〈ONE GOSHO この一節とともに!〉 男子部教学室編
·「体験」を語り共感を広げよう
法蓮抄
各地の男子部の友は今、大学校6期生を先頭に、「誓いの若人 対話拡大期間」を勇進している。間もなく迎える広宣流布大誓堂完成10周年の「11・18」に向け、信心の歓喜や信仰体験をありのままに語る重要性を確認する。
御文
現在に眼前の証拠あらんずる人この経を説かん時は、信ずる人もありやせん。(新1419・全1045)
通解
今世に眼前の証拠を現すような人がこの経(法華経)を説くなら、その時には、信ずる人もいるであろう。
背景
本抄は建治元年(1275年)、曽谷教信(法蓮)が父の十三回忌の追善に当たり、日蓮大聖人への御供養と、諷誦の状(=追善供養の時に読み上げる文)を、お届けしたことに対する御返事である。
本抄を頂いた曽谷教信は、下総国葛飾郡八幡荘曽谷(現在の千葉県市川市曽谷)の門下である。
同じ下総地域の富木常忍や大田乗明と共に、大聖人の「竜の口の法難」「佐渡流罪」といった大難の渦中にあっても、師匠をお守りしようと努め、強盛な信心を貫いた。
大聖人は本抄で、法華経の一文字一文字は、ことごとく生身の仏である故に、教信の読んだ経文の文字が仏として現れて、父の聖霊を救うであろうと教えられ、教信の孝養の心を称賛される。
解説
無明に覆われた凡夫には、三世の生命の因果を説いた仏法は信じ難い。では、どうすれば、仏の教えが正しく伝わっていくのか。
日蓮大聖人は、今回の御文の前の部分で、三つの仏の予言を挙げ、その全てが実現したと述べ、これらの予言の的中によって、仏の説法が人々から信じられるようになったと仰せになっている。
また、大聖人は本抄で「近い現証によって、遠い信をとるべきである」(新1418・全1045、通解)と記された。これは、凡夫は眼前の事実があってはじめて、遠い過去や未来のことを信じられるようになるということ。大聖人は、深遠な仏法を人々に説き、納得させるには、誰の目にも明らかな「眼前の証拠」を示すことが何より大切であると仰せになられた。
さらに、本抄の後段で大聖人は、大難の嵐に立ち向かう御自身の闘争とともに、かねてから警告していた自界叛逆難と他国侵逼難が的中したことに言及されている。
法華経の行者である御自身の実証を通して、無明に覆われた凡夫の眼を開き、正しき「信」を起こさせようとされたのである。
創価学会が世界広宣流布へと進む中で、推進力となってきたのもまた、学会員一人一人が示す実証――つまり、広布の現場で生き生きと語られる「信仰体験」の数々である。
初代会長・牧口常三郎先生は、学会員が功徳を得た実証を何より喜ばれる一方で、“実験証明がない宗教は観念論にすぎない”と喝破された。
44カ国・地域の広布のリーダーが集って開催された、先日のSGI青年研修会。交流の場では、互いの信心の体験を語り合い、感動を共有した。
あるリーダーは、“SGIは社会の中で個人の成長や変革という、実際の証拠を示している。だからこそ、仏教団体を代表するほどの信頼が広がっているのです”と。人々の共感と納得を生み出す上で、現証ほど雄弁なものはない――この広布の方程式は世界共通なのである。
さらに、自らの体験を友に語れば語るほど、その歓喜は勢いよく広がっていく。
池田先生はつづっている。
「世界広布という『大河』の源流の『一滴』を尋ね見れば、『一人の大歓喜』から全ては始まったのである」「『信心はすごいよ!』とありのままに歓喜を語れば、既に立派な折伏である。その体験を語る側も聞く側も、共に福徳の花を爛漫と咲かせる因を積んでいけるのだ。ゆえに、すぐに対話が実らずとも、落ち込むことも、焦ることもない」
私たちも、「信行学」の実践で勝利の実証を示しながら、信仰の喜びを語り広げていきたい。信心の実践を通して感じた、自身の“小さな成長”“小さな変化”も、立派な信仰体験である。友の幸せを願う祈りと、「自分にしか語れない、信心のドラマがある!」との確信があれば、相手の心に必ず響いていく。
また、日々の活動の中で目にし、感じる、学会のありのままの姿を、伝えていくことも大切である。どこまでも「一人」を大切にし、励まし抜く、学会の真実の姿に、理解と共感が広がっているからだ。
創価学会が世界宗教として勢いよく飛翔する今、海外の同志とも手を携えながら、目前に迫った「11・18」へ、朗らかに体験を語り、信心の喜びを広げていきたい。