【世界広布の(げん)(りゅう) 青年に語る創価の(たましい)】第16回 青年部の使命と「3・16」〈上〉

·   (わか)(もの)(ちから)が時代を変える

·   出席者   池田主任副会長 (やな)(しま)男子部長 林池田華陽会委員長 田島学生部長 先﨑女子学生部長

 ◆田島 1954年(昭和29年)3月、池田先生は青年部の室長に(しゅう)(にん)します。青年部長、男子部長という役職がある中で、戸田先生は、なぜ青年部に(さん)(ぼう)(しつ)を設置し、池田先生を室長に任命したのでしょうか?
   
 ◇池田 54年という年は、学会が1年間で7万世帯から約17万世帯へと大きく()(やく)()げた年です。()(とう)の勢いで前進する一方、長期的な(てん)(ぼう)に立って、組織を整備・運営していくことが課題でした。
 小説『人間革命』第8巻「(すい)(しん)」の章に、「エンジンの回転だけでは船は動かない。それを(すい)(しん)(りょく)とするためには、(きょう)(じん)なスクリューが必要である」とあります。戸田先生は、男女青年部の(わか)(わか)しい(ちから)、なかんずく池田先生に広布の推進力――船で例えるなら、“スクリュー”の(やく)(わり)を期待します。
 戸田先生は参謀室のメンバーに、「はつらつと動きやすくなったと、青年たちが喜ぶようになったら、君たちの(そん)(ざい)意義も大きい」と語ります。
 青年には時代を(へん)(かく)する(きょ)(だい)なエネルギーがあります。その力を広宣流布を推進する方向へと(あやま)たず向けていく――それが、青年部の室長としての池田先生の重要な役割でした。
 同章には、山本伸一がこう語る場面が(えが)かれています。
 「(みん)(しゅう)にかかわる、あらゆる問題、宗教の問題は当然として、政治の問題、(けい)(ざい)の問題、文化の問題、思想の問題、民衆の(せい)(ぞん)に関する一切の問題に対して、日蓮大聖人の御心を(はい)して、現実には戸田先生の()(しん)のもとに、見事な作戦、()(かく)()り上げるのが、われわれの任務ではないだろうか」
 これは、どんな時代になっても変わらない、青年部の使命です。(みな)さんは、山本伸一と同じ責任感に立って、広布の活動に主体的に取り組んでいってもらいたい。そのためにも、『人間革命』『新・人間革命』を学び、力を(みが)いてほしいと思います。
  
 ◆林 学会の文化祭の(えん)(げん)となった体育大会や、音楽隊・()(てき)(たい)の結成も、池田先生の青年部の室長時代に行われました。
  
 ◇池田 体育大会も、音楽隊や鼓笛隊の結成も、当時の学会にはなかった考えです。(こん)(にち)の学会の文化運動の(いしずえ)(きず)いたのは、青年部です。青年の発想、青年の実行力が、広宣流布の新たな(てん)(かい)を開いたのです。
 池田先生が室長に就任して()(こう)、青年部員数は()(やく)(てき)に増加します。その原動力となったのが、戸田先生が(おく)った「(こく)()(くん)」です。
 戸田先生は「国士」という言葉を、「不幸の民衆のなかに()()み、人びとの幸福と世界の平和を築きゆく(とう)()、すなわち『(かく)(めい)()』の意味」で(もち)いました。恩師は「国に十万の国士あらば、()(のう)の民衆を救いうること、火を見るよりも明らかである」と(うった)え、青年たちこそ、「国の柱」「日本の(がん)(もく)」「日本の(たい)(せん)」であると、(ぜん)(ぷく)(しん)(らい)()せます。
 「国士訓」が発表された54年10月、青年部は“1万人結集”を実現します。その企画・運営の一切の責任を(にな)ったのが、池田先生でした。『人間革命』第8巻「(めい)(あん)」の章で、伸一は訴えます。
 「十万の青年が(つど)った時は、広宣流布の第一歩が近づいたことになるのであります。これを目標として、堂々と戦っていこうではありませんか!」
 「国士訓」の発表、それに続く青年部の結集の戦い――「3・16」の広宣流布の記念式典で、(きゅう)(きょ)(れん)(らく)だったにもかかわらず、恩師のもとに、6000人の青年が集えたのも、こうした戦いがあったからではないでしょうか。
 池田先生はかつて、このように()べています。
 「青年が青年を()び、(あらし)のような(ぜっ)(さん)があって人が集う。その流れが広宣流布である」

1978年5月、全国3000人の音楽隊員が集い、東京・八王子市の創価大学で行われた、第1回音楽隊総会。席上、池田先生は「世界の恒久平和のために、ひたすら諸君の成長を祈り、待っております。そして、一切を諸君にバトンタッチしたい」とあいさつした

1961年11月、第3代会長の池田先生のもと、男子部の代表10万人が集った第10回男子部総会。「国士十万」の恩師との誓いが果たされた(東京・国立競技場で)

(みん)(しゅう)から(はな)れて広宣流布はない

 ◆先﨑 58年(同33年)3月、創価学会が(しゅう)(もん)(こん)(りゅう)寄進した大講堂の記念行事に、時の首相の出席が決まった時、戸田先生は「(しょう)(らい)のために、広宣流布の()()試験、予行演習となる式典をしよう」と語られ、3月16日に挙行されました。「模擬試験」「予行演習」とは、どのような意味なのでしょうか?
   
 ◇池田 「模擬」「予行」ということは、「本番」はいつ来るのか――。池田先生は2002年(平成14年)の随筆「『3・16』の大精神」で、こうつづっています。
 「『今』という、かけがえのないこの時こそ、三世を勝ちゆく()(しき)の時なのだ」
 また、13年(同25年)の随筆「『三・一六』は永遠なり」には、「この五十五年間、毎日が『三・一六』である。永遠に決意の日であり、断固と勝利へ出発する日なのだ」と(しる)されています。
 つまり、「本番」が「いつか来る」のではありません。
 「今この(しゅん)(かん)」「毎日」が「本番」です。「今」を全力で戦うことに、「3・16」の精神の(みゃく)(どう)があるのです。
 随筆「『3・16』の大精神」には、青年部への(ばん)(かん)の思いが書きとどめられています。
 「“広布の模擬試験”から、四十四年。今や試験的(だん)(かい)は完全に終わった。『創価の世紀』の、広布の(ほん)()(たい)が始まったのだ。私には、青年部、未来部の(しょ)(くん)(たの)みにするしかない」
 「最強にして、(ごく)(ぜん)の青年城の(こう)(ちく)を、断固、頼む!」
 1958年(昭和33年)3月1日、大講堂(らっ)(けい)の記念式典が行われた(おり)、戸田先生は池田先生に「これで、私の仕事は終わった」「あとはお前だ。頼むぞ!」と、(こう)()の一切を(たく)します。
 池田先生は、恩師と同じ思いで、「極善の青年城の構築」を皆さんに託したのだと思えてなりません。

池田主任副会長と語らう梁島男子部長、林池田華陽会委員長、田島学生部長、先﨑女子学生部長(学会本部別館で)

1958年3月16日に行われた“広宣流布の記念式典”と、司会の山本伸一(小説『新・人間革命』第25巻「薫風」の章から、内田健一郎画)

 ◆(やな)(しま) 「3・16」については、『人間革命』第12巻「(こう)(けい)」の章に、(しょう)(さい)につづられています。
   
 ◇池田 同章には、「(さん)(ごく)(ならび)(いち)(えん)()(だい)の人・(ざん)()(めつ)(ざい)(かい)(ほう)のみならず(だい)(ぼん)(てん)(のう)(たい)(しゃく)等も(らい)()して(ふみ)(たも)うべき(かい)(だん)なり」(全1022・新1387)の()(せい)(くん)を通し、こうつづられています。
 「広宣流布が進めば、梵天も、帝釈も、(しょう)(ほう)を求めて集い来ることは、()(ちが)いない。大梵天王・帝釈等とは、現実に(そく)して考えるならば、法華経を守護する働きを(にな)う社会の指導者(そう)といってよい。つまり、一国の(さい)(しょう)はもとより、各国、各界の指導者が、大聖人の仏法に共感し、(さん)(たん)する日が来る」
 大石寺には、「(ちょく)使()(もん)」と(しょう)される門があります。宗門では、「広宣流布の(あかつき)(ひら)かれる門」であり、その際、勅使((ちょく)()を伝えるために(てん)(のう)()(けん)する使者)が大石寺に(もう)でて、その門を開き国主を(むか)え入れるとしている。それが、宗門の広宣流布観の一つでした。
 「3・16」の式典は、それまでの広宣流布に対するイメージを根本的に(くつがえ)すものだったのです。今日、池田先生の(げき)(とう)によって、私たちは、「各国、各界の指導者が、大聖人の仏法に共感し、讃嘆する」時代を迎えました。
 『新・人間革命』第16巻「羽ばたき」の章には、「現在は『(しゅ)(けん)(ざい)(みん)』である。一人ひとりの(みん)(しゅう)が正法に()()すれば、そのまま広宣流布の実現となる」と記されています。
 人間を(はな)れて、日蓮仏法は(そん)(ざい)しません。民衆から(ゆう)()した広宣流布などありません。()()(とも)の幸福と地域・社会の(はん)(えい)を実現することに、学会の目的があります。
 「3・16」65周年の3月が(まく)を開けました。「毎日が『3・16』」との決意で、わが(がい)()(そく)(せき)(きざ)んでいきましょう。

【参照】
 ◆小説『人間革命』=第8巻「推進」「明暗」、第12巻「後継」
 ◆小説『新・人間革命』=第16巻「羽ばたき」