〈世界の体験〉 2024年4月12日

  • 〈Tomorrow〉

インド創価学会 ディビカ・チャタルベディさん

 ある日、ディビカ・チャタルベディは家族の前でせんげんした。

 「私、えいかんとくになるから」

 父親は言葉をうしない、母親はいかりにふるえた。

 無理もない。ゆうしゅうな大学を出て、安定したぎょうで働く。父も母も、それが“成功”だと考えていた。

 だがディビカは、かれたレールを歩く毎日にいやが差し、新卒でつとめた会社を2年で退職してしまった。

 おさなころから、アートにせられてきた。社会人になり、あこがれは、確かなりんかくをもった目標へとふくらんでいく。

 「私をき動かしたのは、19歳の時に始めた創価学会のしんこうです。夢は大きすぎるくらいでいい。そう教わってきました」

 何より、小説『新・人間革命』第5巻「かん」の章に、大きなえいきょうを受けた。

 ――周囲のしっや仕事上のこんなんくっせず、芸術のちからでキリスト教思想を広げたミケランジェロ。同章の中で池田先生は、彼のぎょうせきを通し、こう記している。

 「仏法という生命の大法の世界も、それを表現するわざをもってこそ、共感と理解を広げることができる」「やがて創価の友のなかからも、あまたの“妙法のミケランジェロ”が育ちゆくことをいのり、願った」と――。

 ディビカは心に決めた。“映像業界で、先生の期待にこたえていこう”

 まずは家族にみとめてもらいたい。その一心で御本尊の前へ。祈るほどに、親への反発心はうすらいでいった。ある時、おだやかな気持ちで家族と向き合う。「私の夢をおうえんしてください」

 静かにうなずく両親。一番反対だった母は、けいざいてきえんまでしてくれた。おどろいた。

最愛の家族と。左から姉・アディティさん、母・レヌさん、ディビカさん、父・ダナンジェイさん

最愛の家族と。左から姉・アディティさん、母・レヌさん、ディビカさん、父・ダナンジェイさん

 
 その後、ディビカは、チェコのプラハにある映像学校で夏季研修を受講。帰国後は、映像制作のグローバル企業への内定を勝ち取り、早速、ムンバイへ移住した。

 わかもののロマンがこうする映画産業の一大きょてん。ここで新たな旅が始まった。
 

“何のため”にがんるの?

 だが職場でまかされたのは、短い映像の編集作業ばかり。“なんで、こんなざつを?”――パソコンの画面と向き合う心は、なまりのように重たい。

 どうりょうたちは大学院で映像制作をせんこうし、経験も実力も十分。それにくらべ自分は……。うつむくディビカに、婦人部のせんぱいが問いかけた。

 「あなたは何のためにがんっているの? しょうに勝利を報告しようと決めた時、思ってもみないちからが出るんだよ」

 ディビカは思った。“そうだ、人じゃない。私らしく、ちかいのままに生きよう”

 どんな業務も、自分をみがちょうな機会だと受け止め、もくもくと取り組んでいった。

アラビア海に面した大都市ムンバイ ©AWL Images/アフロ

アラビア海に面した大都市ムンバイ ©AWL Images/アフロ

 
 数年後、ある広告映像をたんとうするチャンスが。テーマは「インド共和国記念日」。ディビカは、あえて子どもを主役に立てた。

 「なんで、うちのお手伝いさんは、ぼくたちとちがう食器を使うの?」
 子どものするどしつもんめにい、答えにきゅうする母親。ユーモアをまじえ、社会意識を高めることに成功した。

 これがSNSエスエヌエスで話題ふっとうとなり、国内のすぐれた広告映像におくられる賞や、国際的なコンペティションの「プロマックス・アワーズ」で銅賞をかくとくえいのディレクターとしてきゃっこうびた。

 「人生が、これほどドラマチックに変わるなんて。やっぱり信心ってすごい」
 

いのりは絶対にかなう

 2022年、ディビカはフリーランスになる決断を。だが昨年、厚いかべが立ちはだかる。仕事のらいがなくなり、しゅうにゅうえたのだ。毎日の静けさが身にみた。

 しずむディビカを救ったのは、女子部の仲間たち。「大きなこんなんは、大きな勝利のぜんちょう。これからが楽しみじゃない?」

 また、ある先輩は、こう確信をめた。「御本尊の力はぜつだいです。びっくりするような信心のじっしょうを示しましょう!」

 ディビカの心にがともる。かつてないしょうだいはげみ、メンバーの家庭ほうもんにも歩いた。一人一人と語る中で、ふと思った。

 “私は池田先生の弟子だ。それが、私の最高のほこり。おそれるものなんてない” 

女子部の仲間たち。前から2列目の左端がディビカさん

女子部の仲間たち。前から2列目の左端がディビカさん

 
 以来、受け身の姿せいが一変。関係者に熱意を語っていった。「日常をけんめいに生きる人々の姿すがたに、カメラを向けたいんです」

 制作現場では上下関係がきびしく、かげやくわりの人に心ない言葉が飛ぶことも少なくない。

 ディビカは監督として、全関係者の幸せを祈りながら、一人一人にていねいに声をかけた。すると多くの人が「こんなに楽しい現場は初めて」と喜んでくれた。

 結果、昨年は、過去最多の作品を監督。ねんしゅうは以前の何倍にもなった。きゅうは一転、さらなるやくだいになったのである。

 ディビカは、かがやくばかりの表情で語る。
 「いずれは、世界の人々の心を結ぶような作品をつくりたいです。なんみん問題など、社会的な課題にも切り込みたい。必ず、やってみせます。“祈りとしてかなわざるなし”の信心ですから!」

  
※取材協力/インド「バリュー・クリエーション」誌