◆〈世界広布の大道――小説「新・人間革命」に学ぶ〉 第5巻 基礎資料編 
 物語の時期 1961年10月8日~1962年1月25日
    
「開道」の章
 1961年10月8日、ベルリンの壁の前に立った山本伸一は、その夜、東西ドイツの統一と世界の平和への強い誓いを込めて勤行した。終了後、東西冷戦の氷の壁を溶かすために、各国の指導者と会って「対話」の道を開く、民衆と民衆の心をつなぐ文化交流に力を注いで「平和」の道を開く――との決意を披歴する。
 翌日は、ケルン市内の工場などを見学した後、重役らとの会食会に。「仏法のヒューマニズム」に共感する出席者の姿を通して、国境や民族を超えて互いに理解し合えることを、強く確信したのであった。
 10日、伸一はオランダへ。翌日、フランスのパリを訪れ、凱旋門などを視察。ルーブル美術館で、芸術は人間性の発露・表現であり、武力や暴力など、外圧的な力で人間を封じ込める“野蛮”の対極にあると語る。
 13日に、イギリスに渡った伸一は、ヨーロッパの組織について検討し、西ドイツ(当時)、フランス、イギリスの各国と、欧州全体の連絡責任者を立てることを決定。ロンドンで、老人との対話から、高齢化社会にあって「思いやりのネットワーク」の大切さを痛感する。


「歓喜」の章
 10月15日の夜、スペインのマドリードに到着した伸一は、平和を、ヒューマニズムを守り抜く地涌の友の誕生を願い、“出よ! 妙法のピカソよ、妙法のカザルスよ”と祈る。
 翌日は、スイスへ。ジュネーブの空港では、出迎えてくれた婦人部員やその家族を激励する。
 さらに、オーストリアのウィーンを訪問。著名な音楽家たちが眠る中央墓地を訪れ、楽聖ベートーベンの墓碑の前に立つ。「苦悩を突き抜けて歓喜へ」との自身の言葉通り、苦悩に次ぐ苦悩の激浪を身に受けながら、交響曲第九番を完成させた生涯に思いを馳せる。伸一は、若き日、苦境に立つ恩師・戸田城聖を守ろうと孤軍奮闘する中で、その音楽を聴き、魂を燃え上がらせてきた。彼は万人の幸福と世界の平和を実現するため、ベートーベンのごとく、あえて困難な道を征こうと決意する。
 その後、イタリアのローマとバチカン市国へ。伸一は、古代ローマの遺跡に立ち寄り、人間共和の「永遠の都」の建設を誓う。ヨーロッパ滞在最終日の21日には、カタコンベ(初期キリスト教時代の地下墓所)を訪れ、不屈の信仰の大切さを語る。

「勝利」の章
 10月23日にヨーロッパから帰国した伸一は、30日と11月1日、大詰めを迎えた「大阪事件」の裁判の公判で、大阪地裁の法廷に立つ。
 5日は、国立競技場に10万人が集った第10回男子部総会へ。“10万結集”は、54年に戸田が「国士訓」を発表し、「青年よ、一人立て! 二人は必ず立たん、三人はまた続くであろう。かくして、国に十万の国士あらば、苦悩の民衆を救いうること、火を見るよりも明らかである」と呼び掛けて以来、青年部の室長だった伸一の、師への誓いでもあった。
 会場には、翌年の学会のテーマである「勝利」の文字が掲げられていた。それは、この日を迎えた青年たちの心情でもあり、戸田の遺命を実現し、青年部の室長として最後の仕事を成就した、伸一の勝利を示すかのようでもあった。
 12日には、横浜・三ツ沢の競技場に8万5000人が集い、第9回女子部総会が開催された。伸一は、「女子部は全員が教学部員に」と期待を寄せる。20日、東北本部の落成式に出席。そこで発表された“東北健児の歌”を、「新世紀の歌」として全国で歌っていくことを提案する。


「獅子」の章
 62年「勝利の年」の元日、伸一は、東京・信濃町の学会本部で行われた初勤行で、新年の大勝利を誓い、深い祈りを捧げる。13日には、雪の北海道へ。前年に他界した女子部のリーダーの北海道女子部葬に参列。翌日は、北海道総支部幹部会と全道の地区部長会に出席し、「北海の獅子よ立て」との念願を語る。
 17日、国会議事堂で、学会員の参議院議員が記者会見を開き、「公明政治連盟」の発足を発表する。
 25日は、大阪事件の裁判の判決公判が開かれることになっていた。前日に大阪入りした伸一は、関西の女子部幹部会に続いて、関西男子部の幹部会へ。どこまでも不幸な人の味方となり、民衆の幸福のために堂々と前進するよう訴える。
 公判では、伸一に「無罪」が言い渡される。関西本部に戻った伸一は、広間に掲げられていた戸田の遺影を見つめ、“先生、伸一は無罪を勝ち取りました……”と報告。
 さらに彼は、同志に向かい、「この事件は迫害の終わりではない。むしろ、始まりです」と語り、「私たちは師子だ。嵐のなかを、太陽に向かって進もう!」と呼び掛ける。


「大阪事件」無罪判決までの経緯
 〈大阪事件の無罪判決を勝ち取った後、山本伸一は関西本部で、事件の本質について語る〉
 「学会は民衆を組織し、立正安国の精神のうえから、民衆のための政治を実現しようと、政界にも同志を送り出してきました。その学会が飛躍的な発展を遂げているのを見て、権力は、このままでは、学会が自分たちの存在を脅かす一大民衆勢力になるであろうと、恐れをいだいた。そして、今のうちに学会を叩きつぶそうとしたのが、今回の事件です」(「獅子」の章、352ページ)
 ※『新・人間革命』の本文は、聖教ワイド文庫の最新刷に基づいています。
【挿絵】内田健一郎 【題字のイラスト】間瀬健治

◆世界広布の大道――小説「新・人間革命」に学ぶ  第5巻 名場面編

 

勇気の行動が道を開く
 〈1961年10月、フランスのパリを訪れた山本伸一は、ナチス・ドイツの占領下にあったパリ解放の先陣を切った、ド・ゴール将軍の戦いを語る〉
 
 ド・ゴールは、広場に設けられた台の上に登り、マイクの前に進み出ると、空に向かって両手を大きく斜めにあげ、Vの字をつくった。
 (中略)
 彼がノートル・ダム寺院に着いた時、銃声が鳴り響いた。人びとは、慌てて、身を伏せた。さらに、何発かの銃声が起こった。だが、ド・ゴールは、何事もなかったかのように悠然としていた。
 (中略)
 彼(山本伸一=編集部注)は言葉をついだ。
 「逆境のなかで勝利の道を開くものは、指導者の強き一念だ。そして、勇気ある行動だ。それが、一つの小さな火が、燎原の火となって広がるように、人びとの心に波動し、事態を好転させていく。
 では、ド・ゴールの強き一念の源泉とは何か。それは『私自身がフランスである』との自覚です。我々の立場でいえば『私自身が創価学会である』との自覚ということになる。
 人を頼むのではなく、“自分が主体者であり、責任者だ。自分が負ければ、みんなを不幸にしてしまうのだ”という思いが人間を強くする。私たちも、どんな苦戦を強いられようが、必ず勝って、広布の凱旋門をくぐろうよ」(「開道」の章、36~38ページ)


青春の日の森ケ崎海岸
 〈バチカン市国を訪問した山本伸一は、かつて森ケ崎海岸で、キリスト教への入信を打ち明ける友と語り合ったことを思い起こす〉
 
 友人の考えを尊重したかったし、彼には、まだ、友人に確信をもって語ることのできる思想や哲学はなかった。
 「君が、そう決めたのなら、それもよいと思う。ともかく、ぼくの願いは、君が幸せになることだ。ぼくが進もうとする道とは異なると思うが、そこから君が何かをつかみ、人生の大空に飛び立ってもらいたい。ぼくも今は結核だし、生活も苦しいが、すべてを乗り越えて、社会のため、人びとのために貢献できる、堂々たる人生を開こうと思う。お互いに頑張ろう」
 (中略)
 彼は、この友人との語らいを詩にしてノートに記し、「森ケ崎海岸」という題をつけた。
  
  岸辺に友と 森ケ崎
  磯の香高く 波かえし
  十九の青春 道まよい
  哲学語り 時はすぐ
 (中略)
 伸一は、その思い出を、同行の青年たちに語っていった。
 「……もし、彼と会うことができたら、また、人生を語り合いたい。そして、仏法を教えたいと思う。布教といっても友情から始まる。相手を尊重してこそ、本当の対話ができる」
 (「歓喜」の章、143~146ページ)


自ら検事の虚偽を暴く
 〈「大阪事件」の裁判で、山本伸一は、検事たちの虚偽の発言を暴き、62年1月25日、無罪判決を勝ち取る〉
 
 主任検事は、伸一が釈放になった日のことを、次のように語ったのである。
 「その日は、朝から八千人の人が中央公会堂に集まりまして、その一部の人が、検察庁のなかに一気に入って来たんです。廊下が真っ黒になるほどでした。
 (中略)
 目の前にずらっといた一人に、山本君が『ひかえさせろ』と言うと、わずか五分ほどのうちに人が去り、構内は真っ白になってしまったんです」
 (中略)
 伸一から、主任検事への質問が行われた。
 「お話のなかで、検察庁のなかが真っ黒になるほどの人が来て、私が合図をしたら、いっせいに退散したという、なにか検察庁に対して圧力をかけたかのような発言がございました。それは検察庁のどの場所でしょうか。また、何人ぐらいの人が来ていたのでしょうか」
 主任検事は、一瞬、口ごもったが、虚勢を張って言った。
 「正確な人数まではわかりません」
 「では、私は、どこで合図をしたのでしょうか」
 「…………」
 「そのようなことは、ほかの検事の方は一度も証言されておりません。錯覚か、それとも噓か、どちらかではございませんでしょうか」
 「それは事実です」
 主任検事は、憮然としてこう答えるのが、精いっぱいであった。
 (中略)
 伸一を陥れようとしたにもかかわらず、かえって、裁判長の、検察官の取り調べに対する不信をつのらせる結果を招いたにちがいない。
 (「勝利」の章、185~187ページ)


新時代創る“国士十万”
 〈国士十万――それは、恩師・戸田城聖が青年に託した遺言であった。57年12月、男子部員は7万8千を数え、山本伸一は、10万の達成を確信する〉
 
 翌年の一月、伸一は戸田に報告した。
 「先生、今年は、男子部は部員十万人の達成ができます」
 「そうか!」
 布団の上に身を起こしていた戸田は、嬉しそうに目を細めて、言葉をついだ。
 「十万人の青年が集まれば、なんでもできるな。民衆のための、新しい時代の夜明けが来るぞ……」
 「はい。男子部が十万人を達成いたしましたら、国士十万の結集を行いますので、ぜひ、ご覧になってください」
 「うん、そうだな。そうだな……」
 戸田は、何度も頷いた。だが、彼は、男子部十万人の達成の報告を耳にすることなく、四月二日、世を去ったのである。男子部がこの目標を達成したのは、その年の九月末のことであった。
 伸一は、十万の青年の乱舞を、恩師に見てもらえぬことが、残念で仕方なかった。後継の青年が勢揃いした姿を、ひと目なりとも見てほしかった。
 この十万人の青年たちが核となって、伸一とともに学会を支え、特に、彼が会長に就任してからは、三百万世帯の達成をめざして、彼と同じ心で、怒濤の前進を開始したのだ。
 伸一は、新しき学会を、新しき時代を開きゆくその青年たちの、新しき未来への出発の舞台をつくろうと考え、青年部の幹部に、代表十万の集いを提案したのである。
 (「勝利」の章、197~198ページ)


民衆を守る正義の宣言
 〈62年1月、山本伸一は、関西女子部幹部会に出席。会場の中之島の大阪市中央公会堂は、57年7月に大阪大会が行われた場所である〉
 
 あの日、伸一は、この公会堂の壇上で叫んだ。
 「……すべてのことは、御本尊様がお見通しであると、私は信ずるものであります。
 戸田先生は、『三類の強敵のなかにも僭聖増上慢が現れてきた』――このように言われておりますが、『大悪をこれば大善きたる』(御書一三○○ページ)との、日蓮大聖人様の御金言を確信し、私もさらに、強盛な信心を奮い起こし、皆様とともに、広宣流布に邁進する決心であります。
 最後は、信心しきったものが、御本尊様を受持しきったものが、また、正しい仏法が、必ず勝つという信念でやろうではありませんか!」
 (中略)
 関西女子部の幹部会に続いて、山本伸一は、男子部の幹部会に出席した。ここでは、伸一は、大阪事件の経過を述べ、彼の逮捕自体、でっち上げにもとづく、不当なものであったことを断言したあと、こう語った。
 (中略)
 「牧口先生、戸田先生の遺志を継ぐ私には、自分の命を惜しむ心などありません。だが、善良なる市民を、真面目に人びとのために尽くしている民衆を苦しめるような権力とは、生涯、断固として戦い抜く決意であります。これは、私の宣言です。
 仏法は勝負である。残酷な取り調べをした検事たちと、また、そうさせた権力と、私たちと、どちらが正しいか、永遠に見続けてまいりたいと思います」
 伸一の言葉には、烈々たる気迫が込められていた。
 (「獅子」の章、340~343ページ)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆〈世界広布の大道――小説「新・人間革命」に学ぶ〉 第5巻 御書編
 

 

                                                                                                                                       


【挿絵】内田健一郎

 今回の「世界広布の大道 小説『新・人間革命』に学ぶ」は第5巻の「御書編」。小説で引用された御書、コラム「ここにフォーカス」と併せて、識者の声を紹介する。次回の「解説編」は27日付の予定。(「基礎資料編」は6日付、「名場面編」は13日付に掲載)


妙法の国 とわにくずれじ

【御文】
 日蓮が慈悲曠大ならば南無妙法蓮華経は万年の外・未来までもながるべし
 (御書329ページ、報恩抄)
【通解】
 日蓮の慈悲が広大ならば、南無妙法蓮華経は万年のほか、未来までも流布するであろう。


●小説の場面から
 〈1961年(昭和36年)10月、イタリアを訪問した山本伸一は、夜、古代ローマ時代の遺跡であるフォロ・ロマーノで思索を重ねる〉
 伸一は思った。
 ――繁栄を誇ったローマ帝国が滅びゆくことを、当時の人びとは、想像することができたであろうか。人の世は栄枯盛衰を避けることはできない。永遠に続くと思われたローマも、帝政の始まりから約五百年にして、西ローマ帝国の滅亡を迎えた……。
 しかし、大聖人は「日蓮が慈悲曠大ならば南無妙法蓮華経は万年の外・未来までもながるべし」と仰せである。
 妙法は永遠である。なれば、その妙法を根本に築かれた人類の平和と繁栄もまた、永遠であるはずだ。
 それは、武力や権力の支配に対して、人間性が勝利する“精神の大世界”といってよい。この永遠なる“精神の大世界”、すなわち“妙法の国”を、一人ひとりの胸中に築き上げ、人間共和の「永遠の都」を建設することがわが創価学会の使命だ。
 新しき人類史の扉を開くために、断じて成し遂げなければならない。
 ローマの月を仰いで、こう誓う伸一の胸に、一首の和歌が浮かんだ。
  
 ローマの
   廃墟に立ちて
     吾思う
   妙法の国
     とわにくずれじ
 (「歓喜」の章、158~160ページ) 


何ものも恐れぬ「師子の道」

【御文】
 師子王は百獣にをぢず・師子の子・又かくのごとし
 (御書1190ページ、聖人御難事)
【通解】
 師子王は百獣を恐れない。師子の子もまた同じである。


●小説の場面から
 〈62年(昭和37年)、「大阪事件」の無罪判決を勝ち取った山本伸一は、関西本部で幹部たちに、学会精神を語る〉
 「私は何ものも恐れません。大聖人は大迫害のなか、『世間の失一分もなし』(御書九五八ページ)と断言なされたが、私も悪いことなど、何もしていないからです。
 だから、権力は、謀略をめぐらし、無実の罪を着せようとする。
 私は、権力の魔性とは徹底抗戦します。『いまだこりず候』(御書一〇五六ページ)です。民衆の、人間の勝利のための人権闘争です」
 それは、権力の鉄鎖を断ち切った王者の師子吼を思わせた。彼の目には、不屈の決意がみなぎっていた。
 創価学会の歩みは、常に権力の魔性との闘争であり、それが初代会長の牧口常三郎以来、学会を貫く大精神である。(中略)
 それゆえに、学会には、常に弾圧の嵐が吹き荒れた。しかし、そこにこそ、人間のための真実の宗教の、創価学会の進むべき誉れの大道がある。御聖訓には「師子王は百獣にをぢず・師子の子・又かくのごとし」と。
 広宣流布とは、「獅子の道」である。何ものをも恐れぬ、「勇気の人」「正義の人」「信念の人」でなければ、広布の峰を登攀することはできない。そして、「獅子の道」はまた、師の心をわが心とする、弟子のみが走破し得る「師子の道」でもある。
 (「獅子」の章、354~355ページ)


ここにフォーカス/「絶対的幸福」とは
 近年、東京・荒川区や新潟市など、いくつかの自治体が「幸福度」に関する調査と、その向上の取り組みを進めています。国連でも、「世界幸福度調査」を発表しています。
 国連の調査は、国民1人あたりのGDP(国内総生産)や人生選択の自由度など、6項目を数値化して幸福度を算出していますが、幸福の捉え方は一様ではありません。
 小説『新・人間革命』第5巻「勝利」の章には、第9回女子部総会で、女子部のリーダーが、幸福について語る場面が描かれています。
 彼女が語った「幸福観」は、戸田先生が示した「絶対的幸福」「相対的幸福」を踏まえたものでした。
 「相対的幸福」とは、経済的な豊かさや社会的な地位など、自分の外の世界から得られる幸福です。一方、「絶対的幸福」とは、困難や試練にも負けることなく、生きていること自体が楽しいという境涯の確立を言います。
 同章には、こうあります。
 「女性の幸せとは、人間の幸せとは、学歴や財産、あるいは結婚といったことで決まるものではない。すべては、人間として、自分に勝つ強さをもつことから始まる」
 仏法で説く「幸福」は、自分の外にあるのではなく、自身の胸中にあります。その“幸福の宮殿”の扉を開く実践が、唱題であり、日々の学会活動なのです。


半世紀超す執筆に思う 識者が語る/アメリカの未来学者 ヘイゼル・ヘンダーソン氏
●会長のビジョンは最高の贈り物
 「一人の人間における偉大な人間革命は、やがて一国の宿命の転換をも成し遂げ、さらに全人類の宿命の転換をも可能にする」――池田SGI会長が、このようなテーマを掲げた小説を、長年にわたり執筆し、完結を迎えたことに、心から称賛の意を表したいと思います。
 私は、「人間の変革」に対するSGI会長の信念に、多大な啓発を受けてきました。何よりも会長はこの執筆活動を、人間を抑圧するさまざまな力と戦い、多忙を極める中で続けてこられました。会長が示す未来への人間主義の哲学とビジョンは、人類への最高の贈り物です。
 会長が記しているように、小我を超克し、「共感」と「協調」の方向へと歩みを進めてこそ、私たち人類はすべての生命と共に、この地球上で生を営み続けることができます。
 小説『新・人間革命』では、SGIという組織が、一人一人の「人間の変革」を根本にして、人類の平和の連帯を築いてきた歴史が描かれています。
 いかなる団体も、人間自身のエゴと向き合い、それを乗り越えていくことができなければ、発展はあり得ません。
 これまで私は、さまざまな国のSGIメンバーとお会いしてきました。皆さんは常に、自らのエゴや他者の偏見を打ち破り、異なる人種や文化の人々との「共通点」を見いだし、差異を尊重しようとしてきました。そして、心と心を結び合うことに成功しています。
 私自身の社会活動の原点は、子どもを育てる一人の母親として、環境問題の解決へ立ち上がったことでした。小説の中で池田会長が、リーダーとして果たすべき女性の役割について記されていることに、深い共感を覚えます。
 持続可能な未来を実現するには、女性も男性も対等のパートナーとなり、それぞれに特有の可能性と能力を、最大限に発揮していくことが求められます。
 SGIの運動を率いる女性の方々とお会いして実感することは、どなたも、人間の最良の部分が引き出され、リーダーとして実に優れているということです。また、若い世代の女性が、平和のために行動していることに大きな希望を持ちます。
 SGIの女性の皆さんは、私にとっても大事な啓発の源です。平和と共生の未来を築くために、皆さんがグローバルな運動をリードしてくださることを、心から期待しています。
 Hazel Henderson イギリス生まれ。後にアメリカへ移住し、市民運動家として多くの草の根の活動をリードする。池田先生と対談集『地球対談 輝く女性の世紀へ』を発刊している。

 

 

◆〈世界広布の大道――小説「新・人間革命」に学ぶ〉 第5巻 解説編 
 紙上講座 池田主任副会長


〈ポイント〉
①内発的な自覚を促す
②政治の本当の改革
③人間主義運動の源泉

 

タリアのミケランジェロ広場から望むフィレンツェの街並み(1994年5月、池田先生撮影)。第5巻の「歓喜」の章では、同国の初訪問の様子がつづられている

 今回の「世界広布の大道 小説『新・人間革命』に学ぶ」は第5巻の「解説編」。池田博正主任副会長の紙上講座とともに、同巻につづられた珠玉の名言を紹介する。次回は、第6巻の「基礎資料編」を3月6日付に掲載予定。(第5巻の「基礎資料編」は2月6日付、「名場面編」は13日付、「御書編」は20日付に掲載)


 世界広布は今、各国で目覚ましい発展を遂げています。先月、「欧州広布サミット」が開催されたヨーロッパも「ワン・ヨーロッパ! ウィズ・センセイ!(欧州は一つ! 池田先生と共に!)」を合言葉に、“世界広布の先駆”の使命に燃え、前進しています。
 第5巻「開道」「歓喜」の章は、第4巻に続き、1961年(昭和36年)10月の山本伸一のヨーロッパ初訪問の模様が描かれています。それは、まさに「平和への扉を開き、ヒューマニズムの種子を蒔く、開道の旅路」(7ページ)でした。
 ドイツのブランデンブルク門を視察した伸一は、“30年後にはベルリンの壁は取り払われているだろう”と語ります。同行の友から、その具体策について尋ねられると、伸一は「対話」と「文化交流」の大切さを強調し、「私はやります。長い、長い戦いになるが、二十年後、三十年後をめざして、忍耐強く、道を開いていきます」(11ページ)と決意を披歴します。その言葉のままに、先生は自らが「対話」と「文化交流」の先頭に立ち、欧州広布の道を切り開かれてきたのです。
 また、ドイツの会社の重役たちとの会食会で、伸一は文豪ゲーテの『ファウスト』を引用し、仏法の人間主義の思想を語ります。そして、互いに歌を披露し合い、心温まる交流のひとときを過ごします。
 この語らいを通し、伸一は「ドイツの人たちが真摯に仏法を求めていることを実感した。また、国境も民族も超えて、互いに共感し合えることを、強く確信」(24ページ)します。
 さらにイタリアでは、ローマの街並みを眺めつつ、「人類の胸中に『永遠の都』ともいうべき生命の黄金の城を築き、世界の平和を打ち立てんとするのが広宣流布である」「それは、断じて成し遂げなければならない創価学会のテーマである」(180ページ)と誓います。
 このほかにも、オランダ、フランス、イギリス、スペイン、スイス、オーストリアの各国で、伸一は、その国の歴史・文化などを通して、広布の未来を展望しています。それは、欧州の友の「原点」となっています。
 このヨーロッパ訪問で、伸一が力を注いだのが、中心となるリーダーを育てることでした。
 ヨーロッパの連絡責任者に任命された川崎鋭治の「何を、どのように進めていけばよいのでしょうか」(92ページ)との質問に、伸一はこう答えます。
 「先駆者というのは辛いものだよ。すべて自分で考え、次々と手を打っていかなくてはならない。誰も頼りにすることはできない。しかし、だからこそやりがいもあるし、功徳も大きい」(93ページ)と。伸一は川崎の自発性、主体性を育むために、あえて具体的なことに触れませんでした。
 「歓喜」の章に「広宣流布の活動の根本をなすものは、どこまでも個人の内発的な自覚である」(同)と記されています。活動を進めるに当たって、協議や意見の調整は大切です。その上で、広宣流布はどこまでいっても、自他共の幸福と平和の実現を「わが使命」と定める「一人」から始まることを、心に刻みたいと思います。


支援活動の意義
 「獅子」の章では、公明党の前身となる政治団体「公明政治連盟」の結成の淵源が記されています。
 伸一は「この政治団体は、学会のためのものではない」(308ページ)と明言した上で、「広く国民の幸福を願い、民衆に奉仕していく、慈悲の精神に貫かれた新たな政治団体」(309ページ)と強調しています。
 さらに議員たちに「地方議会にあっても、どうか、民衆に仕えるという気持ちで、地域住民の手足となってください」「誰からも賞讃されるような、模範を示していってほしい」「民衆を守る獅子となれ――それが私の願いであり、期待です」(314ページ)と万感の思いを語っています。
 ここで、学会の支援活動の意義について2点、確認したいと思います。
 一つ目は、政治を厳しく監視していくことにあります。戸田先生が「心して政治を監視せよ」と叫ばれたのも、劣悪な政治によって民衆が苦しむ事態を放置してはならないとの、仏法者としての強い信念があったからです。
 二つ目は、国民一人一人の良識と意識の向上です。政治の善しあしは、政治家だけによって決まるものではありません。政治家を選ぶ民衆が、政治を決定づけます。
 同章に、「政治の本当の改革は、民衆の良識と意識の向上を抜きにしてはあり得ない。学会は、その民衆を目覚めさせ、聡明にし、社会の行く手を見すえる眼を開かせてきた」(313ページ)とあります。
 一人一人に社会変革の主体者としての自覚を促してきたのが、学会の対話運動です。その誇りを胸に、“創価勝利”を開く対話拡大に挑んでいきましょう。


人権闘争の誓い
 第5巻の最後は、62年(同37年)1月25日、伸一に「大阪事件」の無罪判決が出された場面です。
 57年(同32年)7月3日、伸一は事実無根の選挙違反の容疑で不当逮捕されました。公判は84回に及び、60年(同35年)5月3日の第3代会長就任後も続きました。
 その間、伸一は23回、法廷に立っています。しかし、法廷闘争の心労など、微塵も見せず、世界広布の道を開き、今日の学会の基盤を築きました。
 池田先生は「大阪事件」の裁判について、本年1月の各部代表者会議のメッセージで、弁護士から“有罪を覚悟してほしい”と言われる中、青年部出身の有志が非道な取り調べの不当性を立証するために奮闘したことを紹介されました(本紙1月24日付)。その歴史は、小説『人間革命』第11巻「裁判」の章で詳しく触れられています。
 同章には、「大阪事件」を通して、伸一の胸中に深く刻まれた人権闘争の誓いこそが、「やがて、広く世界をつつみゆく、SGI(創価学会インタナショナル)の新しきヒューマニズム運動の、大潮流をもたらす源泉にほかならなかった」(403ページ)とつづられています。
 世界へ広がる創価の平和・文化・教育運動の源泉には、「大阪事件」を通した伸一の人権闘争への誓いがあったのです。この「誓願」の継承こそ、私たち弟子の使命と責任です。


名言集

●心のオアシス
 一人ひとりの同志が、それぞれの地域にあって、周囲に「共生」と「慈悲」のネットワークを広げていくならば、「人間砂漠」のような現代社会も、心のオアシスへと変えていくことができる。(「開道」の章、75ページ)


●人間の最大の偉業
 人間の最大の偉業とは何か。それは、同じ志をもった人間を残すことです。(「歓喜」の章、138ページ)


●大勝に信仰の大歓喜
 弟子がすべてに勝つ以外にない。自分に勝ち、宿命に勝ち、逆境に勝ち、人間王者になることだ。大勝が仏法を、広宣流布を永遠ならしめる。また、大勝のなかにこそ、信仰の大歓喜がある。(「歓
喜」の章、179ページ)


●新しき時代の幕
 新しき時代の幕は、青年が自らの力で、自らの戦いで、開くものだ。他の力によって用意された檜舞台など、本物の師子が躍り出る舞台ではない。(「勝利」の章、250ページ)


●学会の使命
 本来、権力というものは民衆を守るべきものであって、善良な民衆を苦しめるためのものでは断じてない。社会の主役、国家の主役は民衆です。その民衆を虐げ、苦しめ、人権を踏みにじる魔性の権力とは、断固戦わなければならない。それが学会の使命である。(「獅子」の章、352ページ)
 ※『新・人間革命』『人間革命』の本文は、聖教ワイド文庫の最新刷に基づいています。