〈明日を照らす〉 テーマ:(そう)(めい)()()

 友を思いやる祈りと聡明な()()いこそが、連帯の(きずな)を結び、広宣流布を進める(かなめ)です。今回の「明日を照らす」は、「(そう)(めい)な振る舞い」をテーマに学びます。

御文

 (とも)()うて(れい)あれとは、(とも)(だち)(いち)(にち)(じゅう)()()(じゅう)()(きた)れる(ひと)なりとも、(せん)()()(せん)()(きた)れる(ひと)のごとく(おも)うて、(れい)()いささか()ろかに(おも)うべからず。
 ((うえ)()殿(どの)()(しょう)(そく)()(とく)()(おん)(こと)〉、新1850・全1527)

 【通解】「友に会ったら(れい)()(ただ)しくあれ」というのは、友達で1日に10度、20度(たず)ねてくる人であっても、千里、2千里も遠方から(たず)ねて来る人のように思って、少しも礼儀を()くようなことがあってはならない、ということである。

身近な人を(たから)のごとく大事に

 広宣流布は、どこまでも目の前の一人への「(せい)(じつ)()()い」から始まります。
 日蓮大聖人は(ほん)(しょう)で、当時17歳だった(わか)き門下・(なん)(じょう)(とき)(みつ)に“たとえ身近な親しい人であっても、決して(れい)()を欠くことなく、(せい)(じつ)()くしなさい”と、人間としての(そう)(めい)()()いの在り方を(てい)(ねい)に教えられています。
 法華経には、「(とう)()(おん)(ごう)(とう)(にょ)(きょう)(ぶつ)(まさ)()って(とお)(むか)うべきこと、当に(ほとけ)(うやま)うが(ごと)くすべし)」とあります。どのような人に対しても、かけがえのない(とうと)(そん)(ざい)であると敬い、(れい)()を持って(せっ)していくことが大事なのです。
 池田先生は、語っています。
 「身近な人が大切である。その人を(たから)のごとく大事にすることである。そして、だれに対しても誠実に、礼節をわきまえて接することである。誠実ほど強いものはない。私も世界に友人をつくった。『誠実』ひとつで、つくったのである。誠実で築いたものは、(こわ)れない。(さく)でつくったものは、やがて(くず)れる」
 私たちが誠実で築いていくのは、友情の連帯です。(しん)(らい)(きずな)で強く結ばれた人と人のつながりでしか、時代を(おお)う“分断の()(しょう)”を打ち破り、広宣流布を進めていくことはできません。
 親しい友への“最高の振る舞い”こそが、いかなることがあっても(くず)れない(ぜん)の連帯を築く――そう心に決め、(さわ)やかに語らいを広げていきましょう。

御文

 (よろこ)ばしいかな、(なんじ)(らん)(しつ)(とも)(まじ)わって()()(しょう)()る。
 ((りっ)(しょう)(あん)(こく)(ろん)、新43・全31)

 【通解】なんと喜ばしいことだろうか。あなたは、(かお)(たか)い蘭室の友に交わって(かん)()され、(あさ)(ばたけ)()える(よもぎ)のようにまっすぐな性質になった。

相手の仏性を()()ます

 “国土を(あん)(のん)にし、民衆の苦悩を解決するには、どうすればよいのか”――こうした「主人」と「客」の“(うれ)いの共有”から、「(りっ)(しょう)(あん)(こく)(ろん)」は始まります。
 主人は“正しい思想、哲学を人々の胸中に打ち立てるべきである”と(せい)(じつ)に言葉を重ね、真実を語っていきます。客は共感し、考えを大きく改めました。その客の変化に対する主人の言葉が、この()(もん)です。
 御文の前の部分には、「(はと)()して(たか)となり、(すずめ)(へん)じて(はまぐり)となる」(新43・全31)と主人が喜んで発言しています。鳩が鷹になり、雀が蛤になるように、(らん)(かお)りが()み、(よもぎ)がまっすぐに()びるように――客は、主人の真心を()くした対話によって、大きく考えを変化させたのです。“理路整然と(ねば)(づよ)く語っていけば、必ず相手に伝わる!”――対話において重要な信念を、ここから学ぶことができます。
 池田先生は、教えています。
 「『創価の対話』には、相手の(ぶっ)(しょう)を信ずる(ちから)が備わっています。相手の仏性を()()ましてこそ、自他共の真の幸福を実現できるのです。この自他共の仏性を信ずる『確信の共有』が、いかなる()()()えて、『幸福の共有』となり『平和の共有』となる。これこそ世界で求められている対話の(しん)(ずい)ではないでしょうか」
 目の前の友を心強い味方へと変えることが、立正安国の道を開くのです。

御文

  (いち)(だい)(かん)(じん)()()(きょう)()()(きょう)(しゅ)(ぎょう)(かん)(じん)()(きょう)(ほん)にて(そうろう)なり。()(きょう)()(さつ)(ひと)(うやま)いしは、いかなることぞ。(きょう)(しゅ)(しゃく)(そん)(しゅっ)()(ほん)(かい)(ひと)()()いにて(そうら)いけるぞ。あなかしこ、あなかしこ。(かしこ)きを(にん)()い、()()きを(ちく)という。
 (()(しゅん)(てん)(のう)()(しょ)(さん)(しゅ)(ざい)(ほう)()(しょ)〉、新1597・全1174)

 【通解】(しゃく)(そん)一代の説法の肝心は法華経であり、法華経の修行の肝心は不軽品である。不軽菩薩が人を敬ったことには、どのような意味があるのだろうか。教主釈尊の出世の本懐は、人として振る舞う道を説くことであったのである。くれぐれも、よくお聞きなさい。賢きを人といい、(おろ)かを畜生というのである。

広布とは(しん)(らい)(きずな)を結ぶこと

 人を(うやま)()()いこそ、仏がこの世に出現した根本目的である。(そう)(めい)な行動を心がけなさい――日蓮大聖人が、()(じょう)(きん)()に教えられた御文です。
 その()(はん)姿(すがた)として、()(きょう)()(さつ)(じっ)(せん)を挙げられています。不軽菩薩は、どんなに人々から(あっ)()()()されても、人々への(らい)(はい)(ぎょう)(つらぬ)き、妙法を(さと)って生命が清らかになる((ろっ)(こん)(しょう)(じょう))という()(どく)を得て、成仏しました。
 他者の(ぶっ)(しょう)を確信し、敬うことは、万人に仏性が(そな)わると説く法華経の精神を(たい)(げん)することになります。人を敬う振る舞いは、(しん)(こう)(じっ)(せん)なのです。
 その上で、小説『新・人間革命』第28巻「大道」の章には、この御文を(はい)して、次のようにつづられています。
 「人びとを敬い、幸せの大道へと導き、(はげ)ます振る舞いのなかに、仏法者の生き方があり、そこに仏道修行もあるのだ。(中略)広宣流布とは、見方を変えれば、仏法の法理を各人が、()()自身の生き方、(てつ)(がく)として体現し、(しん)(らい)(きずな)をもって人びとと結ばれていくことであるといってよい。その輪を広げ、人間を(たっと)び、(まも)()う、生命(そん)(げん)の時代、社会を築き上げていくことが、創価の()()の重要な使命となる」
 「人を敬う」という生き方を(つらぬ)く先には、信心で(みが)かれた人格の(かがや)きがあります。その輝きが、人々との信頼の絆を結んでいきます。