【世界広布の源流 青年に語る創価の魂】第33回 「世界青年学会 開幕の年」㊤
·〈出席者〉原田会長、西方青年部長、大串女性部主任部長、梁島男子部長、林池田華陽会委員長
欧州青年部の同志に真心の励ましを送る池田先生(1991年6月、フランクフルト郊外のドイツ文化会館で)
池田門下の誉れ胸に前進!
◆梁島 男子部は、小説『人間革命』第12巻「寂光」の章を研さんして、今月10日に開催された「全国男子部幹部会」に集い合いました。一人一人が、“新時代の山本伸一”の自覚で、師恩に報いる闘争を、と決意を新たにしています。
◇原田 池田先生は、恩師・戸田先生の構想の一切を実現し、広布の大願を果たされました。崇高な95年の生涯の幕を閉じられた11月15日は、奇しくも『創価教育学体系』が印刷された日と重なります。
牧口先生と戸田先生の“師弟の結実”である『体系』の奥付には、発行日「11月18日」の横に、印刷日「11月15日」と記されています。固く結ばれた創価三代の師匠の絆に、改めて感動と感謝が込み上げます。
11月15日は「池田大作先生 命日」として制定されました。
11月15日は、牧口先生のご命日となった「11月18日」、そして戸田先生のご命日である「4月2日」とともに、学会永遠の厳粛なる師弟の日として刻まれました。
「寂光」の章には、恩師との別れの日となった「4・2」への思いを、山本伸一が書きつづる場面があります。
「学会にとって、私の生涯にとって、弟子一同にとって、永遠の歴史の日になった。……妙法の大英雄、広布の偉人たる先生の人生は、これで幕となる。しかし、先生の残せる、分身の生命は、第二部の、広宣流布の決戦の幕を、いよいよ開くのだ。われは立つ」
また、「随筆 人間世紀の光」〈桜花の誓い〉には、恩師の逝去直後、池田先生が、「仏意仏勅の創価学会には、瞬時の停滞も許されぬ!」と、個人激励に全精魂を注がれ、5月3日の春季総会で、「七つの鐘」の未来構想を発表されたことが書きとどめられています。
今、私たちが心に刻むべきは、断じて「停滞」をつくることなく、“報恩の団結”で前進していくことです。明年の11月15日、そして7年後の学会創立100周年へ、池田門下の弟子がいよいよ総立ちとなる時です。
『創価教育学体系』第1巻の奥付。右上に「昭和五年十一月十五日印刷」「昭和五年十一月十八日発行」と並んで刻印されている
巌窟王となって師の仇を討つ
◆西方 本年は、牧口・戸田両先生の法難80年の節目でもありました。明2024年「11・18」は、牧口先生の殉教から80年となります。青年部は、創価三代の師匠が不惜身命で貫かれた正法正義を断じて守り抜いていきます。
◇原田 牧口・戸田両先生が、軍部政府の弾圧によって、不敬罪と治安維持法違反の容疑で逮捕・投獄されたのは、1943年(昭和18年)7月6日でした。
翌44年(同19年)11月18日、牧口先生は、獄中闘争の末、死身弘法の生涯を閉じられました。生きて牢獄を出た戸田先生は、不屈の誓いを立てられます。
「私は、巌窟王となって、必ず、牧口先生の仇を討つ! しかし、それは血を流す復讐などではない。必ず広宣流布をすることである」
戸田先生が学会の再建に力を傾ける中、牧口先生の十回忌を迎えた53年(同28年)11月18日に、先師の『価値論』が再版されます。
戸田先生は、この本を世界の大学・研究機関に送ることを提案。この時、青年部の中心となって準備に当たられたのが池田先生でした。戸田先生、池田先生の師弟一体の闘争によって、『価値論』は、約50カ国422の大学・研究機関へと送付されたのです。
◆大串 再版から50年後の2003年(平成15年)、イギリスの名門オックスフォード大学のボドリーアン図書館に、この『価値論』が所蔵されていることが確認されました。
◇原田 池田先生が、どれほどの思いで、先師、恩師を宣揚する闘争を重ねられたのか。
小説『人間革命』が映画化される際、東京・江戸川区にあった撮影のロケ地を訪問した帰路、車中で厳しくおっしゃったことがあります。
「牧口先生、戸田先生を宣揚するとはいっても、また、牧口門下がいかに多しといえども、牧口先生、戸田先生を現実に宣揚しているのは、誰もいないじゃないか!」
そして、「私は、先師、恩師の偉業を書き残さなければならない。それが弟子の道じゃないか!」と言論闘争に懸ける真情を語られたのです。
池田先生は、あらゆる険難の峰を乗り越え、先師、恩師の正義を世界に宣揚し抜いてこられました。
広布の未来を担い、創価三代を宣揚していくのは、師からバトンを受け継いだ青年以外にありません。
原田会長に話を聞く西方青年部長、大串女性部主任部長、梁島男子部長、林池田華陽会委員長(学会本部別館で)
地涌の若人の熱と力の結集を
◆林 明年のテーマは、「世界青年学会 開幕の年」です。
◇原田 池田先生はかつて、中国の周恩来総理の人材育成について、三つのポイントを教えてくださいました。
一つ目は、「青年を尊重する」こと。二つ目は、「青年を重んじ、抜擢する」こと。そして三つ目は、「青年から学ぼうとする」ことです。
その上で、「私は徹底して青年を育成してきた。青年を大事にしない団体は、必ず衰亡するからである。学会は、絶対に、そうあってはならない」と語られました。
青年の意見にしっかりと耳を傾けながら、温かい励ましを送っていく。そうした振る舞いに、「世界青年学会 開幕の年」の出発点があります。
先生は、青年部に対して、こうご指導くださっています。
「広宣流布を成し遂げゆかんとする責任をもって、必ず人をして『納得』させ、みずからの『勝利』へと進むところに、磨きに磨きぬかれた知恵の涌現がある」「複雑な社会のなかに、現実の生活のなかに、みずみずしき知恵の波を起こしていただきたい」
分断と憎しみの道を進むのか、それとも連帯と友情の未来を歩むのか――今、世界は岐路に立っています。青年部は、平和の連帯を結ぶ聡明な知恵を発揮し、勇気と希望を届けていく深い使命があります。
◆西方 明2024年3月、先生の青年室長就任から70年の佳節を刻みます。
◇原田 先生が青年部の室長に就かれたのは、1954年(昭和29年)3月30日です。この日、26歳の先生は、ほとばしる決意をしたためました。
「一段、一段、学会の中核となって、広布の推進をせねばならぬ。これが、自己の使命だ。草花あり、花を咲かせる。これ使命なり」
小説『人間革命』第8巻「推進」の章では、山本伸一を室長に登用した戸田先生の真意が描かれています。
「伸一に大切な権限を与え、思うがままに、立案、実践させることによって、次代のスクリューの作製を意図した」
恩師の命を受けた伸一は、青年たちに広布の展望を語ります。「広宣流布は、全民衆を救っていく法戦であり、学会の運動は、宗教改革の推進にとどまるものではない」
そして、恩師の指針のもとに、政治、経済、文化など、あらゆる分野で変革の潮流を起こしていくことを決意するのです。
青年部は、地域、社会を変革する“広布のスクリュー”として重大な使命を担っています。
11月15日に掲載された随筆で、先生は、こう呼びかけられました。
「『世界青年学会』の礎は盤石である。いやまして地涌の青年の熱と力を結集し、地球民族の幸福の価値創造へ、『人材の城』を築き、『平和の園』を広げようではないか!」
先生は、世界の同志に渾身の励ましを送り続け、「世界青年学会」の土台を築いてくださいました。弟子の不二の行動で、光り輝く「世界青年学会」の大城をつくりあげてまいろうではありませんか。
【参照】
◆小説『人間革命』=第8巻「推進」、第12巻「寂光」