〈明日を照らす〉 テーマ:祈りから始まる

 私たちの広宣流布と人間革命の戦いも、祈りから全ては始まります。今回の「明日を照らす」は、「祈りから始まる」をテーマに学びます。

御文

 いかなる世の乱れにも(おの)(おの)をば法華経・(じゅう)()(せつ)助け(たま)えと、湿(しめ)れる木より火を()だし、(かわ)ける土より水を(もう)けんがごとく、(ごう)(じょう)に申すなり。
()(しゃく)(ほう)(ぼう)(めつ)(ざい)(しょう)、新1539・全1132)

 【通解】どのように世の中が(みだ)れていても、あなた方のことを「法華経や(じゅう)()(せつ)(にょ)よ、助け給え」と、湿(しめ)った木から火を出し、(かわ)いた土から水を得ようとする思いで(ごう)(じょう)に祈っている。

御本尊は()(りょう)(ちから)()めている

 流罪地の()()におられた日蓮大聖人が、()(じょう)(きん)()に送られたとされるお手紙の一節です。(だん)(あつ)()っている門下を思いやられる()(しん)(じょう)がつづられています。
 ()(つう)に考えれば、遠く(はな)れた鎌倉の門下を守ることは不可能です。しかし大聖人は、()れた木から火を起こし、カラカラに(かわ)いた土から水を()き出させて見せる――それほど(ごう)(じょう)に、“(しょ)(てん)(ぜん)(じん)よ、わが弟子たちを(まも)りに護れ!”と祈っていると(おお)せです。
 不可能を可能にした「大阪の戦い」。小説『人間革命』第10巻「一念」の章には、戦いの出発の会合の様子が記されています。当時の(じょう)(きょう)が、いかに勝利からかけ離れていたかを知った時、大阪のリーダーたちは、みるみる(しつ)(ぼう)の色を()かべます。その時、山本伸一はこの一節を(はい)し、語りました。
 「今、私たちの置かれた立場や、合理的な考えに慣れてしまった()(のう)では、不可能と思うでしょう。しかし、()(りょう)の力を御本尊は()めていることを、日蓮大聖人は、明確に教えていらっしゃる。これを信じるか信じないかは、私たちの問題です」
 「全員の祈りがそろって、御本尊に向かった時、不可能を可能にする道が、(かつ)(ぜん)と開けるのは当然です」
 どんな()(なん)(しょう)(がい)があろうとも、私たちには、師弟不二の信心がある!――無敵の祈りを根本に、今再びの(みん)(しゅう)(がい)()(とどろ)かせていきましょう。

御文

 (こうべ)()れば()()るぐ。心()たらけば身()ごく。大風()けば(そう)(もく)()ずかならず。大地()ごけば大海()わがし。(きょう)(しゅ)(しゃく)(そん)をうごかし(たてまつ)れば、ゆるがぬ草木やあるべき、さわがぬ水やあるべき。
(にち)(げん)(にょ)(ぞう)(りゅう)(しゃ)()(ぶつ)()(よう)()、新1610・全1187)

 【通解】頭を振れば(かみ)()らぐ。心が働けば身体が動く。大風が吹けば草木も揺れる。大地が動けば大海も(さわ)ぐ。同じように教主(しゃく)(そん)を動かせば、揺るがぬ草木があるだろうか、騒がない水があるだろうか。

(しょ)(てん)(ぜん)(じん)を目覚めさせる信心を

 日蓮仏法は、(しょ)(てん)(ぜん)(じん)()()を待ちわびるだけの弱々しい(しん)(こう)ではありません。“断じて勝つ!”との(せい)(がん)の祈りで、(だい)()(ちゅう)をも()(うご)かしていく信心です。
 ここで(おお)せの「(きょう)(しゅ)(しゃく)(そん)」とは、宇宙と生命を(つらぬ)く根本の法である南無妙法蓮華経と一体の仏のことです。
 御本尊に(ごう)(じょう)に祈り切り、広布に(ゆう)(かん)に戦い切っていく時、そのはつらつたる生命の(やく)(どう)は、一念三千の原理で必ずや(かん)(きょう)をも変えていきます。
 池田先生はつづっています。
 「わが一念には、(こう)(だい)な宇宙をも包む広がりがある。この生命を()(しぼ)っての正法正義の祈りは、諸天も動かさずにはおかない」
 「私たちが(しん)(けん)に祈って、語りゆく言葉が、友の心に(ひび)かないわけがない。ゆえに、大きな大きな心で友情を育みゆくことだ」
 諸天善神をも目覚めさせる(けつ)(じょう)した祈りこそ、広布と人生の勝利を開く(よう)(てい)です。

御文

 苦をば苦と()とり、(らく)をば楽と()らき、苦楽ともに思い合わせて南無妙法蓮華経と()()なえ()させ(たま)え。これあに()(じゅ)(ほう)(らく)にあらずや。
 いよいよ(ごう)(じょう)(しん)(りき)()たし(たま)え。
()(じょう)(きん)()殿(どの)()(へん)()(しゅ)(じょう)(しょ)(ゆう)(らく)()(しょ)〉、新1554・全1143)

 【通解】苦を苦と(さと)り、楽を楽と開き、苦しくても楽しくても南無妙法蓮華経と唱えきっていきなさい。これこそ自受法楽ではないか。
 ますます強盛な信心を(つらぬ)いていきなさい。

無限の希望 絶対の安心

 「祈りとは、()けじ(だましい)です。
 祈りとは、無限の希望です。
 祈りとは、絶対の安心です。
 祈りとは、()(くつ)の前進です。
 祈れることが最大の幸福であり、人間としての最高の(そん)(げん)なのです」――池田先生は、こうつづっています。
 多くの同志が、この御文の一節を(むね)(きざ)み、唱題に(はげ)み、人生の(あら)(なみ)を勝ち()えてきました。
 本抄を(いただ)いた()(じょう)(きん)()は当時、主君の()()氏を(しゃく)(ぶく)したことで()(きょう)を買い、反感を(いだ)いていた(どう)(りょう)からの(ざん)(げん)も加わって、苦境のただ中にありました。その金吾に対して、「法華経を(たも)(たてまつ)るより(ほか)(ゆう)(らく)はなし」(新1554・全1143)等と、人生の(しん)(ずい)を教えられているのが本抄です。
 「()(じゅ)(ほう)(らく)」とは、法楽(法の楽しみ)を自由自在に受けきっていける(きょう)(がい)のことです。苦しみも、喜びも、思い合わせて題目を唱えきっていく――その生命自体が仏の(きょう)(がい)です。信心を(つらぬ)く人は(だれ)が何と言おうが、最後は必ず勝利するのです。
 先生は強調しています。
 「絶対の法に(のっと)り、()るぎない確信に立った幸福な人生を歩める。他の(だれ)でもない、自分自身が必ずそうなるのです」