〈ONE GOSHO この一節とともに!〉 男子部教学室編
· 強き祈りで満足の人生を
道妙禅門御書
「世界青年学会 開幕の年」の出発に当たり、「祈りは必ずかなう」との確信を学び、信心の姿勢を確認します。
御文
祈禱においては顕祈顕応・顕祈冥応・冥祈冥応・冥祈顕応の祈禱有りといえども、ただ肝要は、この経の信心を致し給い候わば、現当の所願、満足あるべく候。(新1713・全1242)
通解
祈りの現れ方には、顕祈顕応、顕祈冥応、冥祈冥応、冥祈顕応の四種があるが、ただ肝心なことは、この法華経の信心を尽くされるならば、現在および未来の願いは満たされるであろう。
背景
本抄は建治2年(1276年)8月、日蓮大聖人が55歳の時に、身延で認められたお手紙です。
手紙を送られたとされる道妙禅門は、妙一尼の縁者であると考えられていますが、詳細は不明です。
御文の内容から、その縁者が自身の父親の病気平癒を大聖人に願ったことに対する、御返事であると思われます。
大聖人は、病気平癒の祈念を約束されるとともに、御本尊に対して強盛な信心を貫いていけば、現在から未来にわたって、あらゆる願いが成就していくと教えられています。
解説
今回の拝読御文で大聖人は、「祈り」と、その「功徳」の現れ方について、「顕祈顕応」「顕祈冥応」「冥祈冥応」「冥祈顕応」の四つの形を挙げられています。
ここで記されている「顕」には「あらわな」「はっきりとした」、「冥」には「深遠で目に見えない」という意味があります。
すなわち、「顕祈」とは、具体的な願いを込めた祈りで、「冥祈」とは、常日頃のたゆまぬ祈りの実践に当たります。
また、「顕応」とは、具体的に功徳が現れることであり、「冥応」とは、自然のうちに生命が浄化され、境涯が深まっていくことといえます。
これらを踏まえると、“4種の祈りと功徳の現れ方”は次のように捉えることができます。
「顕祈顕応」――何か物事に直面して、真剣に祈り、それに応じて解決の方途が開かれて、願いがかなうこと。
「顕祈冥応」――祈りに応じた具体的結果がすぐに現れなくとも、生命に功徳が積み重なっていくこと。
「冥祈冥応」――日々のたゆまぬ唱題の功徳によって、自然のうちに生命が浄化され、豊かになり、所願満足の道に入っていくこと。
「冥祈顕応」――常日頃の唱題の功徳が、いざという時に、具体的な事実として明確に現れること。
続いて大聖人は、「ただ肝要は、この経の信心を致し給い候わば、現当の所願、満足あるべく候」と仰せです。
すぐに祈りがかなう場合もあれば、はっきりとした結果が現れない場合もあります。しかし、どのような祈りであっても、必ず所願は満足すると断言されています。
大切なことは、信心を貫き通し、人間革命、境涯革命をしていくことであり、その中で、何一つ後悔のない人生となっていくことを教えられているのです。
さらに拝読御文の後には、「魔および魔民有りといえども、皆仏法を護らん」(授記品)、「病は即ち消滅して、不老不死ならん」(薬王品)の法華経の文言を引かれ、「これを疑うべからず」と、御断言されています。
疑う心なく真っすぐに、強盛な信心を貫けば、敵さえも味方に変えることができ、いかなる病魔も勝ち越えていくことができると、大確信を示されているのです。
池田先生は、本抄の御文を通しながら、次のように語っています。
「『祈りとして叶わざるなし』の妙法である。勝利のために、まず強き祈りから始める。そして粘り強く、忍耐強く、祈りぬき、祈りきる。この常勝の方程式を、深く胸に刻んでいくことである。強き信心の一念と行動で、乗り越えられない山はない」
いよいよ「世界青年学会 開幕の年」がスタートします。
私たち男子部の一人一人が、若き池田門下生として、学会創立100周年までの“勝負の7年”を、勢いよく船出する今こそ、強き祈りと行動を起こす時。
いかなる困難や悩みがあっても、確信をもって題目を唱え抜き、友を励まし、仏法の哲理を語りながら、人生の勝利を開いていきましょう。
そして、皆が「我、新時代の山本伸一なり」との自覚で、世界広布の大道を進み、さらに広げていこうではありませんか。