〈信仰体験〉 創業100年を超えるさばぼう寿店のおお女将おかみ2024年2月11日

  • 人生、感謝できたもん勝ち

人生は山あり谷あり。だけど最後に笑えれば、それでいい。「その秘訣は感謝できる自分へと成長し続けること」と西川さん

人生は山あり谷あり。だけど最後に笑えれば、それでいい。「その秘訣は感謝できる自分へと成長し続けること」と西川さん

 【京都府わた市】国宝指定のびょうさくらづつみが名高い、ゆうきゅうの歴史のおもかげを残す町の一角に、創業100年余りになるさばぼう寿店「朝日屋」がある。知る人ぞ知るかくれた名店。だいわり後も、本店で接客に当たるのは西川加代子さん(76)=地区副女性部長。くばり上手で気さくなひとがら。“ママ”と愛され、半世紀。元気じるしの西川さんを目当てに、足を運ぶお客も多い。やまいわずらい、いくぶんたけちぢんだが、おお女将おかみとしての存在感は、今なお健在だ。

絶品「鯖棒寿司」。絶妙な締め加減とほどよい脂の乗り具合。丁寧な仕事が光る、後引くうまさだ

絶品「鯖棒寿司」。絶妙な締め加減とほどよい脂の乗り具合。丁寧な仕事が光る、後引くうまさだ

えつはかりなし」の日々

 「毎度、おおきに!」

 れから1月ちゅうじゅんまでは、びょうこうれい行事があり、「ちょう」がつくほどのはんぼう期。

 古廟のふもとに構える「朝日屋」には、近県からも客足がえず、休むことなく営業する。

 おとずれる人の“お目当て”は、さばをはじめほうなラインアップをそろえるかんばん商品「ぼう寿」。
 作る先から、飛ぶように売れていく。

 関西で鯖寿司といえば、けいやセレモニーのしょくたくに欠かせない特別なひとしなだ。

 西川さんの店は老舗しにせや名店ひしめく京都にあって、そんしょくなくわたり合い、長年、人々のしたと心をおどらせ、うたげはなえてきた。

 夫・しげるさん(75)=地区幹事=からバトンを受けて、経営ぜんぱんになう3代目の長男・きよしさん(50)=壮年部員=を、次男・たかしさん(49)=壮年部員=が支え、長女・こおり由美子さん(48)=副白ゆり長=とひろさん(54)=壮年部員=夫婦も力を合わせて、そうぎょうからの伝統に新風をんでいる。

「朝日屋」の舵取りを担う長男・清さん

「朝日屋」の舵取りを担う長男・清さん

支店を守る次男・孝さん

支店を守る次男・孝さん

今は「名物」と「特上」の2枚看板が、お客の舌を震わせる

今は「名物」と「特上」の2枚看板が、お客の舌を震わせる

 「この年になっても、あーしたらええ、こーした方がええんちゃうかなと、ついついおもかんでしまって、かないません(笑)。でも、社長たちがじゅくりょを重ね、時代に合ったあきないをしてくれてはります。本当に、感謝しかありませんわ」

 西川さんは「未来は、青年にたくす以外ない」とわかい世代に期待を寄せた池田先生の心を今、かみめている。

 夫のかいを担い、自らも病をかかえながら、店に立ち続ける。
 それは、むなぞこからみ上げる感謝の思いがあるから。

 「人生、最後は“感謝できたもん勝ち”ですやん!」

 これが、“えつはかりなし”の日々を送る西川さんの信念だ。

笑顔を絶やさず、夫・滋さんの介護にあたる西川さん

笑顔を絶やさず、夫・滋さんの介護にあたる西川さん

「指導主義」にてっし、かつ見いだす

 そうぎょうは大正時代。夫を亡くした義母・シズさん(故人)が3人の子を育てながら、一人で食堂を切りり。
 その後、しげるさんが店を支えるように。

 当時は、明日を生きるかつりょくをつけてもらいたいと、“ちからメシ”をメインにえた。
 さばぼう寿ぼんれや桜花のしゅんなど、「ハレの日」限定メニューだった。

 青年部の室長だった池田先生の不動の一念に包まれ、きんしゅうじょうを築城する師弟のつちおとひびく中、1957年(昭和32年)、「朝日屋」一家は入会した。

 72年、しげるさんとけっこんすでに老舗店の端くれだったが、関西魂にあふれる西川さんが店に入ると、滋さんのしょうこんに火が付き、店の歯車はぐるまは、にわかにかみ合い始めた。

 「これから、うちは棒寿司で勝負や。老舗さんには負けへんで」

 舌に絶対の自信があった滋さん。名店を食べ歩き、独学でそうふうに明けれた。
 そして、完成したのが、「名物 鯖棒寿司」。

 ひょうばんはうなぎのぼり。その味に舌を巻き、かんの声を上げるお客に応えて、定番メニューに据えられた。

 味を守るのは滋さん、店の切り盛りは西川さんにまかされた。

 売り上げが順調になるにつけ、気がゆるみ、遊びに出かける滋さんのづなめるのも、女将としての大事な役目。

夫・滋さんと西川さんが収まった貴重なツーショット写真

夫・滋さんと西川さんが収まった貴重なツーショット写真

 「千年のかるかやも一時にはいとなる。百年のこうも一言にやぶれそうろうは、法のことわりなり」(新1487・全1091)と御書にある通り、西川さんは「かいいっしゅん」と、真剣な祈りと学会活動にはげんだ。

 苦難にぶつかった時には、いつも婦人部(当時)の先輩に話を聞いてもらい、信心でかつを見いだした。
 その中で、「どこまで、お客さまに真心を込めて調理・接客できるのか」との商売のごくつちかった。

 感謝あればこそ、変わらぬ味を提供できる。店ののれんを守り抜き、次代にたくすことができる――と。

 “老舗の風格”に加え、入りやすさとごこの良さがきょうそんする人気店となっていった。

次世代を「信じたくす勇気」が歴史開く

老舗の風格漂う店構え

老舗の風格漂う店構え

店とお客がつむぐ終わりなき物語

 2人の息子は、和食の道へ進んだ後、店に入ってくれた。
 はたから見れば、あんたいだったが、商売はそんなにたんじゅんではない。特に家族経営では、道理や数字より感情が先んじてしまうことも。世代間でほうしんめぐり、しょうとつすることもしばしば。
 ピークは2003年(平成15年)。昔かたぎのしげるさんはがんとして、息子たちに耳を貸さず、はげしくぶつかり合った。西川さんは、何度となく滋さんをせ、次世代にバトンをたくすことができた。
 その後もむねをなで下ろす間もなく、なんわれた。長女・由美子さんがうつ病に。2人のおさなかかえる中でのりょうようのため、西川さんが育児をになった。
 「お母ちゃんがいるから、大丈夫やで」。不安感にさいなまれる娘にう日々。うすがみぐように数年をかけ、しょうじょうは上向いた。
 由美子さんに回復のきざしが見えた15年、今度は夫・滋さんが悪性リンパしゅしんだんされ、りょうこうしょうたきりに。西川さん自身もせきちゅうかんきょうさくしょうの手術を受け、自力歩行がこんなんになった。

長女・郡由美子さん(写真奥)は、母から受け継いだ気配りと笑顔を絶やさず、本店を切り盛り

長女・郡由美子さん(写真奥)は、母から受け継いだ気配りと笑顔を絶やさず、本店を切り盛り

 そんな状況になっても、夫のかいと店に立つことを止めなかった。それは、しんかんめてきた池田先生の指導があったからだ。
 「前進しようとしている人は美しい」「人と関わっていくことは、人間を強くし、人生を豊かにする。のうも生き生きとさせる。ゆえに閉じこもらないで、おくびょうかべやぶって、人と会い、人と語る――人生のさいしゅうしょうまで、この最も人間らしい実践にはげんでいきたい」
            ◇ 
 新たな挑戦を開始した息子たち。ぎんされた素材と技術をくし、「名物 棒寿司」を超えるワンランク上の商品を開発。5年前には、支店もオープン。病をこくふくした由美子さんも、店を手伝う。
 鯖寿司にめられた物語――「朝日屋」にえんする全ての人たちによって、これからもつむがれていくに違いない。

本店を支える郡裕史さん

本店を支える郡裕史さん