〈師弟の絆 われらのちかい〉 

2024年2月15日

  • 池田先生「てっして一人を大切に」
  • 全リーダーがグループ長をけんにんし最前線へ
  • 少人数の語らいがやくしんを支えるちから

池田先生へのシドニー平和財団「金メダル」の授与式(2009年4月、東京牧口記念会館で)。ニール理事長をはじめオーストラリアSGIの代表も出席した

池田先生へのシドニー平和財団「金メダル」の授与式(2009年4月、東京牧口記念会館で)。ニール理事長をはじめオーストラリアSGIの代表も出席した

 本年5月、池田先生がオセアニアをほうもんしてから60年のせつきざむ。先生は1964年5月、オーストラリアの各都市をおとずれ、同国初の「メルボルン支部」を結成。現地メンバーのしょうかいたずねてきた友に仏法対話し、オーストラリア人へのきょう第1号になるなど、オセアニア広布のげんりゅうを築いた。しんかく「師弟のきずな われらのちかい」の第1回では、同国SGIのテリー・ニール理事長とスージー・チャン婦人部長に、現在の広布しんてんの様子などを聞いた。

テリー・ニール理事長㊨とスージー・チャン婦人部長

テリー・ニール理事長㊨とスージー・チャン婦人部長

 ――オーストラリアSGIは2000年代から広布のじんれつが2倍以上に拡大し、コロナにあっても着実に前進してきました。やくしんの原動力は何でしょうか。
  
 テリー・ニール理事長 私たちは長年、全リーダーがグループ長(日本のブロック長・白ゆり長)をけんにんし、少人数のグループ座談会をかいさいすることに注力してきました。このグループにしょうてんを当てた運動と、メンバー一人一人へのはげましが、私たちの前進のちからとなっています。
  
 スージー・チャン婦人部長 テリーも私も、グループ長として自身の座談会を定期的にしゅさいしています。組織でどんな役職をになっていても、全リーダーにとって根本的に大事なことは、グループの責任者として、どれだけ一人一人にくしていけるか、自身のグループから、どくの体験と人間革命のドラマを生み出すことができるかです。
  
 ――なぜ少人数の「グループ」を大事にしてきたのですか。
  
 ニール理事長 池田先生は1952年の「二月とうそう」で、当時の組織の最小単位である「組」(現在のブロック)に焦点を当て、一人一人に励ましを送られました。先生は、「二月闘争の精神は、今もめつである。一対一のきずな。これが、最も大切なのである」とつづられています。師のしん通りにじっせんし、オーストラリアは着実に前進を続けてきました。
  
 チャン婦人部長 少人数で語り合い、しんらいと友情をはぐくむことは、多文化主義のオーストラリアにとって、とても大切です。オーストラリアSGIにも、多様な出身国のメンバーがいます。たがいの文化や考え方をそんちょうしながら理解し合うには、大きな会合で一方的に何かを伝えるのではなく、そうほうこうでじっくり語り合うことが大事なのです。
  
 ――オーストラリアは「多文化せいさく」を取り入れた70年代から総人口が約2倍になり、そのうち「自分が移民、もしくは両親のどちらかが移民」というわりあいが、実に5わりえると聞いています。
  
 ニール理事長 オーストラリアで「多文化主義」が始まってから約半世紀がたち、多様な人種や民族が共生する姿すがたは、当たり前の光景となりました。一方、社会の分断が進み、人々のつながりがはくになってきているのも事実です。少人数で語り合い、ちがいをみとめ、尊重し合い、人間と人間を結んでいく私たちの対話運動は、オーストラリア社会の「希望の光」であるとしています。グループ座談会こそ、心と心をつなぐ「希望のオアシス」だからです。
  
 チャン婦人部長 グループ座談会は、メンバーや地域の友人と定期的に対話し、励まし合っていく取り組みです。入会の有無にかかわらず、誰でも気軽に参加できる環境を各グループがつくっていけるよう願っています。私のグループにも、長年参加してくださっている会友の方がいます。池田先生の指針を根本に、何でも語り合い、互いに励まし合える、温かなふんをつくれるよう心がけています。

メルボルンのグループ座談会では、参加者の全員が海外からの移住者だった

メルボルンのグループ座談会では、参加者の全員が海外からの移住者だった

 ――オーストラリアSGIと池田先生の師弟の原点について教えてください。
  
 ニール理事長 60年前、池田先生がオーストラリアの各都市を訪問してくださり、人々の幸福をいのり、一人一人を励まし、こんにちのSGIのはってんいしずえを築いてくださいました。私たちはこのほまれの歴史を決してわすれず、さらに未来に向かって幸福の連帯を広げ、先生の思いにこたえていきたい。池田先生は訪問の後も、オーストラリアのメンバーを日本で何度もげきれいしてくださり、常に励ましと前進の指針をおくってくださいました。
  
 チャン婦人部長 先生から激励を受けたそうそうの同志が、広大なオーストラリア大陸をけ回り、広布の原野をかいたくしていきました。
  
 私はおさなころ、70年代の後半に西オーストラリア州の州都パースにホンコンから移住し、80年代の初めに、一人で私を育ててくれた父といっしょに入会しました。当時、メンバーは数えるほどしかいませんでしたが、草創の同志が先生との原点をむねに、けんめいに励ましの輪を広げる姿を、今でもせんめいに覚えています。
  
 未来部時代から創価家族の庭で育ち、どくえ、人生の意味を見いだせたことが、私の一番の功徳です。
  
 ニール理事長 私は人生のなんに直面していた2006年に、しんせきしょうかいでSGIのことを知りました。パースの西オーストラリア会館を3度たずねて、最初の2回はいずれもへいかんしていましたが(笑い)、3度目でようやくメンバーに出会い、入会することができました。グループ長に本当によくめんどうを見てもらい、じょじょに信心の確信をつかみ、大きくきょうがいかくめいすることができました。

「世界で一番美しい都市」ともいわれる西オーストラリア州の州都パース

「世界で一番美しい都市」ともいわれる西オーストラリア州の州都パース

パース市の西オーストラリア会館

パース市の西オーストラリア会館

 ――ニールさんは2023年、入会から17年で理事長にしゅうにんされました。オーストラリアのメンバーは、師弟についてどのように深めているのですか。
  
 ニール理事長 私自身、入会前に池田先生のちょさくれ、“この人のように考えられるようになりたい”と思ったのが、最初の“師との出会い”でした。
  
 師弟とは、常に深めていくべき、人生の旅路のようなものだと思います。09年に東京で行われた、池田先生へのシドニー平和財団「金メダル」じゅしきに出席した時も、先生と心でつながるのを感じました。その後も、先生の指針を学び続けることで、自身の苦難をえ、自他共の幸福のためにくすかんの人生を歩むことができました。
  
 ですから、メンバー一人一人が、師の著作を研さんし、師の心につながっていくことが、一切のようていだと確信しています。多様性の中の団結も、みなで師を求めていくことで実現するものです。
  
 チャン婦人部長 池田先生は、オセアニア広布50周年となる10年前の5月3日、オーストラリアSGIにモットーを贈ってくださいました。
  
 一、師弟せいがんの祈りで広布をすいしんするオーストラリアSGI
  
 一、てっして一人を大切にたいどうしんの団結光るオーストラリアSGI
  
 一、青年が勇気を持って前進する人材の大城オーストラリアSGI
  
 一、御書根本に希望と幸福の連帯を築くオーストラリアSGI
  
 一、世界の同志と共に平和の新時代を開くオーストラリアSGI
  
 師弟誓願の祈りを根本に、てっていして一人を大切にし、多様性に満ちたオーストラリア社会で、異体同心のらくの団結を築いていく――。この思いで、これからもメンバーの幸福のために尽くしていきます!
  
 ニール理事長 昨年11月18日、私たちは全国の方面幹部が一堂に会する代表者協議会を行いました。草創の同志から師弟の精神について学ぶ研修を終えた、まさにその時、池田先生のせいきょの報に接しました。すぐに全幹部でついとうの唱題会を行いました。なみだぐむ人もいましたが、今まで経験したことのない、決意と団結の題目のおんじょうが会場に満ちました。
  
 オーストラリアSGIは、永遠に師と共に前進します。世界の同志と共に平和の新時代を開くために、この多文化主義の使命の天地で、多様性の中の団結こそ前進の大きな力であることを証明していく決意です。

シドニーのオーストラリア文化会館に集った青年部の友が語らいのひとときを

シドニーのオーストラリア文化会館に集った青年部の友が語らいのひとときを