信心・題目の功徳で、悦可衆心の人間として最高の人生を飾りましょう。

 

 

悦可(えっか)(しゅ)(しん)

 

 

信心の力はすべてを喜びに
 人を喜ばせるのが指導者です。人を励まし、元気にするのが指導者の使命です。絶対に人を叱ってはいけない。
 「衆の心を悦可せしめたまう」(人々の心を悦ばせる)とは、釈尊が「言辞柔輭」(言葉柔らかに)の説法で人々を喜ばせ納得させた(「悦可」させた)ということです。
 リーダーは固い信念の上に、「柔輭(じゅうなん)な」真心の言葉で皆をねぎらい、皆の疲れをとり、皆をほっとさせ、皆の疑問を氷解させ、皆の希望をわき立たせていくのが戦いです。かりにも人を圧迫したり、追いつめたりすれば、指導者失格であり、この経文に背くことになる。
 方便品のこの文は、一応は、爾前経の説法を表しています。すなわち、釈尊は種々の機根、種々の悩みをもっ人たちを眼前にして、それぞれを喜ばせ、幸福に導くために、種々の教えを説いたのです。

 

苦しみを大歓喜の人生へ
 信心をしていても、現実の人生で、苦しいこと、悲しいこと、いやなことは避けられない。けれども、煩悩即菩提で、必ず「悦可衆心」の境涯を味わえるのが、日蓮大聖人の仏法です。信心で進めば、″苦しみの人生″を″大歓喜の人生″に必ず変えることができる。戸田先生は、「悦可衆心」について、こう語られました。

戸田先生は、「悦可衆心」について、こう語られました。
 ──十年、信心をしっかりやれば、その人の生命は、じつに清らかな生命になり、皮膚といい、目の様子といい、一つ一つの動作といい、みな、柔和な、清浄なものを、それでいて威厳のあるものを持つようになる。それが御本尊の功徳である。そうなると、悦可衆心、われわれの心を悦ばしめてくる。そうなった人は、いつでも晴ればれしいから、悦ばざるを得ない。
 うれしくなって、いつでも笑いがあり、いつでも朗らかだから、その人が商売すれば繁盛してくる。同じ買うならあのおカミさんのところへ行って買おう、ということになる。それが、悦可衆心です──と。題目で洗われた生命から、じっくりと、にじみ出てくる清らかな喜び。いわば「悩みをも友だちにして」上手につき合いながら、どんな状況からも楽しみを見つけ、喜んでいける達人の境涯。