〈ONE GOSHO この一節とともに!〉 男子部教学室編
· 新池御書
·「歩み続ける人」が勝利者に
人生も広布の戦いも、最後まで諦めなかった人だけが、目的を達成する。勝利のための「執念」の大切さについて学ぶ。
御文
譬えば、鎌倉より京へは十二日の道なり。それを十一日余り歩みをはこびて、今一日に成って歩みをさしおきては、何として都の月をば詠め候べき。(新2063・全1440)
通解
例えば、鎌倉から京までは12日の道のりである。それを11日余り歩いて、あと1日となった時に歩くのをやめたのでは、どうして都の月を詠ずることができようか。
背景
本抄は弘安3年(1280年)2月、日蓮大聖人が59歳の時、遠江国(現在の静岡県西部)の門下、新池殿に与えられたお手紙である。
冒頭、正法流布の時である末法に生まれ合わせたことを喜ばれるとともに、法華経を信じることのできない人々を嘆かれている。たとえ、法華経を受持しても、経の本意に背けば、悪道に堕ちると述べ、謗法を犯すことを厳しく戒められた。
一方、法華経の行者を一度でも供養する功徳は、釈尊を長期間、無量の宝をもって供養する功徳より百千万億倍も優れ、悪道に堕ちることはないと断言され、“いよいよの心”で、最後まで信心を貫くよう教えられている。
さらに、在家よりも邪智の僧侶が仏の敵となっていた当時の状況を指摘され、極楽寺良観らの悪侶を厳しく破折。最後に、題目の偉大な功徳と成仏の鍵が、強盛な「信」にあると明かされている。
解説
「うれしきかな、末法流布に生まれあえる我ら」(新2062・全1439)――本抄の冒頭、日蓮大聖人は、正しき法を広宣流布すべき「時」である末法に生まれ合わせた喜びをつづられている。
しかし、そのような得がたい時に巡り合えたとしても、やがて信心が薄れ、慢心にとらわれてしまう、と凡夫のつたない心を指摘された。
今回の拝読御文の直前では、「始めより終わりまで、いよいよ信心をいたすべし。さなくして、後悔やあらんずらん」(新2063・全1440)と断言され、「いよいよ」の決意で、最後まで信心の実践を貫くべきであると御教示くださっている。
そして、「都の月」の譬えを通して、信心を根本に悔いなく目的地まで歩み抜くことを訴えられている。
古来、日本人は花鳥風月をめでてきた。鎌倉時代初期に編まれた「新古今和歌集」にも、「月」を詠んだ歌がいくつも収録されている。
また、当時の道のりで、鎌倉から京都までは、480キロ以上あったといわれ、徒歩で12日前後かかったという。手軽に映像を映し出すテレビやインターネットなどの通信手段はもちろん、現代のような高速の移動手段が発達するはるか以前の時代である。鎌倉から京都まで、長い道程を越えて眺める「都の月」の輝きは、どれほどの感動を人々に与えただろうか。
小説『人間革命』第10巻「険路」の章では、昭和31年(1956年)の「大阪の戦い」の佳境、山本伸一が本抄を通して、最後の最後まで同志と固く団結し、戦い抜くことを訴えた場面が描かれている。
「これからが、いちばん大切な時になってきました。都の月を詠めるのには、もうひと息のところまで来ました」
さらに伸一は、今こそ魔が最も激しく競い起こる時だと語り、「潔い心構えでいこうではありませんか」と。魔を魔と見破り、すっきりした決意で戦い抜くことを呼びかけたのである。
若き池田先生に呼応した関西の同志が最後まで「あと一歩」を踏み出し、一人一人が執念の戦いを貫いたからこそ、「“まさか”が実現」の歴史を築くことができたのだ。
人生も広布の戦いも、ゴールの瞬間まで信心の炎を燃やし続けた人が勝つ。“もうだめだ”と、くじけそうになることや、“これくらいでいいだろう”と妥協に陥ることもあるかもしれない。だが、途中で歩みを止めてしまえば、それまでの努力や苦労は全て水の泡になる。
池田先生はつづっている。
「偉大な目的をめざし、健気に働き続けた人、歩き続けた人、そして、生涯、戦い続けた人が永遠の勝利者である。歩き続ける人は、最も遠くまで行く人だ。最後まで戦い抜いた人が、最高の幸福の目的地に到達する人だ」
今回の御文の直後に大聖人は、どこまでも法華経の心を知る善知識の存在を求めて、信心の歩みを運ぶよう教えられている。
私たちもまた、常に心に師を抱き、同志と共に、信心の大道を歩み抜いていきたい。“最高の目的地”は、その道の先にしかないからだ。