〈ワールドトゥデイ 世界の今〉 イタリア 青年がかがやくトスカーナ州2024年3月9日

「花の都」と称されるトスカーナ州の州都フィレンツェの街並み。アルノ川に架かる写真中央の橋が、ローマ時代に起源を持つ「ヴェッキオ橋」

「花の都」と称されるトスカーナ州の州都フィレンツェの街並み。アルノ川に架かる写真中央の橋が、ローマ時代に起源を持つ「ヴェッキオ橋」

 
 今回しょうかいするのは、イタリア中西部のトスカーナ州。州都フィレンツェをはじめ、地中海をのぞむチェチナ市、「ばんのうの天才」レオナルドがせいたんしたヴィンチ市――どの地にも、広布かいたくほこりとこうけいの情熱がかがやいていた。(記事=萩本秀樹、写真=石井和夫)

 
開拓のほこり こうけいの情熱

 使命と定めた天地に一人が立てば、仏法は二人、三人へと広がる。池田大作先生が「広宣流布のほうていしき」と語ったこの「」のままに、世界の各国で、そうそういってきは広布のたいの流れとなった。水かさをすそのほんりゅうのただ中で、また新しき「一人」が立つ。
 
 10万人の連帯にせまるイタリア創価学会の歩みは、1960年代、首都ローマをはじめとする主要都市から始まった。そうそうの中心者の中には、イタリアにうつんだ日本人メンバーもいた。
 70年代なかばになると、フィレンツェ市を中心に青年世代のしゃくぶくが進む。81年に同市をおとずれた先生は、その青年たちをせいこん込めて励ました。師弟の出会いが発火点となり、フィレンツェやきんりん都市で、きょういきおいが加速。“青年学会”の伝統は、昔も今も、トスカーナ州にはなひらく。
 
 ジョヴァンニ・プッチさん(副本部長)は、95年に入会。翌年、フィレンツェから200キロほどはなれたまちてんきょした。
 当時、街にメンバーはまだ数人。「学会活動といえば、折伏、折伏でした」。たくんで仏法対話をかさねる中、信心を始める人が増えていく。せられるように、移り住んでくるメンバーも。そうしてグループや地区がはってんした。

ジョヴァンニ・プッチさん

ジョヴァンニ・プッチさん

 
 しゃくぶくへ、はげましへと、数十キロのきょを車で走ることも。苦労も多かったが、車中での同志との語らいなど、思い出は色あせない。「青年時代にかさねたふくうんが、人生を開いてくれました」
 
 経営していた会社のとうさんけいざいなど、いくこんなんを信心でえていった。2010年、そうぎょうメンバーの一人として、再生可能エネルギーのはんばいやコンサルティングを行う会社をフィレンツェ市内に設立。イタリア全土にぎょうや個人のきゃくを持ち、ぞく可能な社会の実現にこうけんしている。
 現在は代表とりしまりやく社長をつとめながら、壮年部のほうもんげきれいに走る。日々を勝ち切るかぎは「ねんちょう」。どんなに小さな目標でも、書き出してぶつぜんに置く。「決めた目標をわすれない。げない。信心でみがいた生き方です」

 アルノ川にかる「ヴェッキオ橋」は、フィレンツェでも人気の観光スポットの一つ。げんはローマ時代にさかのぼり、かつてこうずいで流されたが、1345年に再建された形で現在も残る。この近辺を広布のたいとする「ルビックグループ」は、約半数が青年部だ。
 
 婦人部グループ長のマリステッラ・プッチさんは、青年部と共に、教学を通して信心のを学ぶことを心がけている。約10年間、さまざまな事情を理由に学会活動からはなれた自身の体験を通して、持続の信心の大切さ、そのこんぽんとなる教学の重要性を語っている。

マリステッラ・プッチさん

マリステッラ・プッチさん

 
 同時に、生き生きと信心に励む若者たちの姿に「私自身が元気をもらっています」と。この生命と生命のしょくはつが、グループはってんげんどうりょくになっている。
 
 昨年9月に取材したグループ座談会には、青年部4人、未来部1人をふくむ11人が参加した。
 25歳のヤコポ・ガウデンツィさん(男子部員)は、座談会の1週間前に御本尊を受持。学会員の家庭に生まれたが、自身は信心をしていなかった。音楽の道で新たなとびらを開きたいと、入会を決めた。

ヤコポ・ガウデンツィさん

ヤコポ・ガウデンツィさん

 
 ガウデンツィさんからなやみを打ち明けられるたびに、トンマーソ・カタラーノさん(男子部部長)は、「信心が深まっているあかしだよ」とい続けた。座談会でカタラーノさんは、御書にある“せっしょうぐん”のを通して、「祈りが強ければ、それにおうして御本尊のりきも強くなる。私たち青年部は、『強き一念』で進みます」と決意をれきした。
 
 最初から最後まで、そうほうこうこんだんてきに行われた座談会。青年部一人一人のきんきょう報告には、特に大きなかっさいが送られた。

青年の活躍が光るルビックグループの座談会。教学研さんが前進の力になっている(昨年9月、フィレンツェ市内で)

青年の活躍が光るルビックグループの座談会。教学研さんが前進の力になっている(昨年9月、フィレンツェ市内で)

 
 「最年長は私だね」と、笑顔をかべたのはアンドレア・マルキさん(壮年部員)。池田先生がフィレンツェをおとずれた1981年の入会である。「きょうのこの会合のように、常に青年であふれているのがフィレンツェさ」。最近も、自身の紹介で入会したメンバーが、近所の青年を会合にさそえたとよろこんだ。青年に学び、自らも青年のようにわかわかしい心で、広布に生きている。
 
 地区部長のジュリオ・ペッリチョーニさんが、会合の最後にこう語った。
 「御本尊は、夜空にかがやく星のように、人生の正しいほうがくを示してくれます。そこにしんこう歴もねんれいも、関係ない。常に自分を向上させてくれる信心に出あえたことに、私は深く感謝しています」

ジュリオ・ペッリチョーニさん

ジュリオ・ペッリチョーニさん

 
チェチナ市――“地方しゃくぶく”で広布の

 人口約2万8000人のチェチナ市は、フィレンツェから100キロほどはなれた海岸都市。2支部6地区が同市を広布のたいとし、約400人のメンバーがいる。フィレンツェ広布のそうそうに、“地方しゃくぶく”の火ぶたが切られた地の一つ。当時から今にいたるまで、チェチナに住んだ日本人のリーダーはいない。
 
 1984年6月、最初の御本尊が行われた。入会した一人が、ステファニア・チュルリさん(婦人部員)。当時のイタリアには、ヒッピー(心のじゅうそくを求めるわかもの)たちが多く、チュルリさんも生きる道をさくしていた。

ステファニア・チュルリさん

ステファニア・チュルリさん

 
 同年11月、そして86年と、チェチナ広布の草創期をきずく友の入会は続いた。日々、みなで題目をとなえ、御書の数編や教学教材のコピーを読み合った。信心のかんそのままに、仏法対話へ。座談会をやるたびに新来者が増えていく。参加者のほとんどは若者だった。
 
 ジョヴァンニ・セルヴィさん(方面長)は、チェチナのりょくを、「信頼と団結ときゅうどうしん」と語る。きょうきんを開いて何でも語り合う。分からないことがあれば、きんこうのリヴォルノやフィレンツェへも車を走らせ、信心のせんぱいに相談した。だれかの家に、毎日のように5、6人が集まっていたとセルヴィさんはかいそうする。きょうの勢いは90年代に入っても続いた。

ジョヴァンニ・セルヴィさん

ジョヴァンニ・セルヴィさん

 
 チュルリさんもまた、広布のしんてんを、「みなのチームワークのけっしょうです」とかえる。そして、「フィレンツェからげきれいに通い続けてくれた、日本人リーダーへの感謝はきません」とも。
 3年前、チュルリさんはなんびょうはっしょうくるま生活をなくされた。受け入れたくない現実だったが、ほとんどの人は20代で発症すると医師から説明を受け、青年時代にチェチナ広布の草創をけた“どく”を身にしみて感じた。今も病気の意味をさくしながら、自分にしかない使命の人生をと前を向く。
 
 2002年、チェチナ市で、池田先生とインドのガンジー、米こうみんけん運動のどうしゃキング博士のしょうがいしょうかいする「平和の三しょうてんかいさいされた。07年には、同市から先生に「名誉市民証」がじゅ。09年には、学会の会館に近接する市道が「まきぐち広場通り」とめいめいされた。創価の人間主義への共感が大きく広がる。

広布草創の同志と後継の若人たち(チェチナ市のゲイガー・ピエルマッティ栄光会館で)

広布草創の同志と後継の若人たち(チェチナ市のゲイガー・ピエルマッティ栄光会館で)

 
 ヴィットリア・ヌーティさん(方面副女子部長)は、両親が学会員の家庭に生まれた“2世”。16歳でしんけんに題目を唱え始めて以来、っすぐに信心にはげんできた。弱い立場にいる人を救いたいと、弁護士をこころざして勉学にはげむ。
 
 19歳で入会したアンドレア・トマーシさん(男子部本部長)は、うちな自分を変えられた信心のりきを実感している。「たとえんでいても、学会はそんな自分をみとめてくれる場所。この温かな世界を、多くの人に語っていきたい」
 
 チェチナの地に、広布のがともされて40年余。かいたくほこりとこうけいの情熱は、一人一人の生命にかがやいている。

ヴィットリア・ヌーティさん

ヴィットリア・ヌーティさん

アンドレア・トマーシさん

アンドレア・トマーシさん

 
ヴィンチ市――「ばんのうの天才」レオナルドのせいたん

 芸術や科学、音楽など、さいな分野で才能をはっした「ばんのうの天才」レオナルド・ダ・ヴィンチ。その名前は「ヴィンチ出身の(ダ・ヴィンチ)レオナルド」を意味する。せいたんとしてちゅうもくを集めるヴィンチ市にも、イタリア創価学会のメンバーがいる。

オリーブ畑やブドウ畑が丘陵に広がる

オリーブ畑やブドウ畑が丘陵に広がる

 
 最初のメンバーがたんじょうしたのは1980年代。市内に住む数人と、きんりん地域のメンバーが一体で広布の活動を進めてきた。2014年には近隣のエンポリ市で、学会がしゅさいするかくはいぜつてんかいさい。ヴィンチからも多くの市民が来場した。
 
 フィレンツェ出身のレオナルド・パリアンティさん(グループ長)は、けっこんを機に、ヴィンチに移り住んだ。社会に開かれた学会活動を通して、生き方やてんを広げることができたと感謝する。
 「私が学会員であることを、ヴィンチのだれもが知っています。だから良き市民であろうとこころけています。目標は、市内で核廃絶の展示を開催することです」

レオナルド・パリアンティさん

レオナルド・パリアンティさん

 
 本部長のガエターノ・ラテルツァさんは、エンポリから通い、広布の活動をサポートする。1994年6月、池田先生がボローニャ大学での講演で、レオナルドのしょうがいを通して“世界市民のはいしゅつを”と語った感動を今もおぼえている。
 「世界が見つめるヴィンチで、この信心をたもった使命の大きさを、同志のみなとかみめています」
 
 いつの時代も、ちかいの一人から広宣流布は始まる。イタリアの同志が、このほうていしきを証明し続けている。

ガエターノ・ラテルツァさん

ガエターノ・ラテルツァさん

ヴィンチ市を含む「エンポリ本部」の友が一堂に(同市で)

ヴィンチ市を含む「エンポリ本部」の友が一堂に(同市で)

 

 

 

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