【第50回】地域に幸の仏縁 川浪関東女性部長 

 

勇気の指標 環境を変える主体者は自分!

状況を良く変えるのも、悪く変えるのも、自らの一念から起こす行動いかんによって決まる。

とりわけ、周囲との人間関係を大切にすることで、自分も守られる――。

大聖人は、自分が苦手と思う相手にも、賢明に闊達に接していくことを教えられています。

まさしく道理であり、人間学の要諦です。大聖人は、弟子たちが置かれた厳しい環境も、労苦もよくご存じでした。

そのうえで、一つ一つの出会いを、仏縁を結ぶ良き機会にしていくよう励まされているのです。  

日本全国はもとより、世界の各地で、学会員は社会に、地域に勇んで幸の仏縁を広げてきました。立正安国の対話さながらに「主人咲み」(新34・全24)です。

同じように相手を笑顔で大きく包容し、一人また一人と味方にする努力を営々と重ねて、今日の壮大な世界広布の道が開かれてきたのです。

  

日蓮仏法は、何もしないで神秘的な奇跡を願う宗教ではありません。厳たる生命の因果の法則を説き示しています。

一つ一つの信仰体験も、全て日常の努力と挑戦の結果です。最善を尽くす信心の実践が、大いなる変革を可能にしていくのです。

だからこそ、根源の「法」に則った生き方と賢明な行動が大切になるのです。

そして法華経が示しているのは、「一切衆生に仏性がある」という万人尊敬の哲学です。

不軽菩薩が全ての人を礼拝し、万人を敬ったように、他者の仏性を尊敬する実践が、仏法者の最高の行動なのです。

 

埼玉・三郷文化会館を初訪問した池田先生ご夫妻が同志の輪の中に(1986年11月24日)。

先生は三郷圏(当時)の会合に出席し、スピーチ。万感の思いを和歌に託した。

「立正を 安国とせんと 勇敢な 三郷の友の 果報は不滅か」。

今、三郷県(三郷市、八潮市、草加市)の同志は、この原点の日を目指し、友情の拡大に駆けている

 

池田先生が「人間学の要諦」と講義された「河合殿御返事」を拝します。

先生は本抄を通して、「自らの環境をより良く築き、困難な状況を打ち破るために、自分から人に接する態度を変えて」いくことの大切さを強調されています。

私たちが抱える悩みは、人間関係に帰着するものが多いのではないでしょうか。誰しも性格的に合う人もいれば、合わないなと思う人もいます。

その中で、“苦手だなと思う人にも笑顔で向き合っていきなさい”との仰せは、明確でもあり、同時に、いざ実践するとなると難しくもある指針です。

先生はさらに教えられています。

「着実に一人一人と妙法の仏縁を結ぶことで、自身の環境を仏国土へと変えていくことができる。

依報たる環境を変える主体者は、正報である自分の生命にほかなりません」

私自身、今の地域に住んで20年以上。近隣の方々に積極的に声をかけ、あいさつを。

交流を重ねる中で、学会の良き理解者となってくださった方もいます。

最近、自宅に招いた友人は、“久しぶりに人と話した”と語っていました。

こんな時代だからこそ、豊かな人間関係を地域に広げていきたい。

同時に、人間と人間の交流の中で、命を磨いていく私たちの対話の実践は、最高の人間修行であると確信します。

  

関東各県の友は今、“太陽の仏法”を胸に、使命の天地を朗らかに前進しています。

群馬・館林県の、ある県副女性部長の先輩は、幾多の宿命の嵐を、師と同志の励ましを支えに、乗り越えてきました。

“今度は私が皆さんのために”と決意。担当する地区で、若い世代の白ゆり長と、共に訪問・激励に動いてきました。

心がけていることは、“広布のための行動をたたえること”。いつしか白ゆり長は、自ら生き生きと学会活動に励むようになりました。

「地域の皆さんの幸福のために」と祈り、動くその先輩は、地域貢献にも徹し抜き、近隣からも厚い信頼が寄せられています。

埼玉・三郷県の、あるヤング白ゆり世代の地区女性部長は「今この時、この地で広布に動けることに感謝でいっぱいです」と元気はつらつ。

幼い頃、母を病で亡くしました。寂しさを感じた時期もありましたが、創価家族の温かさに包まれて成長。

何かあると題目をあげていた母の姿を思い出し、信心から離れずに進んできました。

八潮市へ越した後、夫を折伏し、結婚。

働きながら、PTAや、町会の役員を。数年前からは、町会長に請われて町内の若い世代のグループを立ち上げ、地域の絆を強めています。

  

先生は、2001年(平成13年)6月6日に行われた会合のスピーチの中で、この日が「関東婦人部の日」(現・関東女性部の日)に決定したことを発表してくださいました。

そして、「関東婦人部に、功徳も、福運も、智慧も、威光勢力も、健康も、長寿も、和楽も、すべてが円満に具足していくことを願っています」と万感の思いを語ってくださいました。

私自身、結婚して間もなく、地区婦人部長(当時)の任命を受け、悪戦苦闘の中で、この会合に参加させていただきました。

先生のご期待に、“自分が戦おう。自分が壁を破ろう”と腹が決まり、地区の同志の団結の題目のおかげで、弘教を実らせることができました。

自らの一念を定めれば、必ず広宣流布を拡大していけることを、教えていただいた原点です。

さあ、今こそ“広布の主戦場”である地区が、団結第一の前進を加速する時です。

朗らかな笑顔あふれる対話、正義と勇気の立正安国の対話で、地域の新時代を開き、福徳に満ち満ちた人生の勝利劇をつづっていきましょう。

 

河合殿御返事

人にたまたまあわせ給うならば、むかいくさきことなりとも、向かわせ給うべし。えまれぬことなりとも、えませ給え。(新1952 ※新規収録)

 

メモ

弘安3年(1280年)4月19日の著作と考えられる。

掲げている御文は、手紙の末尾の一紙とも、もともとこの一紙のみの手紙であるとも考えられる。