(アメリカSGI機関紙からてんさい)2024年2月16日

  • ぎゃっきょうという炎できたたれた「全人類の幸福をきずく」との決心

 池田先生のせいきょに際して、アメリカの仏教研究者クラーク・ストランド氏が、アメリカSGIの機関紙「ワールド・トリビューン」の本年1月2日付についとうぶんを寄せた。そのようしょうかいする。

 「ワールド・トリビューン」から、学者、てつがくしゃ、そして世界最大の在家仏教運動の指導者である池田大作氏から学んだことについて、かえってほしいとの依頼を受けた時、私は、みずからの体験を書かずして、それに応えることは不可能だと思いました。
 
 精神的指導者が、どれほどだいな人物であったかを判断する真のしゃくは、どれだけの個人の人生にえいきょうあたえたかにあります。
 
 過去20年間にわたり、私は何百人もの創価学会メンバーにインタビューしました。その中には、多くの日本のリーダーもふくまれています。その出会いのたびに、私はメンバーと池田氏の関係について質問しました。
 
 宗教運動史をせんもんとするジャーナリストとして、もし私がその運動を組織の内側から書いてしまえば、池田氏や彼がすいしんした運動について、説得力を持って書くことはできません。その意味から、早いだんかいで、自分はSGIのメンバーにはならないでおこうと決めました。
 
 その後、SGIについて学ぶために日本を2度おとずれ、SGIの歴史とかいしゅうきょうにおける位置についての本を出版しました。その過程で、何年にもわたって池田氏にインタビュー(往復書簡等=編集部注)し、交流するという前例のないジャーナリストとしての経験をしたのですが、実を言うと、私は池田氏を「先生」や「しょう」とぶことができるSGIの友人たちを、うらやましく思っていました。

幾百万、幾千万の地涌の同志が今、世界中で立ち上がっている(昨年5月にニューヨーク市内で行われたアメリカSGIの東部方面代表幹部会)

幾百万、幾千万の地涌の同志が今、世界中で立ち上がっている(昨年5月にニューヨーク市内で行われたアメリカSGIの東部方面代表幹部会)

初代・2代の闘争をもとに池田先生がえいぞくする運動を確立 何百万もの弟子の心に生き続ける

 私は何度か、SGIについて書くことをやめて、みなと同じようにSGIのメンバーになりたいとも思いました。しかし、それはできませんでした。なぜなら、そうしてしまうと、池田会長と、宗教思想に対する会長のなみはずれたこうけんについて、語れなくなってしまうからです。
 
 〈ストランド氏はSGIのメンバーにならないものの、日々、題目をとなえている〉
 
 私は長年にわたって池田先生から多くのことを学びました。その多くは、御書、法華経、SGIの歴史に関する先生のぼうだいちょさくを通して得られたものです。また、その他のことは、先生との交流を通じて理解しました。
 
 私が最もかんめいを受けたのは、先生のが持つじっせんてきな価値です。先生が示された智慧は、げんみつに見られても正しく、どんな圧力にもくっしないものであり、とうそうの中で生まれたものです。逆境というほのおの中できたたれた、「全人類の幸福を築く」という先生の決心は、何ものにも打ちくだかれることはないでしょう。
 
 私はちょしょ『Waking the Buddha』の冒頭で、永続する精神的伝統のそうぞうなべ作りにたとえました。このプロセスには、三つのだんかいがあります。
 
 まず、ねんをろくろの上で強くたたき、しっかりとした足場を作ること。次に、とうげいの手で回転させて、使いやすい形に仕上げること。そして、最後にゆうやくり、かまに入れて火で焼くことです。全てがうまくいけば、作品は美しく、たいきゅうせいのあるものになるでしょう。しかし、作品の出来は、窯の中で何が起こるかに全てがかっています。私はこの例えを使って、創価学会の形成期と三代の会長のしょうがいを表現しました。
 
 初代会長・牧口常三郎氏は第2次世界大戦中、国家主導の神道への支持をきょすることで創価学会のるぎないしんこうの「足場」を確立し、第2代会長・戸田城聖氏は創価学会に独特の現代的な「形」をあたえました。
 
 そして第3代会長の池田氏に、プロセスのせいを左右する最も重要な部分がゆだねられたのです。池田氏によって、創価学会は、冷戦時代の最もけんな時代の中、国際対話の「火」によってせいれんされていきました。
 
 冷戦が終わりを告げたように見えたときでも、SGIが平和に対して変わらぬ取り組みを続けていたことは、私が日蓮仏教をさらに深くたんきゅうするきっかけとなりました。

立正安世界の実現へ、永遠の師弟旅を!――(サンタモニカ市内で本年1月に開催されたロサンゼルス・パンパシフィック圏の集い)

立正安世界の実現へ、永遠の師弟旅を!――(サンタモニカ市内で本年1月に開催されたロサンゼルス・パンパシフィック圏の集い)

 SGIは、暴力に対して、池田先生が示した「かん」でぜんと立ち向かいました。信心、そしてほがらかな決意をむねじっせんするしんこう活動にうらちされた、何ものにもくずされない幸福――これこそが、人間の不幸のきゅうきょくの原因として日蓮が語った「がんぽんみょう」への対抗しゅだんなのです。
 
 それも、伝わり続けなければ意味がありません。一本のろうそくから、別のろうそくへ火がともされ、やがて、全世界を照らすように――。
 
 しゃくそんは法華経のずいどくほんで、こう説いています。
 
 “法華経を聞いて随喜した一人の人がその喜びを人に伝え、その人がまた別の人に伝えていき、50番目までがれた随喜の功徳ですらばくだいである”と。
 
 私はアメリカと日本でSGIを研究していた数年間に、何百人、いな、何千人もの“歓喜にちた50番目”に出会いました。池田氏の教えの真実性や、現代史における意義について示す事実はあまりに多く、うたがいようがありません。

学会には、創価三代の師弟が築いた、麗しき人間共和のオアシスが広がる(2019年のアメリカ・ボストンの座談会)

学会には、創価三代の師弟が築いた、麗しき人間共和のオアシスが広がる(2019年のアメリカ・ボストンの座談会)

 この追悼文を書いている時、長年、信心をしているメンバーから次のような話を聞きました。その話は、私が書く池田氏のせいきょについての文章以上に、氏が人々の人生に、どのようなえいきょうあたえたかをゆうべんに物語っています。
 
 「池田先生が、おくなりになったと聞いたよくじつに、私は座談会に出席しました。そこで、年配のアフリカけいアメリカ人のメンバーが、こう語られたのです。『先生は、私の心の中に生きています』と」
 
 これこそが、弟子として先生に代わって広宣流布の夢を前進させるというSGIメンバーの大多数の反応であり、決意であると私は理解しています。
 
 ガンジーのようなだいな人物の死をいたむのではなく、池田先生が育てた何百万人ものガンジーは、人々にちからあたえ、目覚めさせ、目に見えるものをはるかにえてSGIの平和運動をけいぞくはってんさせていくという使命をたしゆくことはちがいないと確信します。