これは必見です。暗証出来るぐらい熟読してください。今後の信心の礎になります。男子部時代に教えて頂いた「青年の譜」の様に毎朝、勤行の後に読了させてもらいます。今日も報恩感謝のお題目をあげる事が出来ました。さぁ~出発だ!!
〈池田先生 永遠の指針〉 5・3「創価学会の日」――長編詩「輝き光れ! 我らの五月三日」から

さあ出発しよう! 新しき戦いへ
 あす5月3日は「創価学会の日」。戸田城聖先生が第2代会長に、池田大作先生が第3代会長に、それぞれ就任した日である。毎年巡り来るこの日を、学会は“新たな決意で出発する日”としてきた。池田先生が詠んだ長編詩「輝き光れ! 我らの五月三日」(聖教新聞2010年5月3日付)を抜粋して掲載する。

1960年5月3日、東京・日大講堂(当時)で行われた池田先生の第3代会長就任式。恩師の遺影が見守る中、不二の弟子は世界広宣流布への大前進を開始した。※写真は、モノクロ(白黒)写真を、デジタル技術を使ってカラー化した
  おお 我らの五月三日! 永遠に忘れ得ぬ 五月の三日よ!    それは 恩師・戸田城聖先生が 会長になられた日である。 そして 師弟不二の境涯の上から 私が第三代として 立ち上がった日である。    寒風の二月と三月を 乗り越え 桜の咲く四月を見つめつつ 遂に迎えた輝ける新緑の朝! 五月は一年で 最も晴れがましい季節だ。    尊貴な光に包まれた 我らの五月三日よ! 光とは正義であり 闇とは邪悪である。    光は闇を恐れない。 光を持つ人は 何も恐れない。 光は永遠に輝く勝利だ。    闇に生きゆく人は 心も暗い。 創価とは あらゆる人々の心を 強く正しくする 勇気の光だ。    闇は光を塞がんとする。 しかし 光は立ち止まらない。 創価とは 限りない希望の未来を 照らしゆく前進の光だ!    おお 勝利に輝きわたる 我らの五月三日よ! 未来永劫に光りゆく 師弟の五月三日よ!    めぐり来る   五月三日の     嬉しさに   同志の笑顔と     決意の歴史は    世界の歴史には 数多の祝賀の日がある。 しかし民衆と遊離して 形骸化してしまった 死せる記念日も少なくないと ある学者は叫んだ。    広布に生きゆく 我らの五月三日は なんと晴れやかで明るく なんと生き生きと 朝日の昇りゆく 心爽やかな 大歓喜の一日であろうか。    天高く澄みわたる 昭和三十五年の五月三日 三十二歳の若き指導者は 尊き晴れ姿の民衆と共に 新たな大遠征に旅立った。 それは 世界の広宣流布である。        ◇ 

 わが生命には絶え間なく 師の誓願が鳴り響いている。 「われわれには  広宣流布を断じて  為さねばならぬ使命がある。  未来は君たちに任せる。  頼むぞ広宣流布を!」と。    師匠・戸田先生は わが胸中にあって 永遠の太陽の如く 光り輝いておられる。 その師に常随給仕の思いで 私は今日も 師と共戦するのだ! 師との誓いを果たすのだ!    太陽と共に進めば 永遠に勝ち光っていける。 これこそが 最極の生命の軌道だからだ。    人間には 立ち上がるべき時がある。 戦わねばならぬ 決定的な時が必ずある。 その「時」を逃さず 時に適う行動を起こすことだ。 そして必ず勝つことだ。 これが師弟の道であり 永遠不滅の仏法だ。 これに勝る名誉はない。    「撰時抄」には仰せである。 「闘諍堅固の仏語  地に堕ちず」 「法華経の大白法の  日本国並びに一閻浮提に  広宣流布せん事も  疑うべからざるか」   昭和五年十一月十八日 世界の大恐慌が 子どもたちの未来まで 暗く閉ざさんとする渦中 先師・牧口先生は 創価教育学会を創立された。    昭和二十六年五月三日 文化の大恩深き隣国の民衆が 戦乱に苦悩する真っ只中に 恩師・戸田先生は 第二代会長に就任され 東洋の広宣流布を誓願された。    第三代の私も 東西冷戦の軛の下で 危機と紛争の炎が 残忍に世界を引き裂くなか 人類を結ぶ対話を開始した。    世界に平和を! 民衆に幸福を! 人間に勝利を! この根本の誓願と原理を 「立正安国」といい 「広宣流布」という。 仏意仏勅の創価学会は そのために生まれたのだ。    「地上から 『悲惨』の二字をなくしたい」 この師の悲願のままに 苦悩に喘ぐ民衆がいる限り 創価学会は断じて戦い続ける。 母子の悲嘆の涙が消えるまで 創価の師弟は前進を止めない。 そして絶対に勝利するのだ。        ◇

 昭和五十五年の五月三日を 私は関西の天地で迎えた。 絶対に信頼できる 関西の同志と共に 一切の魔軍を打ち砕く 反転攻勢の烽火を上げたのだ。    この時 私は 「五月三日」と大書した。 この日は創価の原点である。 ここに 学会精神の真髄がある。 異体同心の究極がある。 師弟不二の極致があるからだ。    脇書として私は 三年後の 昭和五十八年五月三日 二十一年後の 西暦二〇〇一年五月三日と 書き留めた。    「今に見よ」 新たな創価学会の大発展を 必ず開いてみせると 私は我が一念に固く 誓い定めていたのだ。    「一心の妙用」は厳たり。 昭和五十八年の五月三日には 第二総東京の八王子の天地に 新たに誕生した東京会館で 私たちは勝鬨をあげた。   ここには 本陣たる大東京  埼玉・神奈川・千葉をはじめ 関東 さらに全国の盟友も 集い来った。 今 この師弟の宝城は 東京牧口記念会館となりて 創価大学を見守り 堂々と聳え立っている。    二〇〇一年の五月三日には カリフォルニアの陽光輝く アリソビエホの丘で 夢に見たアメリカ創価大学の 開学式が盛大に挙行された。    我ら創価の友は いかなる試練に直面しても 常に原点の五月三日から 元初の太陽を心に燃やして 勝利へ出発するのだ。 目標と定めた 新たな五月の三日へ 完勝の旗を打ち立てゆくのだ。         ◇

 時は来た。 おお  晴れ晴れとした五月三日よ! 老いも若きも はち切れんばかりの生命力で 仏天に見守られながら 新しき戦いを起こしゆこう!    おお 我らの五月三日よ! 五月三日の生命は 永遠に朗らかに 永遠に前進する! 永遠に勝利また勝利だ!    共に呼吸を合わせて 進みゆけ! そして 人間革命の大讃歌を 高らかに歌いゆけ! おお 輝き光れ! 五月の三日よ 我らの五月三日よ!     尊くも大切な大切な  わが同志である皆様方の  平和と幸福と健康を  妻と共に心から祈りつつ            合掌    二〇一〇年五月三日の朝に贈る        世界民衆詩人