〈地域を歩く〉2024年1月27日

  • 「仏法しょう」のたましいやし
  • ともどもに栄光のドラマを!

さきしまコスモタワー(住之江区)から西成区、大正区、住吉区とその一帯を望む

さきしまコスモタワー(住之江区)から西成区、大正区、住吉区とその一帯を望む

 それぞれの地域には、その地にしかない歴史があり、りょくがあり、ほこりがあります。日本の各地をたずね、その地で生きく学会員を追うれんさい「地域を歩く」。今回は、西にしおおさか総県がたいです。

 今月からむらさきしきが主人公のNHK大河ドラマが始まり、げんものがたりゆかりの地に改めて注目が集まっている。源氏物語のたいの一つである大阪市すみよし区をはじめ、西にしなり区・たいしょう区・すみ区からなる西にしおおさか総県の地域は、げんそんする日本最古の歌集・まんようしゅうにも地名がたびたび登場するなど歴史が深い。
  
 源氏物語に多くの歌が引用される万葉集には4500首あまりがおさめられており、約半数は無名の人々の歌だという。西大阪の各地で、かつて多くのしょみんがありのままの思いを、おおらかに歌い上げていたのだろうか。
  
 そんな時代に思いをはせつつ、源氏物語や万葉集とえにし深い庶民の町のりょくさぐりに、西大阪の友をたずねた。

山本靖子さん㊨が長女の有紗(ありさ)さんと「インディゴカフェ」の前で。有紗さんは店を手伝いながら、池田華陽会キャップとして地域に幸の輪を広げる

山本靖子さん㊨が長女の有紗(ありさ)さんと「インディゴカフェ」の前で。有紗さんは店を手伝いながら、池田華陽会キャップとして地域に幸の輪を広げる

 幹線道路や南海本線が通り、多くの人でにぎわう住之江区。万葉の時代には大半が海で、同区のはまは海に面していたという。
  
 ここで「インディゴカフェ」をいとなむのは、山本やすさん(地区女性部長)。店名の「インディゴ(せいらん)」には「じゅうらんしょうあいよりして、しかも青し)」の意義をめたという。「この地域が、ますますはってんするようにと思って……。たまに『インディゴって、インド料理屋とちゃうの?』とちがわれますけど」
  
 実際には、コーヒーとサンドイッチの店だが、給食調理員だった経験を生かし、栄養バランスを考えた「わりランチ」も人気だ。
 今月で開店から2年。コーヒーのかおりがただよう店内は、家族れなどでにぎわう。
  
 粉浜は、万葉集にこうまれた地である。
 「住吉すみのえの 粉浜のしじみ けも見ず こもりてのみや わたりなむ」
  
 シジミがふたをじているように、むねうちを打ち明けず、相手を思い続けるじゅんしんこいごころを歌ったものだ。
  
 そんな地域がらか、女子会を楽しむ“おばちゃんたち”が、昔のれんあい話に花をかせることもあるという。
  
 「ここに来ると、みなさんが笑顔になれる。そんな地域のいこいの場にしていきたい」と山本さん。地域を思う温かなひとがらが、居心地のいい店のふんをつくり出している。

「趣味の落語も友好活動の土台です」と大津隼男さん

「趣味の落語も友好活動の土台です」と大津隼男さん

 「かつて、この地域には、住吉津すみのえのつという港があって、そこからけんずい使けんとう使が旅立ったんですわ」と教えてくれたのは、住之江区の大津はやさん(総県主事)である。

 大津さんは、神社ぶっかくが多く、400年続く旧家もある地域で、20年にわたって町会長をつとめてきた。
  
 しゅうにんした当初は「学会の人は地域の神社やお寺の宗教のことはどう思うてんねん」とう町会役員もいたという。
 大津さんは「私たちはちがいをみとめるところから出発し、みなさんといっしょに地域を良くしていきたいんです」と答え、その言葉通り、しんいを心がけてきた。
  
 また、住人がよろこぶことは何かと考え、皆がれ合うぼんおどりのかいさいなどにそっせんして取り組んできた。大津さんが責任者の一人となって行われる祭りには600人近くの人がかかわり、地元も活気にく。
  
 「今では『おっちゃん、そんなにがんって、学会のほうだいじょうでっか?』とづかってくれる声もあるぐらいですわ。“創価のきんかんばんってるんや。けたらあかん!”とせいじつに町のかっせいのために動く中で、地域の皆さんが味方になってくれました」

三好優子さん㊧と夫・正義さん。正義さんはトラックに追突される大事故に遭い、頸椎を損傷。しかし信心根本に克服し、現在も元気に広布へと歩く

三好優子さん㊧と夫・正義さん。正義さんはトラックに追突される大事故に遭い、頸椎を損傷。しかし信心根本に克服し、現在も元気に広布へと歩く

 「負けたらあかん!」――それは常勝関西のたましいであり、西にしおおさかこそ、そのげんりゅうとなったしょみんみやこである。
  
 関西広布のそうそう期、戸田城聖先生と池田大作先生が関西指導のきょてんとした宿しゅくしゃ西にしなり区にあり、池田先生が戸田先生と共に初めて出席した大阪の座談会もたいしょう区で開かれた。あの「大阪の戦い」でも、池田先生は西大阪のあの地この地にはげましのそくせきを残している。
  
 西大阪の友がめるげんてんは1985年(昭和60年)1月25日、池田先生が西大阪文化会館(現・すみ文化会館)をはつほうもんした時のこと。
  
 くしくも、先生がじつこんの選挙はんようで不当たいされた「大阪事件」の無罪判決から、23年のふしきざむ日であった。
 先生は、その歴史に触れ、つどった同志に次の永遠のしんおくった。
  
 「仏法はしょうなり」
  
 三好まささん(総県女性部主事)は、のちに「西大阪の日」となったこの日の出会いを今もわすれない。「先生は『がんりなさい』と私たちとあくしゅをしてくださいました。その期待に何としてもおこたえしようと、広布拡大に走りいてきました」
 三好さんの対話で、これまで34人の友が入会。今も率先の心で地域に学会理解を広げている。

「信頼を築くには、まずあいさつからやね」と語る内村芳野さん

「信頼を築くには、まずあいさつからやね」と語る内村芳野さん

 「私にとっての『仏法は勝負』とは、地域にしんらいを広げること」と言うのは、大正区の市営じゅうたくに住む内村よしさん(区副女性部長)。りんかい工業地帯のはってんささえる労働者らが住んでいたこの住宅も、完成から50年近くがたち、今では100けん以上ある住人のほとんどがこうれいしゃだという。
  
 その中で、内村さんは自治会の会計などを歴任。現在、きんきゅうれんらくいんを務める内村さんのもとには、買い物や病院へのいをはじめ、「ドアが固くなって動かない」「テレビのリモコンがかない」などのまわりのことまで、多くの住人から、さまざまなそうだんごとが持ちまれる。
  
 「うちは“よろず相談所”みたいやな」とみをかべる内村さんが心にきざむのは、池田先生が86年(同61年)11月12日に大正文化会館をおとずれ、「きんりんが大事だよ」とびかけたことである。
  
 「近隣を大切にできずして、勝利の実証は示せません。むしろ集合住宅で同じ屋根の下に住む私たちは、いわば大家族。どんなささいな相談事でも、その人にとっては大事なことやから、すぐに行くんです」

盆踊りサークルも立ち上げ、友好を広げる小林正子さん

盆踊りサークルも立ち上げ、友好を広げる小林正子さん

 西成区の小林正子さん(区副女性部長)も、地域のためにあせを流してきた一人。
  
 みなみもり連合老人クラブで女性部長を務める小林さんは、地域の高齢者に健康になってもらえるよう、7年前から「百歳たいそう」を毎週開催。体操の後にはのうトレやボッチャなどの楽しいかくも取り入れた。今や体操を楽しむ友のは100人ほどに広がった。

親川正昭さん。「常勝関西は庶民の町から広がったんです」と

親川正昭さん。「常勝関西は庶民の町から広がったんです」と

 「西成区いうたら昔からにんじょうあつく、かざらない人ばかりです。それに輪をかけた同志のあたたかさに触れ、最高の師匠にめぐり合う中で“幸福とは負けない人生”だと学びました」と振りかえるのは、同区でらして75年以上のしんかわ正昭さん(副総区長)である。
  
 正昭さんにはしょうがい忘れることのできない池田先生との原点がある。88年(同63年)3月19日、西成文化会館をでんげき的に訪れた先生と、いっしょに題目をあげたこと。この時、正昭さんののうには、闘病中のせんさいのことがあった。
  
 その2カ月後に先妻はりょうぜんへ。正昭さんはのこされた4歳と1歳のおさない娘姉妹をかかえ、失意にしずんだ。
  
 しかし、正昭さんは師との原点をき締めて、先妻の「娘たちを社会にこうけんできる人材に」との願いをかなえようと、負けじだましいで一歩も引かずに走り抜いた。

「ちん電」の愛称で親しまれる阪堺電車(西成区内で)

「ちん電」の愛称で親しまれる阪堺電車(西成区内で)

 姉夫婦の助けをりながら、れない子育てにあくせんとうの日々。その時も同志はいんように生活を支え、共に泣き、共にいのってくれた。
  
 そして約2年半たったころ、地元の同志から一人の女性をしょうかいされた。そこで知り合ったのが、あつさん(支部副女性部長)だった。
  
 「おばちゃん、私のお母さんになってくれるの?」
  
 不思議と娘姉妹も心を開いてくれ、敦子さんとさいこん。その後、姉妹は二人の愛情につつまれてび伸びと育ち、今では子どもたちにう教育者として使命の道をあゆむ。
  
 孫にもめぐまれ、幸せを実感する正昭さんは、しみじみと語る。「苦しいとき、信心で負けなかったからこそ今があります。き妻も、娘たちの成長を喜んでくれていると確信します。再婚した妻と共に、広布に生きる人生に感謝の毎日です」

熊野街道を歩く山本健二さん㊥、長男・哲司さん㊨、妻・計子さん。計子さんは「同志の皆さんが息子のために懸命にお題目を送ってくださいました」と

熊野街道を歩く山本健二さん㊥、長男・哲司さん㊨、妻・計子さん。計子さんは「同志の皆さんが息子のために懸命にお題目を送ってくださいました」と

 こうぞくゆかりの土地で、げんものがたりの主人公・ひかる源氏が訪れた場面がえがかれるすみよし区。この物語の別の場面では、「負けじだましい」との言葉がつづられている。
  
 同区で生まれ育ち、町会長や民生委員をになう山本健二さん(副本部長)は「私も歴史かおるこの地で負けじ魂を燃やし、“創価勝利のはた”をかかげると決めてきました」と。
 なぜ、創価勝利の旗なのか――それは、池田先生が96年(平成8年)3月19日、住吉文化会館を車でさつし、車中から三色を振って同志をげきれいした歴史が刻まれる地だからである。
  
 それまで、健二さんの人生はなんの連続だった。印刷業を始めるも、わたがたをつかんではいぎょう。トラックをこうにゅうして配送業を手がけるも、事故を起こして多額の借金をに。その後のプラモデル店、パン屋も失敗が続いた。
  
 その中で、仕事での成功を願って学会に入会し、90年(同2年)に立ち上げたのが、現在のだんボール機械の設計・製作会社だった。

住吉区の万代池公園

住吉区の万代池公園

 “今度こそ”と思ってけんめいに働いていた99年(同11年)、長男・てつさん(常勝長=ブロック長)が心のやまいはっしょうし、入退院をかえすように。追い打ちをかけるように、きょうのあおりで取引の9わりじょうめるメーカーから取引中止をげられ、会社の経営はきゅうおちいった。
  
 「そうしたきょうにあっても、これまでとちがうものがありました。信心に巡り合ったことです。信心で勝つと決めました」
  
 健二さんは“なんとしても結果を出す”と決意。祈りを根本に懸命に働くと、大きな窮地をだっし、売り上げも伸びるようになった。
  
 また家族で唱題にいどむ中でりょうそうこうし、哲司さんの病状がうすがみをはぐようにかいほうへ。哲司さんは、10年前から健二さんの会社の設計たんとうとして働くようになり、今ではなくてはならないそんざいと光っている。

大正区の千歳橋と渡船

大正区の千歳橋と渡船

 「仏法は勝負」――このちかいのままに、西大阪の同志は、いかなる苦難にちょくめんしても「負けたらあかん!」との心で立ち上がり、地域・社会で、人生で、そして広布の道で、勝利と栄光のドラマを打ち立ててきた。
 けんらんたる常勝の人生まきは、これからもこの地をいろどり続けていくのだろう。
  
 池田先生が贈った和歌は、これからも友のぜんらし続けるにちがいない。
  
 負けぬこと
  知らぬ庶民
   しんぎょう
  しょぶつほほ
    しょてんは守らむ