〈地理学者・牧口常三郎の「人生地理学」――その精読の試み〉1 東京学芸大学名誉教授 斎藤毅2024年4月21日

  • 人間と環境の相互関係を探究 郷土観察こそ世界を理解する起点

牧口常三郎先生(1871~1944年)。人生の大半を地理教育者として過ごした

牧口常三郎先生(1871~1944年)。人生の大半を地理教育者として過ごした

 
地理学者としての不動の地位を確立

 創価教育学会の創始者として知られる牧口常三郎師は、若き日に大著『人生地理学』を出版され、在野の地理学者として不動の地位を確立されました。
 
 さらに、教育界に深く関与された牧口師は、教育現場での多くの実践を踏まえて、学校教育、とりわけ初等・中等教育における地理学や地理的思考を育成する重要性を強調され、その研究に心血を注がれたのでした。
 
 そのため、地理教育論について、長年、研究を進めてきた私にとって、師は大先輩と言えるでしょう。
 
 『人生地理学』に示された、現代に通じる師の卓見など、本書のごく一部の内容を本紙の以前の連載【注1】でご紹介しました。その際、多くの読者から本書への強い関心をお寄せいただいたのは、うれしい限りです。
 
 今回は本書をもう少し深く掘り下げ、特に現代の視点に立ちながら、改めて全編にわたり、読者と共に読み直していきたいと思います。

『人生地理学』の初版本。牧口先生が32歳の時に発刊(1903年10月)

『人生地理学』の初版本。牧口先生が32歳の時に発刊(1903年10月)

 
 牧口師は先にも触れましたが、地理学の教育的作用、あるいはその効果に着目されていました。『人生地理学』の第4編「地理学総論」に「地理学の研究法」や「地理学の効果および必要」の章が設けられ、地理教育の必要性が説かれています。
 
 近年、わが国でもようやく地理教育の重要性に気付き、高校のカリキュラムでは「地理歴史科」が社会科の軛を脱して独立し、「地理総合」が必修化されました。本来ならば、これに対応して、小・中学校の社会科に埋没している「地理」や「歴史」を諸外国のように独立させ、「地理歴史科」として、より体系的な地理教育を目指す必要があります。
 
 子どもたちが早い時期から国際感覚を身に付けるためにも、地球環境保護の重要性に気付くとともに、現代世界への関心を体系的に高めるためには、地理や歴史が小・中学校の社会科に属している限り困難だからです。こうした問題も、この連載では漸次、具体的に取り上げていきたいものです。
 
 『人生地理学』の哲学的部分をはるかに望みながらも、日常的に地理学的な見方や考え方を活用し、人生をより豊かにする手だてを本書から一緒に学んでいきましょう。
 

「人生」と「地理学」

 1000ページを超える浩瀚な『人生地理学』の刊行は1903年(明治36年)、日露戦争の前年に当たります。その後、版を重ね、手元にある聖教文庫は1905年刊行の第5版によっています。
 
 本書はまず、志賀重昂【注2】の「原版の序」(推薦の辞)に次いで、初めて聞く人が少々、戸惑いのある『人生地理学』の書名の意味するところや、推薦の辞を寄せてもらった志賀への謝辞を含む「例言」から始まります。
 
 そこでは「本書の題名については、いまだ従来に慣例を見ざるところ、おそらくは世の異感を惹かん」とあり、書名には苦慮されたようです。しかし、牧口師は「人生」を「人間の生活」としているので、「人生と地理学」のように、間に「と」を入れて考えれば、意図されたところが容易に理解できると思います。
 
 師はさらに、「人間の生活」とは「人類の物質的および精神的の両方面の生活を意味」し、「人類社会の生活のこれら諸方面と地理との関係を論ずること」が本書執筆の目的であると記しています。
 

緒論について

牧口先生の故郷、新潟県柏崎市荒浜。先生は「もとこれ荒浜の一寒民、漂浪半生を衣食に徒消(としょう)して、いまだいささかの世上に貢するものなし。しかるに一度(ひとたび)想いをこの微賤(びせん)の身辺に注(そそ)げば、端なく無量の影響に愕然(がくぜん)たらずんばあらず」と

牧口先生の故郷、新潟県柏崎市荒浜。先生は「もとこれ荒浜の一寒民、漂浪半生を衣食に徒消(としょう)して、いまだいささかの世上に貢するものなし。しかるに一度(ひとたび)想いをこの微賤(びせん)の身辺に注(そそ)げば、端なく無量の影響に愕然(がくぜん)たらずんばあらず」と

 
 「緒論」は、本論に入る前の序論です。「地と人との関係の概観」「観察の基点としての郷土」「いかに周囲を観察すべきか」の各節から構成されています。
 
 「地」とは、広く「環境」を指すと見てよいでしょう。
 
 地理学は当時、まずは人間生活と当該地域の環境との関わりを明らかにするものと考えられ、第2編「地人相関の媒介としての自然」に見られるように、牧口師も「地人相関」の言葉をよく用いられています。「地と人との関係や、言うまでもなく非常なる大問題に属せり(中略)現に吾人は知らず識らず、不十分ながらも相応にこれが解釈をなして、各自をこの理法に適応せしめ、もってこの世に生活しつつあるを観るべし」
 
 そして、地と人間の関係を見る最適の場所こそ「郷土」であるとしました。「実にこの猫額大(=猫の額ほどに狭いこと)の一小地において、その大要を顕わせり」として、郷土観察の重要性を強調し、“郷土観察を詳しくすれば世界を達観することができる”とまで言われています。
 
 ここで注意すべき点は、あくまでも郷土を「観察の基点」としていることです。その理由を「地理学研究の順序としてまず郷土の精細なる観察をなし、一般の地理的現象に適用せらるべき原理を帰納し、確定せんとする所以なり」と説明しています。
 
 また、郷土は「平時においてなんらの感覚もなく経過するを常とすれども、一たび決意郷関(=郷里)を出ずるにおいて、たちまち懐郷(=望郷)の念の湧然として胸中に迸出する」とし、「青海原/ふりさけ見れば/かすがなる/三笠の山に/出でし月かも」と、唐の高官となりながら帰国がかなわなかった阿倍仲麻呂の和歌を挙げています。
 
 このように、地理学の専門書としては珍しく、随所に詩歌などの古典を引用し、地と人との関係の理解を促す試みが見られるのも、本書の特色の一つと言えます。

郷土と人間生活との関係を解明するグループ「郷土会」メンバーと記念撮影。前列左端が牧口先生、同右から2人目が柳田國男、左上の囲みが新渡戸稲造(1922年5月)

郷土と人間生活との関係を解明するグループ「郷土会」メンバーと記念撮影。前列左端が牧口先生、同右から2人目が柳田國男、左上の囲みが新渡戸稲造(1922年5月)

 
 都市化の著しい現在、人々の郷土観は変化したようにも見えますが、高校野球や郷土出身の力士への熱狂的な応援を目の当たりにすると、地理学の研究を進めたり、地理学的な思考を深めたりするための原点として、郷土はなお十分に活用できそうです。
 
 なお、ここで牧口師が問題としているのが「郷土」の範囲になります。最も分かりやすいのは、生まれ育った市町村。幼い頃からの多様な思い出が詰まり、いわば直接、触れることのできる範囲でしょうか。子どもの頃、仲間たちと走り回った、あの砂利の多い河原が実は「扇状地」の一部だと知ったり、海岸からやや離れた、あの松ぼっくりを拾った小高い松林が実は縄文海進期に形成された「古砂丘」だと分かったりした時などには、誰しも知的満足が得られるに違いありません。そうした「郷土」としての市町村は、容易に道府県にまで拡大されます。東京などに多くの県人会があることによっても、このことは明らかです。
 
 一方、郷土の学習は、世界とのつながりを実感できる場ともなり得ます。
 
 街のスーパーでは、商品に原産地表示が義務付けられているため、そこでは、グアテマラ産のバナナ、アイスランド産のシシャモ、カナダ産の蜂蜜などが所狭しと並んでいます。これらを教材とした実践研究例も、既に報告されています。確かに、これによって、日本の衣食住が世界の国々と直結していることは漠然とは理解できます。しかし、社会科では、この学習はそこまでです。本格的な世界地理学習の場が小学校で期待されるところです。
 
 次回は、いよいよ本論の第1編「人類の生活処としての地」を読んでいきましょう。
 

 【プロフィル】 さいとう・たけし 1934年、東京生まれ。理学博士。東京学芸大学名誉教授。専攻は地理学、地理教育論。日本地理教育学会元会長、日本地理学会名誉会員。著書に『漁業地理学の新展開』『発生的地理教育論――ピアジェ理論の地理教育論的展開』など多数。

 【注1】 本紙2020年4月30日付から同年11月18日付まで掲載された連載「『人生地理学』からの出発――自己を知り、豊かな世界像を築くために」(全8回)。牧口常三郎先生生誕150周年記念出版『「人生地理学」からの出発』(鳳書院)は、この連載をもとに増補し、再構成したもの。

斎藤毅著『「人生地理学」からの出発』(鳳書院)

斎藤毅著『「人生地理学」からの出発』(鳳書院)

 
 【注2】 1863年~1927年。地理学者。札幌農学校卒。世界各地を巡遊。著書に『日本風景論』など。『人生地理学』の推薦の辞には、志賀が同書の校閲と批評に半年余りかけたことを述べ、「この著につきまた予の加うべきものなし」「君が志を大成するの日来(きた)るや必(ひつ)せり」と書いている。