〈いのちのさん 心にきざむ一節〉 テーマ:しょうと向き合う2024年3月26日

 かく「いのちのさん 心にきざむ一節」では、せいくんむねに、宿しゅくめいに立ち向かってきた創価学会員の体験をしょうかいするとともに、池田先生の指導をけいさいする。今回は「しょうと向き合う」がテーマ。香川県高松市の壮年部員に話を聞いた。

御文

 いかなるみだれにもおのおのをば法華経・じゅうせつたすたまえと、湿しめれる木より火をだし、かわける土より水をもうけんがごとく、ごうじょうもうすなり。(しゃくほうぼうめつざいしょう、新1539・全1132)

通解

 どのように世の中が乱れていても、あなた方のことを法華経やじゅうせつにょよ助けたまえと、湿った木から火を出し、乾いた土から水を得ようとする思いで強盛に祈っている。

人生、ここからが勝負!

妻との死別。あの日から10年

 すぎうえ厚男さん(67)=副圏長=の妻・真由美さんがやまいくなったのは、2013年(平成25年)12月。53歳だった。この10年間、杉上さんは悲しみの底で、御本尊をめるように祈り続けてきた。
       ◇
 創価大学5期生として卒業後、地元市役所へのしゅうしょくのためきょうの香川県にもどってきた。
 30歳の時、学会員の真由美さんとけっこん。翌年、長女・佐々木陽子さん(35)=女性部員=を授かり、その3年後には長男・厚史さん(32)=男子部員=が生まれた。
 「妻は小学校の教員でもあったので、共働きでの子育て。苦労の連続でしたが、明るくバイタリティーあふれる妻のおかげで、子どもたちもっすぐ育ってくれたと思っています」
 学会では夫婦で広布の最前線をけ、職場でも、たがいにしんらいを広げていった。ところが――。
 2007年(平成19年)2月。「妻のみぎぜんわんにあったほくろが、だんだん大きくなっていて」
 病院での検査の結果、真由美さんはがんの一種である「あくせいこくしょくしゅ」としんだんされた。
 「まさか……」。杉上さんは絶句した。真由美さんは「今こそ題目ね」とじょうっていたが、病状のしんこくさを知るほど、杉上さんは「もし、妻がいなくなったら」と、不安のやみにのみまれそうになった。
 思いつめ、学会のせんぱいのもとへ。「信心で勝つんや」。確信の声に、目の前がパッと明るくなった。
 「かわける土より水をもうけんがごとく、ごうじょうもうすなり」(新1539・全1132)。先輩といっしょに、声に出してはいした。
 「弱気になるな。強盛に祈り抜け。日蓮大聖人のむねせまるようでした。びょうに負けちゃいかん、と。以来、このもんぶつだんの中に置いて祈りました」
 その後、真由美さんは家族や同志の祈りに支えられ、手術によって右腕のしゅようてきしゅつふくの皮膚をしょくし、こうがんざいでのりょうにものぞんだ。は良好で転移も見られず、真由美さんは1年間の休職をて、きょうだんに復帰することができた。
 術後5年の12年(同24年)3月。「これで最後」と言われていた定期検査で、医師の顔がくもる。真由美さんのみぎわきに、がんの転移が見つかったのだ。
 「がけからとされた気持ちでした」
 もう一度、夫婦で祈りをさだめ、ふたたびの抗がん剤治療に希望をたくした。
 「必ず信心でえてみせるから!」。真由美さんは病魔にひるむことなく、地区婦人部長(当時)として、本紙のこうどくすいしんや仏法対話にもかんちょうせん。総県副教育部長としてもじんりょくした。
 “私も絶対に負けまい!”。杉上さんの祈りにもはくしゃがかかった。
 やがて、より適切な治療法を求める中、真由美さんは国立がん研究センターで新薬によるりんしょう試験(治験)を受けられることに。13年(同25年)6月からとうを開始した。
 しばらくすると、「腫瘍がほとんど消えて。おどろきました」。
 同年7月3日の退院の日、夫婦で東京・信濃町をおとずれ、完成間近の広宣流布だいせいどうの前で、しょうに勝利をちかって二人で記念さつえいした。“池田先生、見ていてください。私たち夫婦は必ず勝ちます!”
 投薬はけいぞくした。しかし、副作用で体力が落ちたため中断。「そこから、がんが転移して」。治験の継続がこんなんになった。
 それでも夫婦は、あらゆる治療法をさく。その中で、入院先の病院から退院をすすめられる。同年11月、真由美さんは、よりきめ細かなケアを受けられるせつへ移ることに。
 杉上さんは題目で自らをふるたせ、学会活動にはげんだ。職場でふんとうし、実証を示すこともできた。「つらい時期でしたが、“全てやりきる”と決めて挑戦しました。自分の信心で妻を救うんや、と」
 真由美さんもまた、決して弱音をかず、ベッドの上で祈りを重ねた。

 同年12月23日の早朝。施設かられんらくがあり、杉上さんは妻のもとへけた。
 市内で働いていた長女と、東京の大学にかよっていた長男も帰省しており、妻の親族もんで、みなで真由美さんをかこんだ。
 ゆうこく、真由美さんは家族に見守られ、皆に手をつながれて、ねむるように息を引き取った。
 人生をいろどってくれた最愛のはんりょの戦友。安心しきった真由美さんの笑顔は、杉上さんには、まるで“勝利せんげん”に思えてならなかった。
 その後、杉上さんはうすれない悲しみと向き合い続ける中、学会では支部長として戦いきながら、両親のかいを経験した。仕事を定年退職した後も、新たな職場で5年間、使命をまっとうして、一昨年3月に退職。第三の人生がスタートした。
 「これからの人生、どう生きることが私の“勝利”となるか。祈りながら自問し続けています」。答えは出ていないが、「とにかく地道に、広布に戦い抜こうと。妻の分まで。同志、そして、師匠への恩返しのためにも」。
 杉上さんが励ましを広げる中、同じように家族との死別を経験した友人と、今では一緒に勤行・唱題を続けるまでに。「私だからこそえる人がいると思えて」
 池田先生は教えている。
 「人を幸福にできる人こそが、真実の幸福者である。
 自分自身が、皆をらす太陽となっていくところに、本当の勝利があり、どくりつそんの幸福のはたひるがえるのだ」(池田大作先生の指導選集〈中〉『人間革命の実践』)
 成長した子どもたちは今、それぞれ家庭を築き、母親の心をいでくれている。「やさしい子どもたちは、私の心の支え」。杉上さんは目を細める。
 つらい気持ちはいくぶんやわらいできたが、「抜けきらないものはある」。だからこそ、誓う。「必ず信心できょうがいひらいてみせるぞ、と。私の人生、ここからが勝負です」

[教学コンパス]

 「しょうれい」。博報堂生活総合研究所は、日本人の価値観や好みなどのねんれいが小さくなっている現象を、そう表現する。30年におよぶ長期調査の結果、全世代で、個々の好みを追求する「生き方の多様化」がしんてんしているとぶんせき。それをまえ、さまざまなコミュニティーでえんかつな人間関係を築く上で、今後ますます、そうはしわたしできるような「なか」に立つ人のそんざいが重要になる、とも(『消齢化社会』インターナショナル新書)。
 人それぞれに、かけがえのない使命があることを、仏法では「おうばいとう」と示す。桜は桜。梅は梅。生き方がかくいつてきである必要はない。その上で、だれしもが、それぞれの人生で果たすべきそんごくの使命を帯びている。この確信があるからこそ、多くの学会員は、自らののう宿しゅくめいにも、「誰かをはげますため」という“自分ならでは”の使命を見いだし、日々、ともの幸福にくす。えんする人々と共に、最高の生き方をひらこうといどむ同志の姿すがたは、地域や職場で、希望としんらいるぎない「ちゅうじく」となろう。(優)