〈世界広布の源流 青年に語る創価の魂〉第17回 青年部の使命と「3・16」㊦

 

「炎のバトン」は君の手に
出席者
池田主任副会長

梁島男子部長
林池田華陽会委員長
田島学生部長
先﨑女子学生部長

池田先生と共に創価大学生の代表をはじめ青年たちが、南アフリカのネルソン・マンデラ氏を歓迎した(1990年10月、旧・聖教新聞本社で)。その日の夜、氏は感動を語った。「アフリカの音楽で歓迎を受け、英知の言葉、激励のメッセージまでいただいた。
それを、わが同胞に持ち帰り、伝えたい」と*
 ◆梁島 小説『新・人間革命』第25巻「福光」の章に、1977年(昭和52年)3月13日、「3・16」の意義を込めて開催された福島県青年部の記念集会の模
様が描かれています。
 この集いで、山本伸一は次のように語っています。
 「広宣流布というのは、一万メートル競走のように、ゴールがあって、そこにたどり着いたら、それで終わるというものではない。むしろ、“流れ”それ自体であり、常に、いつの時代も青年が先駆となり、原動力となって、さらに“新しい流れ”をつくり続けていく戦いなんです」

 ◇池田 「3・16」の意義は、様々なとらえ方があると思いますが、4点に集約します。
 1点目は、前回(3月1日付)も確認しましたが、「それまでの広宣流布観を一新」し、広宣流布とは何かということを「具体的に捉える式典」であったということです。
 2点目は、「広宣流布の全責任と使命を青年に託す」象徴であるということです。
 小説『人間革命』第12巻「後継」の章にこうあります。 「伸一、ぼくは、この三月十六日の式典を、“広宣流布の印綬”を君たちに託す儀式にしようと思っているんだよ。この式典の全責任は、君がもつのだ」
 戸田先生から池田先生をはじめ後継の青年に託された「印綬」とは何か――。
池田先生は「宗教革命の炎のバトン」と述べています。
 「3・16」の式典で、戸田先生は「創価学会は、宗教界の王者である」と宣言されました。その自覚と誇りを胸に、青年が時代変革の主体者として立ち上がる日が、「3・16」です。
 3点目は、「精神の継承」ということ。
 「3・16」の式典から1年後の59年(同34年)3月16日、池田先生は恩師を偲び、青年たちに万感の思いを語りました。
 「この日を、広宣流布への記念の節にしていこう。青々とした麦のような青年の季節たる三月に、師のもとに青年部が大結集したことに、不思議な意義があるんだよ」
 「3・16」を「3・16」たらしめたのは、池田先生です。私たちが今、「3・16」の意義を知ることができるのも、恩師亡き後、池田先生が何度も、「3・16」の精神を語ってきたからです。その精神を継承し、成長していくことこそ、師恩に報いる“青年の道”です。
 4点目は、「学会の前進のリズム」になっていることです。
 60年(同35年)3月16日に池田先生は、「3・16」から「4・2」、そして「5・3」へと学会は連続勝利のリズムで進んでいくと語ります。そして、同年5月3日に第3代会長に就任されます。「3・16」は「5・3」への出発点です。
 また、毎年、東西の創価学園では、3月16日に卒業式が行われています。その淵源は、74年(同49年)です。その年、創価高校では、第4回卒業式の日程の検討が行われ、池田先生が、3月16日の開催を提案します。以来、毎年、英知の若人が大きく飛翔する誓いの日となっています。
 「3・16」に託された根本精神とは、生命尊厳の時代を開き、人類の平和と幸福を築くことです。その精神を、「わが命」とする学園生に引き継いでもらいたいとの、創立者の心であると思います。
 
 ◆田島 戸田先生は「3・16」の式典で、首相の名代で来られた一行を、青年と共に迎えられました。

 ◇池田 池田先生は、常々、各国の指導者や識者を迎える際、学生や青年と一緒に歓迎されます。これは、「3・16」が淵源です。先生はつづっています。
 「(戸田)先生は、青年たちが来客の指導者の人格や振る舞いを見て、何かを?み、何か勉強できるという思いであられることを、私は深く直感していた。
私も、世界の国家指導者や識者をお迎えする時は、必ず青年たちと歓迎している」(2007年の随筆「『3・16』に弟子は立つ」)
 1990年(平成2年)10月31日、先生は後に南アフリカ大統領を務めるネルソン・マンデラ氏と会見を行いました。この時も、創価大学の学生をはじめ、500人の青年と共に、氏を迎えました。先生との会見の後、氏は語っています。
 「有意義な会見はもとより、学生たちによる真心からの歌の歓迎を受けた時、私は涙が止まらなくなるほど、心から感動しました。あのようなすばらしい青年たちを育てられた池田会長の教育と、その理念に深く感銘したのです」
 一国のリーダーの歓迎を、先生は青年たちを育む機会とすると同時に、一人の人間を最大限の真心で迎える“人間外交”の場としたのです。
 マンデラ氏をはじめ、どの歓迎も、池田先生の青年を愛し、青年を信じる心があふれていました。その心に、多くの来賓が感動したのです。何度も挑戦重ねる情熱があってこそ
 ◆先﨑 本年は「3・16」65周年の節目です。先生は折々の「3・16」を迎えるたびに、記念行事への出席をはじめ、青年たちに、長編詩や随筆、和歌などを贈ってこられました。
   
 ◇池田 30周年の佳節だった88年(昭和63年)、先生は長編詩「青は藍よりも青し」を発表します。その中で、30年後の「3・16」に向けて、「君よ 君たちよ/新たなる第二の『七つの鐘』を頼む」と詠みました。
 40周年の98年(平成10年)3月に掲載された随筆「『3・16』の大儀式を偲びつつ」では、「学会は、思想界の王者、人権の王者、平和の王者として、世界の空高く飛翔した」と宣言。「私が愛し、信頼してやまない青年たちよ!
 二十一世紀は、君たちの大舞台だ。君たちの出番がついに来た。厳然と始まった」とつづられました。
 さらに、50周年の2008年(同20年)には、「3・16」の儀式について、次のようにスピーチされています。
 「この日(1958年3月16日)、戸田先生は、私を中心とした青年たちに、広宣流布の一切を託してくださった。それから50年。今、私は、だれよりも信頼する青年部の諸君に、広宣流布の『炎のバトン』を託したい。若き君たちに、雄々しき師子となって、次の50年の勝利を開いていってもらいたいのだ」
 広宣流布の「炎のバトン」は、今、皆さんの手の中にあります。
 師匠から託されたバトンを握り締め、自らを鍛え、「次の50年の勝利」を開きながら、次の世代に渡していってもらいたいと思います。
 
 ◆林 2018年(同30年)3月11日、青年部は3・16「広宣流布記念の日」60周年を記念して、世界青年部総会を開催しました。
 
 ◇池田 創価大学の記念講堂と、日本全国・世界の約1500会場を中継で結び、来日した海外65カ国・地域の青年リーダーをはじめ、75万の後継の若人が集いました。
 先生は「『青年』は、人類の希望の宝である」と、感動のメッセージを贈りました。
 さらに総会から5日後の16日に掲載された『新・人間革命』(第30巻〈下〉
「勝ち鬨」の章)には、次のようにつづられています。
 「不可能だと思ってしまえば、何も変えることはできない。“必ず、なんとかしてみせる”と決めて、思索に思索を重ね、何度も何度も挑戦し、粘り強く試行錯誤を重ねていく情熱があってこそ、時代を変えることができる。これが青年の使命です」
 青年は時代の闇を晴らす光明です。青年が自らの境涯を開き、知恵の大光を放つならば、必ず広宣流布の“新しい流れ”をつくることができる。
 今、皆さんが師と同じ誓願を抱き、同じ責任感に立つことが、65周年を意義あるものにするのです。
参照
 ◆小説『人間革命』=第12巻「後継」
 ◆小説『新・人間革命』=第25巻「福光」、第30巻〈下〉「勝ち鬨」