〈忘れ得ぬ旅 太陽の心で――池田先生の誌上エッセーから〉 

メキシコ 2024年3月4日

わが生命には 無限の希望が

 月刊誌「パンプキン」誌上で連載された池田先生のエッセー「忘れ得ぬ旅 太陽の心で」を紹介する本企画。今回は「メキシコ――詩心の国に“希望家族”の曲」〈2014年7月号〉を掲載する(潮出版社刊の同名のエッセー集から抜粋)。戸田先生は逝去の直前、メキシコに行った夢を見たことを、池田先生に語った。「行きたいな、世界へ。広宣流布の旅に」――師から弟子へと託された世界広布の魂を胸に刻み、私たちも今いる場所で、対話を通じて平和の光を放っていこう!

メキシコからアメリカに向かう機中にて。まばゆいばかりの陽光が生命の大地に降り注ぐ(1996年6月、池田先生撮影)

メキシコからアメリカに向かう機中にて。まばゆいばかりの陽光が生命の大地に降り注ぐ(1996年6月、池田先生撮影)

   
 心は、宇宙よりも広い。
   
 心を大きく開けば、太陽も月も、星たちさえも、わが友となり、わが家族となります。
   
 耳を澄ませば、天座の彼方から、輝く励ましの言葉を聴き取ることもできるでしょう。 
   
 万物に声があり、自在に語り合うことができる――これが詩心で結ばれた生命の世界です。
   
 メキシコの古代マヤ文明は、天文台を設け、太陽や月、星の動きからメッセージを汲み取り、一年をほぼ三百六十五日として暦を作りました。
   
 そして精確に季節の変化を把握し、農作業を進めたといいます。
   
 いわば、宇宙の妙なるリズムと対話しながら、二千年にわたる文明の繁栄を築いたのです。
   
 星々が織りなす調べに共鳴した、十七世紀メキシコの詩心の女性ソル・フアナは、「どんなに威嚇し強要しようとも、わが精神の自由な働きを抑えることはできぬぞ」と綴っています。
   
 宇宙と共に、正しく強く生き抜く心には、何ものにも縛られない、何ものにも屈しない、自由自在の大境涯が、限りなく広がっていくのです。
   

創造の人生を貫く

 〈池田先生は、人種・民族・文化の差異を超え、皆、アミーゴ(友人)として親しむメキシコの開かれた気風に触れながら、恩師との思い出を振り返る〉
   
   
 近代、アジア以外の国と日本が初めて平等条約を締結することができたのは、メキシコでした。中南米諸国で真っ先に日本人移住者を迎え入れてくれたのも、メキシコです。日本にとって大恩ある国なのです。
   
 私の恩師・戸田城聖先生は、この太平洋で結ばれた隣国メキシコに強い関心を寄せておりました。幼い頃をメキシコで過ごした関西の女性にも、現地の生活や文化のことなどを、たびたび質問されていました。逝去の直前にも、私に「メキシコへ行った夢を見たよ」と語られたのです。
   
 それだけに、一九六五年八月、メキシコを初訪問できた時には、恩師の笑顔を思い描きつつ、感慨無量でした。
   
 その際、首都のメキシコシティーを案内してくださった日系移民の友は、お世話になったメキシコの方々の恩に夫妻で報いたいと、真剣に誓っていました。
   
 「私たちは、メキシコ社会に、いったい何を残したでしょうか。人々を幸福にし、永久に残る生命の哲学を伝えていきたい。メキシコ国家に、メキシコ人に、心から感謝を示すために!」
   
 良き市民として、愛する郷土に貢献し続けてきた、わが旧友の忘れ得ぬ言葉です。
   

「いつまでも力強く、生き抜いてください。太陽のように!」――メキシコ東部のベラクルス国際空港に集まったメンバーを励まし、記念のカメラに納まる池田大作先生ご夫妻(1996年6月)

「いつまでも力強く、生き抜いてください。太陽のように!」――メキシコ東部のベラクルス国際空港に集まったメンバーを励まし、記念のカメラに納まる池田大作先生ご夫妻(1996年6月)

 〈さらにアステカ帝国の崩壊、植民地支配、独立や革命など激動の歴史に触れ、メキシコの人々の生き方を論じる〉
   
   
 揺れ動く社会の変転のなかで、人々は、自分たちが立ち返るべき原点を探求しました。
   
 そして、画家として名高いフリーダ・カーロは、苦悩との闘いを通し、生き抜くための確かなる「根」を見出していきました。
   
 それは、美しいテワナ衣装に象徴される民族の伝統です。さらに彼女は、「希望の樹は強い」「生命万歳」との信念に至り、最晩年まで渾身の力を奮って、創造の人生を貫いていったのです。
   
 私と妻が知るメキシコの女性たちも、「家庭の太陽」「地域の太陽」をモットーとして、自身の地域社会の人々に尽くしながら、希望みなぎる生命の讃歌を謳い上げてきました。
   
 不幸の原因を自分の外に求めるのでもない。自分の幸福ばかりを願うのでもない。幸福は自分の心から生まれる。人のために行動するなかで、必ず自他共に宿命を打開していける。
   
 わが生命には、無限の希望があるのだ――。
   
 そう励まし合うメキシコの女性たちは、「共に生き、共に学び、共に成長を!」と、まことに意気軒昂です。
   

青年が平和の光を!

   
 〈池田先生は、メキシコの“希望家族”との語らいに触れ、未来の人材を育てる友の奮闘を紹介する〉
   
   
 社会に貢献してきたメキシコの旧友が、子宝に恵まれないという悩みを話してくれたことがあります。
   
 私は、その心情を察しつつも、あえて「お子さん方はいっぱいおられるではありませんか」と申し上げました。
   
 旧友夫妻は、私の言わんとするところを汲んでくださり、メキシコの未来を担う縁ある青年、子どもたちを、皆、わが子として、激励し、育成してこられたのです。
   
 アステカのことわざに「彼のお蔭で私の顔が広まる」とあります。育てた子どもが立派になり、誇りとなるとの意味です。
   
 その通り、私と旧友たちが手を携えて大切にしてきた若い世代が、今、陸続と成長し、颯爽と活躍していることは、最大の誇りです。
   

   
 〈先生は、メキシコの友人たちとの出会いを振り返りつつ、戸田先生が青年に託した平和の魂に言及する〉
   
   
 一九七四年、八四年、航空機の中継地として、短時間、メキシコに降り立った際、真心あふれる友人たちが空港に駆けつけてくれ、素晴らしい出会いを重ねてきました。
   
 一九九六年六月、メキシコ東部のべラクルス国際空港でも、久方ぶりに“希望家族”との感動の再会を果たすことができました。仏典には「空飛ぶ者の王たり鷲のごとし」とあります。メキシコの宝友たちには、いつお会いしても、王者の鷲のごとく、向上しゆく大いなる魂の翼が光っています。
   

メキシコ最大の港湾都市・ベラクルスの国際空港。ファインダーの向こうには、笑顔で手を振る友の姿が(1996年6月、池田先生撮影)

メキシコ最大の港湾都市・ベラクルスの国際空港。ファインダーの向こうには、笑顔で手を振る友の姿が(1996年6月、池田先生撮影)

   
 恩師・戸田先生は一九五七年、絶対の生命尊厳のうえから「原水爆禁止宣言」を発表し、私たち青年に、核兵器の廃絶を遺訓として託されました。
   
 世界に先駆け、中南米地帯の核兵器の実験や使用等を禁止する条約(トラテロルコ条約)が調印されたのは、それから十年後のことです。その調印をリードしたのが、メキシコでした。
   
   
 〈先生は、創価学会がメキシコで核廃絶や反戦を訴える催しを幾度も開催してきたことを紹介。結びに、平和の創造に尽力する青年たちをたたえる〉
   
   
 こうしたメキシコ各地での展示の運営は、英邁な青年たちが“今いる場所から、平和の光を放とう!”との気概で担ってくれています。若き平和の希望の星たちは、満天のきら星のように、互いに照らし合い、語り合いつつ、未来へスクラムを広げているのです。
   
 メキシコの大思想家バスコンセロスは、「いかなる取り組みであれ、生産的あるいは創造的な営みは、皆を喜びによって結びつけます」と語りました。
   
 今日もまた、太陽と共に、星と共に、わが心の大宇宙を輝き光らせながら、平和を創造しゆく“希望家族”の歓喜の歌を、轟かせていきたいものです。
   
   
 希望あり
  今日の前進
     天の曲
   
   
 (『忘れ得ぬ旅 太陽の心で』第5巻所収)
   

    
    
 ※1『スペイン黄金世紀演劇集』(名古屋大学出版会)所収の「神聖なるナルシソ」ソル・フアナ・イネス・デ・ラ・クルス著、中井博康訳。※2『岩波アート・ライブラリー フリーダ・カーロとディエゴ・リベラ』イサベル・アルカンタラ/サンドラ・エグノルフ解説、岩崎清訳(岩波書店)。※3『美の20世紀⑭ カーロ』ゲリー・スーター著、山梨俊夫監訳、小野寺玲子訳(二玄社)。※4『世界ことわざ大事典』(大修館書店)所収の「マヤとアステカのことわざ」八杉佳穂著。

 

 

 

イベントバナー