「崇峻天皇御書」2024年2月27日
- 研さんのために③
青年部拝読御書「崇峻天皇御書」を学ぶ連載の第3回は、第3章を解説する。大聖人は、勝利を目前にした四条金吾の言説や振る舞いなどに対して、あえて厳しく、具体的に指導され、金吾に境涯革命を促していく。(創価新報2024年2月21日付)
第3章「護身の注意を促す」
御書新版1593ページ7行目~1594ページ4行目
御書全集1171ページ7行目~1171ページ18行目)
【御文】
これにつけても殿の御身もあぶなく思いまいらせ候ぞ。一定かたきにねらわれさせ給いなん。すぐろくの石は二つ並びぬればかけられず、車の輪は二つあれば道にかたぶかず。敵も二人ある者をばいぶせがり候ぞ。いかにとがありとも、弟どもしばらくも身をはなち給うな。
殿は一定腹あしき相かおに顕れたり。いかに大事と思えども、腹あしき者をば天は守らせ給わぬと知らせ給え。殿の人にあやまたれておわさば、たとい仏にはなり給うとも、彼らが悦びといい、これよりの歎きと申し、口惜しかるべし。彼らがいかにもせんとはげみつるに、古よりも上に引き付けられまいらせておわすれば、外のすがたはしずまりたるようにあれども、内の胸はもうるばかりにやあるらん。常には彼らに見えぬようにて、古よりも家のこを敬い、きゅうだちまいらせ給いておわさんには、上の召しありとも、しばらくつつしむべし。
入道殿いかにもならせ給わば彼の人々はまどい者になるべきをばかえりみず、物おぼえぬ心に、とののいよいよ来るを見ては、一定ほのおを胸にたき、いきをさかさまにつくらん。もしきゅうだち・きり者の女房たち「いかに上の御そろうは」と問い申されば、いかなる人にても候え、膝をかがめて、手を合わせ、「某が力の及ぶべき御所労には候わず候を、いかに辞退申せども、ただと仰せ候えば、御内の者にて候あいだ、かくて候」とて、びんをもかかず、ひたたれこわからず、さわやかなる小袖、色ある物なんどもきずして、しばらくにょうじて御覧あれ。
【通解】
それにしても、あなたの身も危うく思われてならない。必ず敵に狙われるであろう。すごろくの石は二つ並んでいれば取られず、車の輪は二つあれば道で傾くことがない。敵も二人でいる者には躊躇するものである。どのような過ちがあったとしても、弟たちを少しの間も側から離さないようにしなさい。
あなたはまったく短気な相が顔に表れている。私があなたのことをどんなに大事な方だと思っても、短気な者を諸天はお護りにならないと知りなさい。あなたが人に危害を加えられ、殺されたならば、たとえ成仏したとしても、彼ら敵にとっては喜びとなり、こちらにとっては嘆きとなり、残念なことである。
彼らは、あなたをどうしてやろうかと躍起になっているのに、あなたが以前よりも主君に信用されているので、表面は静かなようではあるけれども、胸の内は怒りに燃え上がるばかりであろう。普段は彼らの目に付かないようにして、以前よりも江間家の一族を敬い、ご子息たちが主君の元に来られているときには、主君のお呼びがあったとしても、しばらくは慎みなさい。
江間入道殿に万が一のことがあれば彼らは流浪の身になってしまうのに、そのことを顧みず、道理をわきまえずに、あなたがいよいよ主君の元へ再び仕えるのを見たならば、必ず嫉妬の炎を胸に燃やし、息を荒くすることであろう。
もし子息たちや権力のある方の妻たちが、「主君のご病気はいかがか」と問われたならば、それがどのような方であったとしても、膝をかがめて手を合わせ、「私の力の及ぶようなご病気ではありませんが、どのように辞退申し上げても、ともかくとの仰せつけでありますので、主君にお仕えする身であるゆえ、このように治療しております」と答えなさい。髪型も立派にはせず、直垂もぱりっとしたものではなくして、鮮やかな小袖や目立つようなものなどは着ないで、しばらく辛抱していきなさい。
日蓮大聖人御生誕の地・千葉から望む朝日。わが胸中にも闇をも照らす太陽の生命を輝かせゆこう
【解説】
第2章までで、大聖人は「内薫外護」の法理を示され、四条金吾自身が信心を貫いたからこそ、事態が解決に向けて大きく変化したと述べられている。
第3章では、今後の対応として、金吾に対する具体的な注意を与えられていく。状況が好転した今こそ、油断を排し、小さな魔すらもつけこませないように、日蓮大聖人はあえて警戒を促されたと拝される。
大聖人は第3章の冒頭で、「これにつけても殿の御身もあぶなく思いまいらせ候ぞ。一定かたきにねらわれさせ給いなん」と仰せである。
今まで金吾を陥れようとしてきた同僚たちは、金吾が江間氏から重用されるようになったのを見て、快く思うはずがない。大聖人は、「自軍の駒が二つ並んでいれば、敵軍の駒に技をかけられることはない」との当時の双六の話や、「輪が二つ並んでいれば傾くことがない」車の例えを通し、危機を回避する上で、決して一人にはならないよう、用心していくことを指導される。
続いて、「殿は一定腹あしき相かおに顕れたり。いかに大事と思えども、腹あしき者をば天は守らせ給わぬと知らせ給え」と述べ、金吾の表情に“短気の相”が表れていると指摘。短気な人を諸天は護らないと強調される。いくら自分が正しくとも、周囲と摩擦が起きるようでは、自分を守ることはできない。その結果、金吾が危害を加えられ、命を落とすようなことになれば、敵は喜び、味方は嘆き悲しむことになる。性格によって成仏に差別があることはもちろんないが、正義感が強い金吾の性分をよく御存じだった大聖人が、金吾が自身の心の一凶と向き合い、無明を打ち破っていくために、あえて強く仰せになったと拝される。
さらに、「彼らがいかにもせんとはげみつるに、古よりも……」と続く御文では、金吾を取り巻く人々の心の模様を喝破されている。
池田先生は本抄のこの箇所について、『勝利の経典「御書」に学ぶ』第4巻の中で、次のように講義されている。
「(大聖人は)悪世末法の娑婆世界にあって、貪瞋癡や慢疑の生命にとらわれ、怒りや争い、嫉妬の炎を燃やす人々が、人を悪口や讒言で陥れようとする恐ろしさを深く認識されていました」
「仏の一門の前進を阻もうとする本質が嫉妬の生命であると看破すれば、恐れることはありません。大事なことは、私たちの『勇気』です。そして、『智慧』であり、『賢明な振る舞い』です」
直面する困難な現実を前に、ただ諦めるのでもなく、自身の主張を押し通して軋轢を生むのでもない。事態の本質を見破り、“賢者の振る舞い”で打開していく中に、信心の本領があることを胸に刻みたい。
「もしきゅうだち・きり者の女房たち……」と続く箇所から、今回の範囲の最後まで、大聖人は重ねて金吾に対し、具体的なアドバイスを送られる。“主君の身内に、主君の病気のことを問われても、膝をかがめて手を合わせ、謙遜して答えなさい”“髪型も立派にせず、衣装も派手なものを着けないようにして、辛抱していきなさい”と、周囲に配慮した振る舞い・身なりを心がけるよう指導されるのである。
このように、大聖人は一貫して、金吾のみならず、金吾の周りの状況もよく理解されたうえで金吾に助言されていることが拝される。どこまでも一人の弟子を大切にし、何としても困難を乗り越え、勝利させようとの大聖人の大慈悲が拝されてならない。
「世界青年学会 開幕キャンペーン」も、いよいよ折り返しの時期にさしかかる。各部が団結し、青年世代への「訪問・激励」「対話拡大」に挑戦している。世界に広がる創価の大連帯も、「目の前の一人を大切に」してきたからこそ、築き上げられてきたといえよう。大聖人の御精神に連なり、一人にどこまでも寄り添い、励ましに徹し抜きながら、「世界青年学会」の構築へ、勢いよく前進していきたい。
【池田先生の指針から】
時には細かく身の処し方を。時には鋭く金吾の人間革命の急所となる課題の指摘を。時には不惜身命で戦う金吾への賞讃を――その度ごとに大聖人は金吾の顔を思い浮かべておられたのかもしれません。
大きくうなずく納得の顔、反省する顔、紅潮する顔、愁眉を開いた安心の顔、決意にひき締まっていく顔。
一瞬一瞬、変化する生命と対峙しながら、相手の無明の闇を晴らす。宿命を打開する勇気と希望を湧現させ、魔性を断破する智慧を与えていく。
個人指導は、慈愛と確信の真剣勝負です。生命と生命の打ち合いです。金吾を激励され、勝利への突破口を開いた「崇峻天皇御書」は、私たちにとって、いわば“信心指導の教科書”と拝することができるでしょう。(『勝利の経典「御書」に学ぶ』第4巻)
〈コラム〉心配りこそ指導者の要件
後輩を自分以上の人材に!
1952年(昭和27年)2月、池田先生が蒲田支部の支部幹事として、それまでの限界を大きく超える「201世帯」の折伏を達成し、広宣流布への突破口を開いた「二月闘争」。
池田先生は、現在のブロックにあたる「組」に焦点を当て、一人一人に心を砕き、励ましていかれた。青年らしく朗らかに、皆に心を配りながら戦う池田先生に励まされ、一人また一人が歓喜の折伏に立ち上がり、歴史的な拡大の結果となっていった。
今回の研さん範囲では、事態の解決に向けて状況が好転しているものの依然として命を狙われている四条金吾に対して、今まで以上に気をつけていくようにと、日蓮大聖人が細々と注意を与えられている。
池田先生は研さん範囲の御文を拝して、「細心の心配りこそ、指導者の要件です」と講義されている。どこまでも一人の弟子の無事を願う御本仏の真心、そして細心の心配りこそ、私たちが学ぶべき指導者の要諦である。
先日、ある会合で、先輩の励ましによって立ち上がった男子部員の体験を聞いた。
彼は建設会社で働いていたが、現場の厳しさから精神的に追い込まれ欠勤するようになった。その後、内勤の部署に異動する際に転居し、新たな生活をスタートさせた。
医師とも相談しながら男子部の活動に積極的に参加すると徐々に体調が改善。この間、男子部の先輩はいつも真剣に彼に関わり続けた。部屋が汚ければ一緒に掃除をしてくれた。冬に薄着でいた時は暖かい服装になるよう声かけを。身なりを整えることも、大事な体調管理であることをさりげなく指摘してくれた。彼は、「ここまで自分の面倒を見てくれるのかと驚いた」と語っていた。
信心根本に地道に仕事に励む中、やがて自分の状況に見合った部署へ異動することに。以前の部署で教わったことが生かされ、全てを意味のあるものにできると、心から実感できた。
この歓喜を胸に折伏に挑戦する中で、友人への弘教を結実。大学校生だった彼は現在、男子部の部長として奔走している。
「心を砕き、励まし続けてくれた先輩たちのおかげで成長できた。今度は自分が、部員さんのために尽くしていきたい」
池田先生は、人材育成について次のように指導されている。「後輩を自分以上の人材に育てようという自覚をもった人が偉いのです。その人こそ、本当の人材です」
“後輩を自分以上の人材に”――ここに創価学会に流れる人材育成の精神がある。そのために私たちが範とすべきは、日蓮大聖人の御振舞であり、学会員一人一人のために心を砕き、励まし続けてくださった師匠・池田先生の行動である。
どこまでも「目の前の一人」を大事にする創価の伝統を継承し、「世界青年学会」の陣列を力強く築いていきたい。
(男子部教学室 荒木淳一)