【世界広布の源流 青年に語る創価の魂】第24回 法難と大阪事件〈上〉
·〈出席者〉池田主任副会長、梁島男子部長、林池田華陽会委員長、田島学生部長、先﨑女子学生部長
· 師弟の結合が学会の生命線
「未来の勝利は、青年が育つかどうかで決まる」――2006年7月20日に開催された本部幹部会で、池田先生は訴えた(八王子市の東京牧口記念会館で)。席上、かつて「大阪事件」の裁判に臨み、関西の青年に語った言葉を紹介。「私は、戸田先生の弟子です。東洋、そして世界の平和をリードする革命児です。これくらいのことは、何とも思っていません。諸君は、自らの一日一日の闘争を、立派に勝ち抜いてもらいたい」と
◆田島 今月6日は、牧口先生と戸田先生が1943年(昭和18年)、不敬罪、治安維持法違反の容疑で、軍部政府の弾圧によって捕らえられた「法難の日」です。本年で80年を刻みます。
◇池田 第2次世界大戦下の同年6月27日、軍部政府の弾圧を恐れた宗門は牧口先生、戸田先生らを呼び付け、「神札を受けてはどうか」と迫ります。
牧口先生は「承服いたしかねます。神札は絶対に受けません」と言下に否定されました。両先生が逮捕されたのは、この直後のことです。
獄中での取り調べは、苛烈を極めました。しかし、牧口先生も、戸田先生も自らの信念を貫かれました。翌44年(同19年)11月18日、牧口先生は73歳で、死身弘法の崇高な生涯の幕を閉じられます。
不二の弟子である戸田先生は、終戦直前の45年(同20年)7月3日に出獄。焼け野原となった国土に、広宣流布の旗を一人高らかに掲げ、学会再建へと始動されました。
12年後の57年(同32年)7月3日――池田先生は、事実無根の公職選挙法違反の容疑で逮捕されました。「大阪事件」です。
池田先生は、「出獄と 入獄の日に 師弟あり」と詠まれました。「7・3」には、“権力の魔性”と戦い抜かれた戸田先生と池田先生の不二の魂が刻まれています。
検事は取り調べで、“罪を認めなければ、戸田会長を逮捕する!”などと池田先生をどう喝しました。戸田先生が亡くなる9カ月前のことであり、すでにお体の衰弱は進んでいました。投獄は命にもかかわります。
池田先生は、恩師と学会を守るため、無実の罪を一身にかぶり、法廷で潔白を証明することを決断します。
7月17日に出獄した先生は、この日に行われた「大阪大会」で“最後は信心しきったものが必ず勝つ!”と師子吼します。
その宣言通り、同年10月18日から始まった裁判では、84回にわたる公判を経て、62年(同37年)1月25日、無罪判決を勝ち取るのです。検察側は控訴せず、無罪が確定します。
◆先﨑 小説『人間革命』第11巻「大阪」の章をはじめ、池田先生は折に触れ、「大阪事件」について言及されています。
◇池田 御聖訓に「日蓮末法に出でずば、仏は大妄語の人、多宝・十方の諸仏は大虚妄の証明なり。仏の滅後二千二百三十余年が間、一閻浮提の内に仏の御言を助けたる人、ただ日蓮一人なり」(新1619・全1190)と仰せです。
現代において、日蓮大聖人に連なり、正法正義のために迫害を受けてきたのは、創価の三代会長です。創価三代の「死身弘法」「不惜身命」の精神こそ、学会の魂です。
私が56年(同31年)の「大阪の戦い」の歴史と精神を詳しく学んだのは、『人間革命』第10巻を通してでした。「大阪事件」も第11巻や、『新・人間革命』(第5巻)を通して学びました。
「大阪事件」の折、勾留された大阪拘置所に差し入れをした方や、「大阪大会」に参加した方など、当時を知る方は多くいらっしゃいます。こうした草創の方々の証言は貴重です。
その上で、池田先生の思いや「大阪事件」の本質を学ぶことができるのは、『人間革命』『新・人間革命』です。
過去の歴史を、リアルに感じることは難しい。しかし、だからこそ、青年部の皆さんは小説を通して、「知ろう」「分かろう」とする努力を重ねてほしい。求道こそ仏道修行の根幹です。
1957年7月17日正午過ぎ、大阪拘置所を出獄した池田先生。出迎えた同志の喜びが爆発した
生命的反発こそが「猶多怨嫉」の要因
◆林 「大阪事件」の発端は、57年4月に行われた参議院大阪地方区の補欠選挙での、一部の会員による選挙違反でした。しかし検察は、“選挙違反の指示をしたのが池田先生”という構図を作り出します。違反の首謀者に噓の供述をさせてまで、先生の不当逮捕に踏み切りました。
◇池田 いつの時代も大事なことは、「崇高な目的は、崇高な手段によらなければ、真の達成はあり得ない」ということです。「民衆が幸福を享受できる、真実の民主政治を築くために、同志を政界に送ろうというのであれば、その運動もまた、民主主義の鉄則を、一歩たりとも踏み外してはならない」のは当然です。誰よりも池田先生が、公明正大な選挙を訴え、指揮を執りました。
「大阪」の章にこう記されています。
「そこには、少なからず創価学会に対する感情的な偏見があり、その将来に、いわれなき恐怖をいだいていたことも確かであろう。それは、いわば、道理や理性を超えて、人間の心の奥底から発する生命的反発といえようか。これこそが、『猶多怨嫉』という状況を引き起こす要因といえる。この、人間の憎悪ともいうべき感情のもとに、権力が行使される時、権力は魔性の力となって、弾圧の牙をむくのである」
先生の逮捕と相前後して、マスコミは、学会を反社会的な団体として喧伝していきます。その本質について、先生は同章で述べています。
「学会とは、なんら関係のない問題を学会にからめ、裏に人知れぬ巨悪があるかのように喧伝する。あるいは、退転、離反し、学会を憎悪する者の、根も葉もない中傷をあえて取り上げ、面白おかしく書き立て、『異常』のレッテルを貼る――それは、売れればよいという商業主義に堕したマスコミが、今なお用いる卑劣な常套手段といってよい」
選挙違反を機に学会という民衆勢力の台頭を抑え込もうとする当局、それに便乗した形でのマスコミの学会攻撃――。しかし、弾圧の嵐の中でも、学会の真実を知る同志の絆は揺るぎませんでした。
『新・人間革命』第25巻「福光」の章には、当時、いずこの地の学会員も、「自分を含む創価学会という一つの生命体が被った問題であり、自分たちに襲いかかった問題であると、とらえていた」と記されています。
麗しい同志愛、異体同心の金剛不壊の団結こそ、学会の強さの根源です。
死身弘法の学会史を語る池田主任副会長と、梁島男子部長、林池田華陽会委員長、田島学生部長、先﨑女子学生部長(学会本部別館で)
われわれは戦う以外にないのだ
◆梁島 57年7月3日、北海道で人権闘争の指揮を執っていた池田先生は、大阪府警に出頭するため、羽田空港を経由して、大阪へ向かいます。
◇池田 『人間革命』第11巻「大阪」の章は、羽田空港での場面から書き起こされています。空港で山本伸一を待っていた戸田先生は、愛弟子の顔をじっと見つめて語ります。
「どんな難が競い起ころうが、われわれは、戦う以外にないのだ。また、大きな苦難が待ち構えているが、伸一、征って来なさい!」
さらに、恩師は述べます。
「もしも、もしも、お前が死ぬようなことになったら、私も、すぐに駆けつけて、お前の上にうつぶして一緒に死ぬからな」
師匠が弟子を思う心は、限りなく深く、大きい――そのことを感じずにはいられません。
7月12日、「東京大会」が蔵前の国技館(当時)で開催されました。その後、戸田先生は大阪へ向かい、検事正と面会します。そして、池田先生の釈放を訴え、「私の逮捕が狙いなら、今すぐ、私を逮捕しなさい」と烈々と迫ります。
「東京大会」の2日前、池田先生は獄中で、呻吟の末に、恩師と学会を守るため、法廷闘争で、自らの無実を証明することを決断します。「大阪」の章に、こうつづられています。
「師のために、自らが犠牲になることも恐れぬ弟子。弟子のために、自ら牢獄に入ることも辞さない師――この師弟の結合こそが、創価の金剛の生命線なのである」
師弟なくして、学会はありません。池田先生が「師弟」に徹してこられたからこそ、今日の世界広布があります。
自らの胸中に“師恩に報いる情熱はあるか、広布拡大に奮い立つ勇気はあるか”を問いながら、「師弟の月」7月を、わが勝利で荘厳しようではありませんか。
【参照】
◆小説『人間革命』=第11巻「大阪」
◆小説『新・人間革命』=第5巻「勝利」「獅子」、第25巻「福光」