〈明日を照らす〉 テーマ:常に師と共に

 人生も広布の戦いも、師弟一体の闘争を(つらぬ)くことが勝利の(よう)(てい)です。今回の「明日を照らす」は、「常に師と共に」をテーマに学びます。

御文

 (われ)ならびに()()()(しょ)(なん)ありとも(うたが)(こころ)なくば、()(ねん)(ぶっ)(かい)にいたるべし。(てん)()()なきことを(うたが)わざれ。(げん)()(あん)(のん)ならざることを()げかざれ。()()()(ちょう)(せき)(おし)えしかども、(うたが)いをおこして(みな)()てけん。()たなき(もの)()らいは、(やく)(そく)せし(こと)をまことの(とき)()するるなるべし。
 ((かい)(もく)(しょう)、新117・全234)

 【通解】私ならびに私の弟子は、(しょ)(なん)があっても、(うたが)う心がなければ、()(ぜん)に仏界に(いた)ることができる。(しょ)(てん)()()がないからといって、疑ってはいけない。現世が(あん)(のん)でないことを(なげ)いてはいけない。私の弟子に(あさ)(ゆう)、このことを教えてきたけれども、疑いを起こして皆、信心を捨ててしまったようである。(つたな)い者の(しゅう)(せい)として、約束したことを、いざという時には忘れてしまうものである。

今こそ“まことの時”と(ふん)()

 我ならびに我が弟子――日蓮大聖人は弟子に対し、一方的に呼びかけたのではありません。この一節に「師弟一体」の仏法の精神が(きざ)まれています。
 ()()()(ざい)中の大聖人が、門下に与えられた重書が「開目抄」です。当時、(はげ)しい(はく)(がい)によって、疑いを起こし、退(たい)(てん)していった弟子も少なくありませんでした。そのような試練に直面する門下に、大聖人は、「(しょ)(なん)ありとも疑う心なくば」と、疑うことなく、私と()()の心で()退(たい)の信心を(つらぬ)けば「自然に仏界にいたる」ことができると、(いっ)(しょう)(じょう)(ぶつ)(よう)(てい)を示されたのです。
 小説『新・人間革命』14巻「烈風」の章において、山本伸一がこの一節を拝して語っています。
 「(だい)(なん)の時こそ、自身の宿(しゅく)(めい)(てん)(かん)(きょう)(がい)(かく)(めい)の絶好の時といえる。ゆえに、(いさ)んで難に挑む、勇気がなければならない」
 「どうか、皆さんは『まことの時』に、(かん)(ぜん)と立ち上がり、私とともに、学会とともに戦い、広宣流布の勇者として、自身の(ほま)れの歴史を築いていってください」
 人生と広布の途上で、(なん)(きょく)に直面した時、今こそ、わが「まことの時」と(ふん)()したい。師と共に、同志と共に、信心の底力を(はっ)()してこそ、幸福境涯は開かれ、広布と自身の(かがや)かしい歴史を築くことができるのです。

御文

 よき()()()()きんば、()(てい)(ぶっ)()にいたり、()しき()()()くわいぬれば、()(てい)()(ごく)()つといえり。()(てい)(そう)()せば、なに(ごと)()すべからず。
 (()()(じょう)(じゅ)()(しょ)、新1211・全900)

 【通解】よい弟子をもつならば、師弟は共に成仏し、悪い弟子を(やしな)うならば、師弟は共に地獄に()ちるといわれている。師匠と弟子の心が(ちが)えば、何事も(じょう)(じゅ)することはできない。

師弟の(ちか)いを受け継ぐ

 創立以来、創価学会は師弟の精神を(じく)に歩みを進めてきました。
 本抄は日蓮大聖人が、若き日の兄弟子であった(じょう)(けん)(ぼう)()(じょう)(ぼう)に送られたお手紙です。御執筆の2年前、大聖人が仏門に入られた時の師匠であった(どう)(ぜん)(ぼう)()くなっています。道善房は、大聖人が折伏したものの、最後まで念仏への(しゅう)(ちゃく)を断ち切ることができませんでした。そのような師でも、大聖人は「よき弟子」の道を歩み通されました。
 それはなぜか。“よき弟子をもてば、師弟は共に成仏する”と(おお)せです。弟子が(ぶっ)()を得ることで、その()(どく)によって師匠をも救うことができるからにほかなりません。弟子の勝利が師匠の勝利を決定づけるのです。
 池田先生はつづっています。
 「何があろうと、牧口先生、戸田先生を広布の永遠の師匠と(あお)いで戦い抜く。この不動の一点に立つゆえに、私はいかなる(なん)にも断じて負けなかった。時を超え、国を超えて、師弟の(ちか)いは脈々と受け継がれている」
 私たちは、創価の三代会長によって貫かれてきた師弟の(せい)(がん)を、感謝の思いで受け継ぎたい。その一念と闘争の中にこそ、(ふく)(うん)()まれていくのです。

御文

 ただ(こころ)こそ(たい)(せつ)なれ。いかに日蓮()のり(もう)すとも、()(しん)ならば、()れたる()()ちに()()()くるがごとくなるべし。()げみをなして(ごう)(じょう)(しん)(りき)()だし(たも)うべし。()ぎし(ぞん)(めい)()()()()もわせ(たま)え。
 (()(じょう)(きん)()殿(どの)()(へん)()()()(きょう)(へい)(ほう)(こと)〉、新1623・全1192)

 【通解】ただ心こそ大切である。どれほど日蓮があなたのことを祈ったとしても、あなた自身が不信であるならば、()れた()(くち)(火打ち石を打ちつけて出た火を移し取るもの)に火を付けるようなものである。自身を励まして、(ごう)(じょう)に信力を(ふる)い起こしていきなさい。過日、命を(なが)らえることができたのは、()()()なことであると思っていきなさい。

()()の「(せい)(がん)」と「祈り」を

 どこまでも、師と同じ「心」で、(ごう)(じょう)な「祈り」を(つらぬ)くのだ!
 四条金吾は当時、(どう)(りょう)(ねた)まれ、命をも(ねら)われる状況にありましたが、日蓮大聖人の指導・激励を(かて)として()(きょう)(だっ)することができました。
 本抄は、金吾の勝利の報告に対する大聖人の御返事です。お手紙の冒頭で大聖人は、金吾が()(だん)からの(よう)(じん)、勇気、強き信心の故に難を(のが)れることができたと(たた)えられています。師の真心に、金吾の感動は、いかばかりだったでしょうか。
 師弟不二の信心で難を乗り越えた金吾に、あらためて大聖人は、「心こそ大切」であると教えられています。
 池田先生は、次のように講義されています。
 「『心こそ大切』の『心』とは、『師弟不二の心』であるということです。師匠は常に弟子の勝利を祈ってくれている。弟子が今こそ、強盛な信心を奮い起こしていきなさいと教えられているのです。どこまでも『師弟不二の心』で、『師弟一体の祈り』を(つらぬ)き通していくことこそ、いかなる苦難や困難をも勝ち越えゆくための信心の(よう)(てい)なのです。また、ここに『法華経の兵法』の(かん)(よう)があります」
 わが地域の広宣流布、立正安国を断じて実現するという「師弟一体の(せい)(がん)」こそ、前進の原動力にほかなりません。そして、「私は勝ちました!」と胸を張って宣言できるよう、「師弟一体の実践」を、今いる場所で貫いていきましょう。