〈ワールドトゥデイ 世界の今〉 2024年2月19日

希望の仏法哲理を社会に広げるローマの友。ミケランジェロが設計した「カンピドーリオ広場」で、喜びにあふれて(昨年9月)

希望の仏法哲理を社会に広げるローマの友。ミケランジェロが設計した「カンピドーリオ広場」で、喜びにあふれて(昨年9月)

 イタリアの首都ローマは、2000年をえる歴史を今に伝える「永遠のみやこ」。キリスト教カトリックの中心地でもある。この地で日蓮仏法をたもち、社会にしんらいと共感を広げるメンバーの活動にせまった。(記事=萩本秀樹、写真=石井和夫)

平和と幸福にくす仏法

 歴史にきざまれるぎょうはいには、名を残さずともだかく生きた、無数のしょみんたちがいた。2000年以上前からさかえたローマていこくの伝統と文化を、下支えしたいく百万の人たち。はんえいおもてたいには立たなくとも、彼ら、彼女らも「そんしんをもち」「自分の居場所を切り開くというかんな現実に生きていた」(ロバート・クナップ著『古代ローマの庶民たち』西村昌洋監訳・白水社)。
 
 イタリア創価学会の発展も、池田大作先生と共に、名もなき庶民たちが築いた歴史である。
 1961年10月、先生はイタリアを初訪問。第一歩をしるしたのは首都ローマだった。「永遠なる“精神の大世界”、すなわち“妙法の国”を、一人ひとりのきょうちゅうに築き上げ、人間きょうの『永遠のみやこ』を建設することがわが創価学会の使命だ」と、先生は小説『新・人間革命』につづった。
 
 ローマには、カトリック教会の中心・バチカン市国がある。世界で10億人以上といわれるカトリック教徒が、日々おとずれる。この地にともされた日蓮仏法の。小さくとも、人生と社会をみちびたしかなしんとなっていった。イタリア創価学会の連帯は、今、10万人にせまる。

カトリックの中心地であるバチカン市国には日々、世界中から人々が訪れる

カトリックの中心地であるバチカン市国には日々、世界中から人々が訪れる

 フランチェスコ・ジェラチターノさん(壮年部長)は、カトリックの家庭に生まれ育った。生まれる前に生命はないのに、死後にはなぜ、永遠の天国やごくが待つのか――。その答えを、さまざまな宗教にさがし求めた。仏法が説く三世の生命観に、心底なっとくがいった。
 
 81年5月、池田先生がフィレンツェを訪問。まだ入会していなかったジェラチターノさんも、会合会場の設営など準備にほんそうした。先生が、“20年後を目指そう”と明確なしんを示したおどろきと感動を、今も覚えている。
 「木に実がなるのに20年はかからないかもしれません。でも、たいぼくに育つまでには長い年月を必要とします。入会前だった私にも、『信心の大木』に育とうという、大きな目標ができました」
 
 この出会いをた81年9月、御本尊をじゅ。87年にけっこんし、義父がそうした老舗しにせのコーヒー豆おろし会社をぐ。経営のかたわら、イタリア・コーヒー協会副会長を数年間つとめるなど、地域、社会にしんらいを広げてきた。2008年の世界けいざいも、信心こんぽんえた。

フランチェスコ・ジェラチターノさん

フランチェスコ・ジェラチターノさん

 再びの大きなれんとなったコロナ。売り上げは約4わり減少した。現状打開をいのる中、2009年の先生との出会いを思い起こした。SGI研修で日本をおとずれ、参加した本部幹部会の席上。先生と固いあくしゅわし、「ヴィンチェロ(勝ちます)!」とちかった。
 “断じて負けない”と前を向く。売り上げは、まだコロナ禍前の水準にはもどっていない。消費者の動向の変化をきわめ、新たな営業戦略にも乗り出した。
 
 そうして歯を食いしばる日々が、同じようにふんとうする、多くの壮年部員の苦労を知り、はげましを送るかてとなっていた。ゆえに苦労は「最高のどく」だったのだと、ジェラチターノさんは実感している。
 
 ジュリア・チェザローニさん(婦人部書記長)は、ラツィオ州保健サービスのえきがく部門で研究にじゅうする。
 コロナ禍では、かんじゃ数の増減やじゅうしょうりつ等のデータにもとづき、病院の管理体制などについて州政府に提案するプロジェクトに加わった。
 
 学生時代に折伏を受けた。父は物理学、母は統計学で、ともに大学教授。チェザローニさんは大学で数学をせんこうしていた。物事を合理的、ろん的に考える性格。だが、両親の不仲、自身や家族の病気など、自分のちからだけではどうしようもできない苦難に次々とおそわれる。仏法の話を聞いたのは、その頃だった。
 学会員の友人の、人生に対する向き合い方が印象に残った。大きななやみをかかえているはずなのに、ゆうゆうとそれに立ち向かっている。知り合う皆がそうだった。
 
 「このしんこうには何かあるはず」と、たしかめる気持ちで座談会へ。出会う人たちの温かなかんげい、そして題目のおんじょうに心が動く。頭で理解するよりも早く、チェザローニさんは唱題のじっせんを始めていた。
 90年に入会。その後、母と父、弟も続いた。いっらくとともに、学問の道も大きく開かれていった。

ジュリア・チェザローニさん

ジュリア・チェザローニさん

 大学を卒業した直後の92年6月、フィレンツェをほうもんした先生と出会いをきざみ、“人の役に立てる学者に”とちかった。よく93年から現在の職場に勤務。以来、30年以上にわたって医学の最前線でかつやくしてきた。
 
 ぼうな中で広布に走る。「30年間そうでした」とチェザローニさんは笑顔で言う。女子部でも婦人部でも、立場が小さくても大きくても、学会活動で生命力をかせ、社会で実証を光らせてきた。
 その原動力は「今も昔も、小説『新・人間革命』です」。どんなじょうきょうにあっても、先生は対話のちからで平和の道を切り開いていった。その師の姿すがたみちびきの星として、みずからの使命に生きている。

イタリア創価学会の活動の中心は、グループ単位での座談会。青年部の集いもにぎやかに行われた(昨年9月、ローマ市内で)

イタリア創価学会の活動の中心は、グループ単位での座談会。青年部の集いもにぎやかに行われた(昨年9月、ローマ市内で)

会合会場から見える、ローマの神々を祭った神殿「パンテオン」

会合会場から見える、ローマの神々を祭った神殿「パンテオン」

宗派をえて友情をむす

 古代ローマていこく以来、カトリック教会は、イタリアで絶大なけんほこり、人々の生活に深く根をろしてきた。
 1984年に政教協約がていけつされ、それまでられていた国教制ははいされた。今も国民の大半はカトリック教徒である一方で、若者を中心に“宗教離れ”が進み、人生観や価値観も多様化するなど、社会は大きく変わってきている。
 
 イタリア創価学会のしょうがい部長を、長年、務めるロベルト・ミンガンティさん(壮年部アドバイザー)は、多くの教会関係者としんこうかさねてきた。道しるべとなったのは先生の指針である。
 
 『新・人間革命』には、61年10月のローマ初訪問の折、同行の青年の一人から“仏法をひろめる上で、他の宗教とどう接していけばいいか”と質問された山本伸一が、こう答える場面がえがかれる。
 「宗教は、どこまでも、人間のためのものであり、さいゆうせんされるべきは人間のそんげんです。宗教のちがいによって、人間を差別するようなことがあっては絶対にならない。また、いかなるしゅうの人であれ、人間として最大限にそんちょうしていくことが、本来の仏法の精神であり、創価学会の永遠不変の大原則です。なぜなら、平和を、そして、一人ひとりの幸福を実現していくための仏法であり、それが人間の道であるからだ」
 
 研修会で来日した96年には、ミンガンティさんらイタリアのメンバーと先生との、懇談会が行われた。先生は、一人一人に温かなはげましを送りながら、“友情のたね”をまく大切さについて語った。
 ミンガンティさんは語る。「たとえ創価学会を知らない人でも、先生のひとがられれば、たちまちりょうされてしまいます。友情を結ぶかぎも、先生のような広い心で、相手をつつむことにあるのだと教えていただきました」
 
 イタリアの友は、宗派をえて、人間と人間のつながりをつくっていった。朝食時や仕事の合間のきゅうけい時に、友人を誘い、きってんでカプチーノを飲みながら語り合う。れい作法やこころづかい、身だしなみ一つにも気を付けた。

ロベルト・ミンガンティさん

ロベルト・ミンガンティさん

 広報室長のエンツォ・クルシオさん(壮年部員)も、長年、そんな“カプチーノ外交”で、友情を広げてきた。
 
 イタリア創価学会が進めてきた、かくへいはいぜつや気候変動をはじめとする社会課題への取り組みや、次代を開く青年たちの意識啓発。こうした活動などについて語ると、きょうを示す教会関係者もいた。
 日蓮仏法もカトリックも、平和を目指す点ではいっしている。生命尊厳という共通のばんに立つことで、宗教の違いも乗り越えていける。“先生が言われた通りだ”とクルシオさんは感じた。
 
 神学を研究し、カトリックの教義にもせいつうするクルシオさん。深めた友情をかえり、「彼らは主に二つの点で、創価学会にけいいだいています」と言う。
 一つは、しゃくそんそして日蓮をげんりゅうとする、長い伝統を持つ宗教であること。そしてもう一つは、自らの教義としんこうに、確信とほこりを持っていることです――と。

エンツォ・クルシオさん

エンツォ・クルシオさん

 2015年、イタリア共和国政府とイタリア創価学会の間で、インテーサ(宗教協約)が調印され、よく16年にはっこうした。
 インテーサとは、共和国けんぽうの第8条にもとづき、国家がみとめた特定の宗教団体に、一定のけんや特典をしょうする法的な取り決めのこと。学会は、カトリック以外の宗派・団体として12番目のにんていとなった。
 
 また、よく17年にはローマきょうこうちょうの招へいを受け、バチカンでかいさいされた核兵器廃絶をめぐる国際会議に、ゆいいつの仏教団体としてSGIの代表が出席した。
 
 カトリックの中心地で広がる、学会へのしんらいと共感。先生のしんを根本に、学会員一人一人が、るがぬ確信と誇りを胸に、仏法そく社会の実践をつらぬいてきたことへの、評価と期待の表れにほかならない。

古代ローマ時代の遺跡「フォロ・ロマーノ」

古代ローマ時代の遺跡「フォロ・ロマーノ」

「コロッセオ」

「コロッセオ」

 フランチェスカ・マリア・コッラオさん(方面副婦人部長)は、母のすすめで信心を始め、1987年に御本尊を受持した。
 当時、アラブ文化を研究する学生として、しょうでアラビア語しょせきほんやくをしていた。入会して間もなく、ちょめいなイタリア人詩人と出会ったえんで、大手出版社からの出版が決まる。初信の功徳にしんこうの力を感じた。以来、水の流れるような信心をつらぬく。
 
 現在はローマにあるルイス大学の教授として、アラブ文化やアラビア語を教える。コロナ禍では、3冊の著書を出版した。昨年務めたアメリカ・ハーバード大学での客員教授は、本年も予定している。
 
 カトリック社会の中で仏法をじっせんし、研究ではイスラム教を学び深める。それぞれの文化のすいいろどられた毎日の中で、実感する。勇気、ちょうせん、努力、責任感――私たち学会員が大事にする価値は、他の宗教にも共通しているものだ、と。
 だからこそ、「真心や愛情をごろいで示すことが大切」とコッラオさん。「カトリック教徒の夫との対話は、一番身近な“宗教間対話”です」とほほ笑む。

フランチェスカ・マリア・コッラオさん

フランチェスカ・マリア・コッラオさん

 アントネッロ・ドーゼさん(副方面長)も、カトリックの家庭で生まれ、仏法を選び取った一人。信心に出あったのは89年。放送作家やはいゆうとして活躍しながらも、自分に自信が持てずにいた。
 唱題を始めた直後、あるリーダーが語った。「せんたくに入れたシャツのよごれは、最後まで待たないときれいに落ちない。信心も、やると決めたら最後までがんるんだよ。宿命は必ずあらながされていくから」
 
 同志の励ましは、いつもへいな言葉でありながら、じんそくで、思いやりにあふれていた。「きょうは彼のお母さんの手術の日だね」「明日は彼女の試験があるよ」と、電話や手紙でサポートをかさない。身近な人を大切にし、きずなを結ぶ喜びを、学会活動の中でかみめた。
 
 ドーゼさんの両親は、ねっしんなカトリック教徒。わが子の変化をぢかで見ていた。
 「私がしんけんに信心に励む姿すがたを見て、二人の仏法理解も進んだのだと思います。自ら選んだ宗教を100%信じて実践するのは、キリスト教も仏法も同じです」
 
 競争のはげしい芸能界で、95年から現在にいたるまで、国営放送のラジオ番組で作家、司会者としてかつやくする。イタリア国内でも記録的な長期番組である。
 ラジオの中で、自身のかたせきに語る。LGBTQ(性的少数者)としてのかっとう。がんをはじめ数々のとうびょう。希望をともしてくれたしんこう――。体験をつづったしょせきは、5万部以上の売り上げを記録。ポルトガル語版がブラジルでも出版された。
 
 昨年、大統領令に基づくイタリア共和国功労くんしょうを受章した。「仏法者として社会に貢献し、しょうこたえたいという思いが、私の最大の原動力。だから全ては“妙法への勲章”です」とドーゼさんは語る。

アントネッロ・ドーゼさん

アントネッロ・ドーゼさん

 イタリアをはじめ、世界のあの地この地に、師のはげましと同志のせったくちからに変えて、より良い社会の実現にくす学会員がいる。はなやかではなくとも、誇り高く、わが生命の中に“精神の大世界”を築き上げる無数のしょみんの人生は、広布史にさんぜんと輝くだいぎょうである。