〈いのちのさん 心にきざむ一節〉 テーマ:おうばいとうかがや

 かく「いのちのさん 心にきざむ一節」では、せいくんむねに、宿しゅくめいに立ち向かってきた創価学会員の体験をしょうかいするとともに、池田先生の指導をけいさいする。今回は「おうばいとうかがやき」がテーマ。神奈川県さがはら市の家族に話を聞いた。

御文

 せんごうおもこんじょうきずして、らいごくくべきが、今生にかかるじゅうそうらえば、地獄のくるしみぱっとえて(てんじゅうきょうじゅほうもん、新1356・全1000)

通解

 過去世でつくった宿しゅくごうが重くて、現在の一生では消しくせず、未来世に地獄の苦しみを受けるはずであったものが、こんにおいて、このような(法華経ゆえのだいなんという)重い苦しみにあったので、地獄の苦しみもたちまちに消えて……。

苦労は全てわが家のたからもの

子のじゅくもうまくしょう、一家のけいざい

 流産に、死産。子のじゅくもうまくしょう。多額のさい。これでもかとせる試練の波に「あらがうすべはしょうだいしかなかった」と話す、みつひろさん(61)=総県長。妻・陽子さん(61)=女性部副本部長=とにんさんきゃくの信心でえたしんげんとう。その先に見いだした、和楽の春景色とは――。
       ◇
 創価大学同級生の夫婦は、たがいに28歳でけっこん。同年、陽子さんはにんしんするが、数週間後に流産。次に授かった息子は死産だった。
 絶望とそうしつかん。光井さんは「御本尊の前にすわっても、なみだが次から次にあふれて」。“なぜなんだ。なぜ、わが家ばかり……”。声にならない声で、ただ祈るしかなかった。
 その後、陽子さんは3人目の子を妊娠。早産のリスクがあったため、入院して子宮のしゅうしゅくおさえる薬をてんてきとうすることに。1994年(平成6年)、予期せず陽子さんのじんつうが始まり、長女・さん(30)=華陽リーダー=が小さな産声を上げた。
 出産予定日より3カ月も早く、812グラムのちょうていしゅっせい体重児。見守る夫婦の目の前で、むすめはすぐにNICU(新生児集中りょう室)へ。命のだっしたが、「未熟児網膜症」をはっしょうし、りょうのかいなく両目の光を失った。
 「事実を知った時は言葉が出なくて」。光井さんは打ち明ける。それでも、陽子さんが「どんな姿すがただろうと、わが子はわが子。生まれてきてくれて本当によかった」と明るく話す姿に、“そうだ。御本尊に祈って授かったのだから、必ず使命のある子なんだ”――絶対に幸福な家族になる、と心に決めた。
 とはいえ、子育てはなやみの連続。ぜんもうの娘のしょうらいに不安もあった。夫婦で信心のせんぱいに相談すると、「題目の雨をらせるんです。悩みを全部、あらながすように祈っていくんです」。確信の言葉に、夫婦の祈りは深まった。
 その後、光井さんの転職にともない、神奈川から埼玉へ、東京へと家族で転居。
 裕美さんも盲学校の転校をかえしたが、母親ゆずりの明るい性格。行く先々で良い友達や教師にめぐまれた。学校では何事にも積極的に取り組むようになり、親の心配をよそに、同級生たちと元気に成長していってくれた。
 しかし、今度は光井さん自身が試練におそわれる。リーマン・ショックこう、光井さんのつとさきの経営がかたむき、とうとう給料もストップ。再起を図って、相模原市内に家族で戻った。会社を退職し、ちょちくくずしながら転職活動に励むも、50歳手前というねんれいかべとなり、働き口は見つからなかった。
 裕美さんは高校生。自宅のローンも残っていた。「明日、どう生きようかと悩む日々。まさにごくにいるようでした」
 苦しみの底で重ねる祈り。この時にはいしたのが、「せんごうおもこんじょうにつきずして」(新1356・全1000)から始まる御書の一節だった。「歯を食いしばり、信心で絶対に打開するぞと自らに言い聞かせたんです」
 夫婦で広布に戦いながら、転職活動を。すると思わぬえんが。裕美さんのしょうがいを知る人のつてで、市内にある障がいふくサービスのNPO法人を紹介してもらえ、「光井さんなら」とようが決まったのだ。光が差した。
 その後、前職の会社がとうさん。役員を務めていたため多額の負債をうことに。しかし、祈り抜いた末、自宅を希望以上の条件でばいきゃくでき、ローンと負債をかんさい。「地獄の苦しみぱっときえて」(同)。せいくんが、光井さんの命にみた。
 盲学校を卒業した裕美さんは障がい福祉サービスに入り、現在、使命の道をみしめる。
 「娘の障がいがなければ今の仕事はない。あのけいざいがなければ、私はうすっぺらな人間になっていたでしょう。悩んで悩んで、それでも信心をつらぬいたからこそ、使命の人生を見いだせた。全てを“意味あるもの”に変えていけるのが、この信心だと確信します」

 さんはもうがっこう時代、英検やしゅざん検定にちょうせん。数年前から、歌とピアノのレッスンを受けており、今では、かいせつや学会の会合でも歌声をろうしているという。
 6年前には青年部教学試験1級を受験。勉強会での講義を録音して聞きながら、御書を点字で打ち、覚えた。「大変だったけど、合格して、両親や同志のみなさん、そして池田先生に勝利を報告できたことがうれしかった」。盲学校時代の友人などとも交流し、しんらいを広げている。
 そんな娘をやさしく見つめる陽子さんにも、子宮きんしゅひんみゃくせい不整脈を大きな手術でえた経験がある。「一番のどくは、題目でびょうと向き合って、御本尊への『信』を深めたこと」とちからを込める。
 池田先生は教えている。
 「人がどう評価するか、それはどうでもよい。また、一時の姿すがたがどうかということでもない。要するに、最後の最後にかいしんみを満面にかべられる人生かどうかである」(池田大作先生の指導選集〈上〉『幸福への指針』)
 光井さんの原点は創価学園時代。高校2年生の時、創立者・池田先生の前で学園愛唱歌(当時)の「けじだましいここにあり」をろうする機会が。創立者と目が合ったしゅんかん、「“信じているよ”と言っていただいた気がして」。あふれるなみだの中で歌い上げ、しょうがい退たいを心にちかった。創大時代は大学の歴史や伝統をつくるべくじんりょくたからの学友とは今もせったくする。
 NPO法人に就職後、働きながら勉強し、ふく関係の資格を複数取得。せつちょうて、昨年5月、四つの事業所をかかえる同法人の理事長にしゅうにんした。
 「これまでなやみ苦しんだ分、相手の心に本気でえる自分自身になれたんです。そう思うと、感謝しかありません」
 一家でかせる笑顔のたいりんげんかんの試練に負けない限り、人生勝利の春は必ず来る。「だから、苦労の一つ一つが、わが家のたからものです」

[教学コンパス]

 「健康で幸せな生活を送るには、よい人間関係が必要」――米ハーバード大学の研究者らが、同一家族を3世代にわたってついせき調査し、1300人ちょうのデータから導き出したけつろんだ(児島修やく『グッド・ライフ』辰巳出版)。よい人間関係、すなわち心が通い合う関係にめぐまれた人は、心身が健康になり、せいぞんりつが高まるという。だからこそ“人間関係を築くこと自体が、人生の目的でもある”とちょしゃは強調している。
 仏典には、“き友を持つことは仏道修行の半分に相当するか”と弟子に問われたしゃくそんが、“善き友を持つことは、仏道修行の全て”と答える場面が。日蓮大聖人は「なきものなれども、たすくる者つよければたおれず」(新1940・全1468)とおおせだ。人生の道はへいたんではない。ふくもあれば悪天の日もあろう。しかし、支えとなる“ぜんゆう”がいれば、たおれず歩みくことができる。その感謝が「次は私がだれかの善友に」と――。善から善へ。心と心をむすぶわれらのごくぜんはげましで、幸福社会のいしずえを築きたい。(優)