◆ONE GOSHO ~この一節とともに!~男子部教学室編 
 観心本尊抄 仏法の眼を磨き抜け!

 めまぐるしく変化する社会の中で、いかに生きるべきか――今回は、「信心即生活」の真髄を示された一節から、仏法者として、社会で勝ち抜くための要諦を学ぶ。

御文
 天晴れぬれば地明 かなり法華を識る者は世法を得可きか(御書254ページ)

通解
 天が晴れるならば、地はおのずから明らかとなる。同様に、法華経を知る者は世間の法をも、おのずから得るであろう。

背景
 本抄は文永10年(1273年)4月25日、日蓮大聖人が52歳の時、流罪の地・佐渡の一谷(いちのさわ) で御述作になり、下総国(現在の千葉県北部などの地域)の中心的な門下・富木常忍に宛てて送られた。「観心本尊抄」は略称であり、正式な題号は「如来滅後五五百歳始観心本尊抄 」で、「如来滅後五五百歳に始む観心の本尊抄」と読み下す。 ??
 大聖人は、佐渡到着後から執筆に取り組まれていた「開目抄」を文永9年(1272年)2月に四条金吾に託して、迫害に耐えながら信仰を続ける門下一同に与え、励まされた。その翌年に執筆されたのが本抄である。両抄は、佐渡で認められた御書の中でも最重要の書である。
 本抄では、末法の凡夫が行うべき成仏のための修行を明かした「受持即観心 」の法門を示され、南無妙法蓮華経の御本尊を信によって受持することで観心の修行を成就し、成仏することができると明かされている。

解説
 今回の御文は、本抄の結論部分の一節である。
 この直前では、御在世当時に相次いで起こった二つの災難(「正嘉の大地震」と「文永の大彗星」)に触れられている。甚大な被害を及ぼしたり、人々の心を動揺させたりする、こうした現象について、大聖人は、地涌の菩薩が出現する「先兆(前触れ、兆し)」であると述べられ、今こそ、民衆のための大仏法が広宣流布する時にほかならないと説かれている。
 続いて、今回の拝読御文を認められた。
 太陽の光が降り注げば大地が照らされ、さまざまな物ごとが明らかになることを例えとして、「法華を識る」――妙法を信じ、行ずることによって、「世法を得可き」――現実社会の事象の本質を見極められるようになるとの仰せである。
 私たちの日常に即して拝するなら、信仰を実践することで、仕事や生活などのあらゆる営みで知恵を発揮し、勝利の実証を示していくことができると教えられている。

 仏法は、人生をより良い方向へと導く哲学であり、現実の社会や生活を離れては存在しない。この「信心即生活」「仏法即社会」の哲理に即せば、個人の生活や人生だけでなく、政治、経済、文化、教育など社会のあらゆる次元が、仏法の反映にほかならない。
 だからこそ、日々、信心に励む創価の同志は、社会や家庭を舞台に、自身を錬磨しゆく生涯を歩んでいくことができるのである。

 小説『新・人間革命』第30巻<下>「誓願」の章では、1993年2月、山本伸一がブラジルの同志に、仏法と社会生活について言及する場面が描かれている。
 戸田先生が本抄を通して、「ご利益があるんだというような読み方は、断じて間違いであることを、知らなくてはならない」「自分の商売に対して、絶えざる研究と、努力とが必要である。吾人の願いとしては、会員諸君は、一日も早く、自分の事業のなかに、“世法を識る”ことができて、安定した生活をしていただきたい」と指導されたことを紹介した上で、伸一はこう語る。  
「今、世界的に不況の風は厳しい。しかし、私たちは、それを嘆くだけであってはならない。『信心』によって、偉大な智慧と生命力を発揮して、見事に苦境を乗り切ってこそ、『世法を識る者』といえます」「信心しているからこそ、当面する課題をどう解決していこうかと、真剣に祈り、努力する――その『真剣』『挑戦』の一念から最高の智慧が生まれる」と。

 新型コロナウイルスの感染拡大により、今、全ての人が何らかの形で、コロナ禍の影響を受けている。この“危機の時代”にあって、いかなる環境の変化にも動じず、深い次元から一つ一つの事象を見抜く仏法の眼(まなこ) を磨き、信心根本に生き抜くことこそ、あらゆる困難を乗り越えるための要諦である。
 男子部結成記念日の「7・11」へ、私たちは師弟誓願の祈りと真心の励ましに挑み抜き、創価の青年として、勝利の実証を示していきたい。