核兵器なき世界へ――ラウン博士との語らい2024年3月20日

IPPNW(核戦争防止国際医師会議)、ICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)との協力の出発点

 核兵器廃絶に向け、長年、創価学会と手を携えてきた「核戦争防止国際医師会議(IPPNW)」と、同会議から発足した「核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)」。今回は、その協力の出発点ともいえる、IPPNWの創設者の一人であるバーナード・ラウン博士と、池田先生との交流の歴史について掲載する。

固い握手を交わし再会を喜び合う、バーナード・ラウン博士と池田先生(1989年3月、東京・信濃町の旧・聖教新聞本社で)

固い握手を交わし再会を喜び合う、バーナード・ラウン博士と池田先生(1989年3月、東京・信濃町の旧・聖教新聞本社で)

ラウン博士「狭い国家意識を超えて、人類全体の広い視野を」
池田先生「青年こそ平和の力であり、平和の主体者である」

 広島で昨年5月に行われたG7サミット(先進7カ国首脳会議)へ、池田先生は「危機を打開する“希望への処方箋”を」と題する提言を寄せた。
 その中で、先生は、深い交流を結んだバーナード・ラウン博士に言及し、「核兵器の威嚇と使用の防止」を強く訴えた。
 「核戦争防止国際医師会議(IPPNW)」の共同創設者であるラウン博士は、心臓専門医であった。
 人々を“不幸な死”から救い出したい――突然死を研究する中で、やがて“人類全体の死”をもたらす核兵器の廃絶へ、信念を強めていく。
 1980年(昭和55年)12月、IPPNW創設のきっかけとなる会談が、スイスのジュネーブで行われた。旧ソ連の3人の医師と、3人のアメリカの医師がテーブルに向かい合った。
 当時は東西冷戦の真っただ中。2日間の議論は、“けんか腰”になった。
 「そちらが先に核実験をやめるべきだ!」
 「いや、そちらが先だろう!」
 テーブルをたたいて怒鳴り、席を蹴って退出する医師もいた。そんな中、ラウン博士は語る。
 ――私たちは医師だ。医師として、すべての生命を守る使命がある。それがコレラであれ、核兵器であれ、力を合わせて闘う使命がある。
 「生命尊厳」という、医師としての共通目的に立ち返った時、対立は氷解した。“人類最悪の疫病”ともいうべき核兵器の廃絶のため、医師たちが協力していくことになり、IPPNWが発足する。
 3カ月後、アメリカで開いた大会には、12カ国80人の医師が参加。85年(同60年)には、IPPNWに対してノーベル平和賞が贈られる。この頃には、同団体は、60カ国20万人にまで発展していた。
 人間が作ったものは、人間によってコントロールすることができる――博士は、ノーベル平和賞受賞の記念講演で、核兵器廃絶の確たる決意を示した。
 87年(同62年)5月、博士と先生との出会いが実現する。SGIなどの主催により、旧ソ連のモスクワで開催された、“核の脅威展”に博士が駆け付けたのである。核兵器なき世界へ、二人は深く共鳴した。

SGIとICANが共同制作した「核兵器なき世界への連帯」展が、IPPNWの招請を受け、モンゴルの首都ウランバートルで開催された(2018年9月)

SGIとICANが共同制作した「核兵器なき世界への連帯」展が、IPPNWの招請を受け、モンゴルの首都ウランバートルで開催された(2018年9月)

困難な時代にあって 勇気を送るSGI

 35年前の89年(平成元年)3月、博士との2度目の対話の場がもたれた。旧・聖教新聞社での友情の語らいは、約1時間半に及んだ。
 博士は、すべての戦争を撲滅するため、先生が積極的に行動を続ける事実に深い共感を示し、こう述べた。
 「国家間の戦争がなくならない限り、人類が滅亡するのは明らかです」
 先生は、IPPNWの崇高な理念と実践をたたえ、万感のエールを送った。
 「生命を守る医師が、人類の救済という最も崇高な目的のために戦っておられる。いわば最も偉大なる『善』の行動であると思います」
 「最高の『善』に賛同し共に行動すれば、自らもそれに連なっていくことができるというのが私の信念です」
 この年の10月、SGIとIPPNWが共同して、米ニューヨークの国連本部で、「戦争と平和」展を開催。その後も、先生と博士との“魂の触発”を出発点とした、IPPNWとの協力関係は強まっていく。
 2007年(同19年)、IPPNWを母体に「核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)」が発足。SGIは、ICANとも手を携えながら、核兵器なき世界の実現へ尽力していく。
 17年(同29年)7月、国連本部で「核兵器禁止条約」が採択された。その成立に貢献したとして、ICANはノーベル平和賞を受賞。ベアトリス・フィン事務局長(当時)は述べた。
 「たとえ希望が見いだせず、人々が諦めそうになった困難な時代にあっても、SGIが立ち上がるエネルギーと勇気を発揮し続けてきたことに多大な啓発を受けるのです」

SGIが協力団体として参加した、IPPNWの第22回世界大会(2017年9月、イギリス・ヨーク大学で)

SGIが協力団体として参加した、IPPNWの第22回世界大会(2017年9月、イギリス・ヨーク大学で)

“火宅”から救うため 友情の連帯を結べ!

 学会の平和運動の源流は、1957年(昭和32年)9月8日、戸田先生が発表した「原水爆禁止宣言」にある。
 恩師は烈々と叫んだ。
 「核あるいは原子爆弾の実験禁止運動が、今、世界に起こっているが、私は、その奥に隠されているところの爪をもぎ取りたいと思う」
 当時、青年部の室長だった池田先生は、戸田先生の遺訓を心に深く刻んだ。
 「原水爆禁止宣言」の発表から1年後の58年(同33年)9月26日、池田先生は本紙に、「火宅を出ずる道」と題する一文を寄せる。
 その中で、「三界は安きこと無し 猶火宅の如し」(法華経191ページ)を引用する。法華経の「三車火宅の譬え」は、長者の家が火事になり、さまざまな方便を駆使して、子どもたちを助け出すたとえ話である。燃え盛る家(火宅)は、煩悩の炎に包まれた現実の世界(三界)をたとえている。
 この一文に、核兵器という「未曽有の脅威に覆われた“火宅”から抜け出す道を共に進まねばならない」との強い願いを込めたのである。
 恩師の“遺訓の第一”を生命に刻んだ先生は、人類を“火宅”から救わんと、友情の連帯を日本中、世界中へと広げ抜いていった。その創価の魂は、脈々と青年部に受け継がれている。
 ――89年3月の先生との会談で、ラウン博士は、青年への平和の呼びかけは、最も困難なことの一つであると語った。その上で、青年を糾合する先生に共感を示した。
 「青年が自己の利害や、狭い国家意識を超えて、人類全体という広い視野を獲得することが重要です」
 先生は述べた。
 「青年こそ平和の力である。平和の主体者である。その青年を愛し、絶対に犠牲にしないためにも、一段と力強い不戦への行動を展開したい」
 平和な世の中を構築しようと立ち上がり、志を同じくする青年と青年の連帯は、未来を照らす希望の光である。
 今月24日、「未来アクションフェス」が開催され、SGIユースも参画する。核兵器廃絶などの諸課題の解決へ――若者たちの情熱と英知の結合が新たな時代の扉を開く。

 バーナード・ラウン 核戦争防止国際医師会議(IPPNW)創設者。ハーバード大学名誉教授。1921年、リトアニア生まれ。ジョンズ・ホプキンス大学医学部を卒業し、ハーバード大学公衆衛生学院教授。不整脈と心臓突然死の先駆的研究などで知られる。85年、IPPNWを代表してノーベル平和賞を受賞。2021年2月、99歳で死去。