創価学会員の体験をしょうかいするとともに、池田先生の指導をけいさいする。今回は「しょうと向き合う」がテーマ。東京都文京区の女性部員に話を聞いた。

御文

 みょうとはせいなり。蘇生ともうすは、みがえる義なり。(きょうだいもくしょう、新541・全947)

通解

 妙とは蘇生の意味である。蘇生とは、よみがえるということである。

強く強く、生きいていく

き夫への感謝、悲しみの先へ

 2008年(平成20年)4月24日、森本多賀子さん(70)=区女性部主事=の夫・たつさんは、54歳でこの世を去った。30年以上、歩みを共にした“戦友”だった。
       ◇
 創価大学の同期生として知り合った夫婦は、28歳でけっこんし、4人のだからめぐまれた。
 アパレルメーカーの東京支店にきんしていた達雄さんは、営業職で各地を飛び回る日々。学会では男子部のリーダーとしてふんとうしていた。森本さんは「真面目で一本気。とにかく仕事も学会活動も、がむしゃらな人でした」と、ほほむ。
 37歳で支部長になった達雄さんと共に、森本さんが4人の子育てをしながら地区婦人部長(当時)として広布にはげんでいた、1991年(平成3年)12月のある寒い朝だった。
 達雄さんが「のどいたい」とうったえて病院へ。急性しんきんこうそくだと分かり、大学病院の集中りょうしつに運ばれた。
 けた森本さんに、医師は「命の保証はできません」と告げた。「あまりにとつぜんのことで、頭の中がしろになって」
 “もし、夫がこのまま死んでしまったら”――。不安な気持ちをおさえられず、信心のせんぱいに電話すると、「一家の宿しゅくめいてんかんの時よ。あなたが題目をあげくのよ!」。確信の励ましにふんした。
 森本さんは“私自身の祈りで、必ず救ってみせる!”と唱題の声にちからめた。
 しんぞうのカテーテル治療。かんどうみゃくのバイパス手術。けんめいしょによって、達雄さんは一命を取りめた。
 「夫も心の中で題目を唱え続けていたと、後から教えてくれたんです。御本尊に守られたんだと確信しました」
 1年半ほど入退院をかえした後、達雄さんはわれて職場復帰を果たす。地道に重ねてきたしんらいの実証に、夫婦は感謝の祈りを深めた。
 両親のなかに信心を学んだ子どもたち。やがて、長男と長女は創価大学へ。次女は夢を実現するため使命の道へ。三女は創価学園へと進んだ。
 2008年(同20年)の3月末、大病をえて元気になった達雄さんが、学会でリーダーとして広布に駆けていたある日、体の不調を訴えた。三女の創価大学入学式から数日後、病院でしんさつを受けると、そのまま入院することになった。
 せいみつ検査中だった、同年4月24日。
 森本さんが、びょうしょうの達雄さんの背中をさすっていた時、不意に達雄さんが「ありがとう」と言って題目を唱え始めた。
 その声が、だんだんと小さくなっていく。やがて、そのままベッドの上で、ねむるように息を引き取った。
 ――はいけっせんそくせんしょうに、胃がんもわずらっていたことが後に判明した。そうには多くの人が参列し、生前と変わらぬおだやかな表情に、みなおどろいたという。
 くなった直後は、森本さんも同志の励ましを支えに立ち上がれた。しかし、のうこつませ、日常にもどると、言葉にできない悲しみが後から追いかけてきた。
 「これまでずっといっしょに生きてきた人。別れはやっぱり、さびしかった。一人でいると、どうしても夫のことばかり考えてしまって……」
 “なぜ夫は亡くなったの?”“私がもっと早くへんに気付いていれば”。夫の顔を思いかべては、静かになみだを流す日々。池田先生のしょせきを、むさぼり読んだ。
 祈りながらはいしたのが「みょうとはせいなり」(新541・全947)とのせいくんだった。
 広布に生き抜く中で起きたことには、全て意味があるととらえるしんこう。夫の死も、今世の使命を果たし抜いた姿すがたちがいない。「御書を何度も拝す中で、少しずつ、その確信が心に積み重なっていったんです」
 森本さんの命にともる、希望の。“夫は、きっともう生まれ変わって、広布のたいもどってきている”。その思いは、祈るほどに強まった。涙をぬぐい、顔を上げた。

 つうの日々。その中で、森本さんの心を照らした池田先生の言葉がある。
 「たとえわかぎる死や、りょの死のように見えても、成仏のあかしは明確に現れる。たんてきに言えば、多くの人びとによって、心からしまれる姿すがたである。そして、残された家族がまもられ、栄えていく姿である。
 家族が強く強く生きいていく時、そのむねの中に、ひとげんぜんと生き続けていく」(池田大作先生の指導選集〈上〉『幸福へのしん』)
 達雄さんが亡くなった意味を、問い続けてきた森本さん。
 「夫に会うことはできません。でも、残された私たち家族が幸せになることが、夫の成仏の証しになる。池田先生にそう教えていただいた時から、前を向けました。夫の分まで広宣流布の使命に生き抜いて、私たち家族は必ず幸福になってみせる、と」
 ――とはいえ、森本さんが心から笑えるようになれたのは、達雄さんとの死別から「3年ほどがたってから」だったそうだ。
 「夫は三女の創大入学をとどけて、りょうぜんへ旅立ちました。“子どもたち全員をこうけいの人材に”というちかいをつらぬとおした人生だったんだと、唱題を重ねる中で夫の使命を見いだすことができて」。今、森本さんの表情は明るい。
 父母の信心をぎ、それぞれの道で使命の花を咲かせる4人の子どもたち。かわいい孫もできた。
 森本さんは、笑顔が絶えない毎日の中で“妙とは蘇生の義”との確信を、ますます深めているという。
 「生きていれば、この先もさまざまなこんなんがあるはず。それでも、題目を唱え続けていく限り、えられないものはありません。
 “これでまた題目をあげられる!”と、喜び勇んでちょうせんできる。一番いい方向に進んでいける。そのことを、夫は命をけて教えてくれたのだと思います。感謝しています」

[教学コンパス]

 大切な人との、思いもよらない死別。今やそれは、決してとくしゅな体験ではない。国内での日本人の年間ぼうしゃ数が戦後最多となるなど「多死社会」と言われる昨今。故人それぞれのかたわらには友人・知人など、ぞくではなくとも、別れをなげき悲しむ人がいる。関西学院大学の坂口ゆきひろ教授は、死別のたんについて「だれもが当事者になりうる体験」と述べている(『自分のためのグリーフケア』創元社)。
 御書には「まずりんじゅうのことをならってのちを習うべし」(新2101・全1404)とおおせだ。“しょう”という現象にいかなる深い意味を見いだすか。宗教本来の役目もそこにある。
 生命をどうさつする思想的いとなみから生まれた大乗仏教。そのせいずいである法華経からてんかいした日蓮仏法では、私たちの生命は、さん永遠にじょうじゅうであると説く。ゆえにいくの創価の同志は、死別の悲嘆の中でも、故人との生命のきずなむねに立ち上がり、使命の人生をつむいできた。そうした生き方が放つたえなる光は、社会に確かな死生観を示す希望の灯台ともなろう。