さしでひもとく小説「新・人間革命」〉2024年2月29日

  • 平和への行動

 「平和ほど、とうときものはない……」。小説『新・人間革命』には、池田先生の世界平和と人類の幸福への思いがつづられています。ここでは、内田健一郎氏の手で着色されたさしとともに、山本伸一とこうけいの弟子による平和への行動をしょうかいします。※小説の本文は、聖教ワイド文庫の最新刷に基づいています。

1962年(昭和37年)10月28日
第7巻「文化のはな」の章
かく戦争の根本原因を明かす

 〈“キューバ”によってかく戦争のきょうが高まっていたこの頃、山本伸一は指導会でそのこんげんてき解決の道を示す〉
 「本当の解決の道は、仏法による以外にありません。(中略)
 さんな核戦争の根本原因は、“がんぽんみょう”という生命の根源的な迷いにある。この無明のやみから、不信やぞうしっ、あるいは、支配よくさつりくしょうどうなど、しょうの心がしょうじる。
 この“元品の無明”をち切り、“元品のほっしょう”という、真実のの光をもって、生命をらし、憎悪をに、かいそうぞうに、不信をしんらいに転じゆくちからこそが、南無妙法蓮華経であります。また、それが人間革命ということです」(79ページ)

1974年(昭和48年)
第19巻「ほうとう」の章
「未来」のための反戦出版

 〈青年部は「げんすいばくきんせんげん」の精神を世界に広めるため、「戦争体験記」の出版を決定する〉
 戦争を体験した人たちから、証言を取材するには、最後のチャンスともいうべき時をむかえていた。(中略)「戦争を知らない子どもたち」は、「戦争を知らない大人」へと成長していた。すでに、戦後生まれが、日本のじんこうの半分にたっしようとしていたのである。
 せいさんな地上戦が行われ、地形が変わるほどのばくげきほうげきを受けた沖縄にあっても、戦争体験は次第にふうしつつあったのだ。
 何事にも「時」がある。「時」をきわめ、「時」をのがさずに行動を起こしてこそ、大業のじょうじゅもある。「今」を見失うことは、「未来」を失うことである。(307ページ)

1975年(昭和50年)1月13日
第20巻「信義のきずな」の章
アメリカ国務長官と初対談

 〈中国、ソ連をおとずれ、対話による連帯をきずいた山本伸一は、アメリカ国務省のキッシンジャー長官と会談。長官は伸一に、“世界のどの勢力を支持するか”とたずねる〉
 伸一は、げんに答えた。
 「私たちは、東西両じんえいのいずれかにくみするものではありません。中国に味方するわけでも、ソ連に味方するわけでも、アメリカに味方するわけでもありません。私たちは、平和勢力です。人類に味方します」
 それが、人間主義ということであり、伸一の立場であった。また、創価学会の根本的なかたであった。(中略)
 平和の道をいかにひらくか――二人の心と心は共鳴音をひびかせながら、対話は進んだ。(380ページ)

1975年(昭和50年)11月8日
第22巻「みょうほう」の章
広島の心を人類のちかいに

 〈山本伸一は広島市の平和記念公園にあるげんばくぼつしゃれいで、題目をとなえる。伸一は“あやまちはかえさぬ”とのぶんを、人類の平和へのちかいであるととらえていた〉
 世界のこうきゅう平和をそうぞうしていくには、がいしゃ・加害者というぶんだんてきな発想をてんかんし、地球上のすべての人が、同じ人類、世界市民としての責任を自覚することが必要である。
 伸一は、慰霊碑の言葉は、それを世界に明示するものとして、高く評価していたのだ。
 その言葉を、広島の、日本の、そして、世界の人びとの誓いとしていくには、人類の心の結合が不可欠だ。それを可能にする生命そんげんてつこそが、日蓮仏法なのである。(340ページ)

1975年(昭和50年)11月9日
第22巻「みょうほう」の章
げんすいばくきんせんげん」を世界に

 〈戦後30年のふしむかえ、広島で行われた第38回本部総会。二度とあの人類のさんげきかえしてはならないとの決意で、山本伸一はかくへいぜつめつへのようていうったえる〉
 「私は、核兵器をはいぜつしていくためには、かくよくろんがいかに無意味であるかを強調するだけではりないと思います。
 より深くほんげんてきな次元から、“核兵器はあくさんぶつであり、それを使用する者も悪魔であり、サタンのこうである”という戸田先生のどうさつを、全世界に広めていくことが、最も根底的な核絶滅への底流を形成することになるものと考えたい」
 核兵器廃絶には、核兵器を絶対悪とする、るがざるこんぽんてつがくが不可欠である。(358ページ)

1992年(平成4年)
第30巻〈下〉「どき」の章
青年部の「ボイス・エイド」

 〈学会は、世界平和実現のために国連えんじんりょくしてきた〉
 学会は、国連と協力して、「現代世界のかくきょうてん、「戦争と平和展」「現代世界のじんけん」展などを、世界各地でかいさいしていった。
 さらに、一九九二年(平成四年)には、国連カンボジアざんてい統治機構(UNTAC)の事務総長特別代表(中略)から、中古ラジオのえんようせいがあり、学会青年部は「ボイス・エイド」(カンボジア・ラジオえんキャンペーン)をてんかいし、二十八万台あまりのラジオをぞうした。それは、カンボジア内戦後初の総選挙じっさいして、大きなこうけんたした。(中略)
 「広宣流布」そく「人類の幸福と平和の実現」こそが、われら仏法者のせいがんである。(64ページ)