マイ・ヒューマン・レボリューション 第1巻

 各地で今、小説『新・人間革命』研さんの輪が広がっている。(しん)(れん)(さい)「My Human Revolution(マイ・ヒューマン・レボリューション)」では、山本伸一の激励・指導などを、巻ごとに紹介していく。今回は第1巻を(けい)(さい)。次回の第2巻は21日付2面の予定。挿絵は内田健一郎。

人間の()(せい)こそ平和の原点

 

 <1960年(昭和35年)10月、山本伸一はハワイの座談会で、アメリカ人と結婚し、()(どく)(かか)えながら()らす日本人女性を(はげ)ます>
 
 「あなた以外にも、このハワイには、同じような(きょう)(ぐう)の日本女性がたくさんいると思います。
 あなたが、ご家族から愛され、(した)われ、太陽のような(そん)(ざい)になって、見事な家庭を築いていけば、日本からやってきた婦人たちの最高の希望となり、()(はん)となります。みんなが勇気をもてます。
 あなたが幸せになることは、あなた一人の問題にとどまらず、このハワイの全日本人女性を()(せい)させていくことになるんです。
 だから、悲しみになんか負けてはいけません。強く、強く生きることですよ。そして、どこまでも(ほが)らかに、堂々と(むね)を張って、幸せの大道を歩いていってください。さあ、さあ、(なみだ)()いて」
 伸一の指導は、婦人の心を、(はげ)しく()さぶらずにはおかなかった。()(あい)ともいうべき彼の思いが、婦人の胸に熱く()みた。彼女は、ハンカチで涙をぬぐい、深く(うなず)くと、ニッコリと(ほほ)()んだ。
 「はい、負けません」
 その目に、また涙が光った。それは、新たな決意に燃える、熱い(ちか)いの涙であった。
 伸一の平和旅は、生きる希望を失い、人生の()(あい)に打ちひしがれた人びとに、勇気の()(てん)じることから始まったのである。それは、およそ世界の平和とはほど遠い、()(さい)なことのように思えるかもしれない。
 しかし、平和の原点は、どこまでも人間にある。一人ひとりの人間の蘇生と(かん)()なくして、真実の平和はないことを、伸一は()(しつ)していたのである。
 (「(きょく)(じつ)」の章、59~60ページ)

学会の理解者に最大の(けい)()

 

 <サンフランシスコで伸一は、信心に(はげ)む妻を(ささ)える未入会の夫への感謝を語る>
 
 「信心をしていないのに、学会をよく理解し、協力してくれる。これほどありがたいことはない。私は、その(じん)(りょく)に、最大の(けい)()(ひょう)したいんです。
 みんなは、ただ信心しているか、していないかで人を見て、安心したり、不安がったりする。しかし、それは()(ちが)いです。その考え方は仏法ではありません。
 信心はしていなくとも、人格的にも(りっ)()な人はたくさんいる。そうした人たちの生き方を見ると、そこには、仏法の()(かた)(あい)(つう)じるものがある。また、逆に信心はしていても、同志や社会に(めい)(わく)をかけ、学会を(うら)()っていく人もいます。
 だから、信心をしているから良い人であり、していないから悪い人だなどというとらえ方をすれば、大変な(あやま)りを(おか)してしまうことになる。いや、(じん)(けん)問題でさえあると私は思っているんです」
 伸一の思考のなかには、学会と社会の間の(かき)()はなかった。仏法(そく)社会である限り、仏法者として願うべきは、万人(ばんにん)の幸福であり、世界の平和である。
 また、たとえば広い(すそ)()をもつ(たい)(ざん)(よう)()(くず)れないが、(だん)(がい)(ぜっ)(ぺき)はもろく、崩れやすいものだ。同様に、(ばん)(じゃく)な広布の建設のためには、大山の裾野のように、社会のさまざまな立場で、周囲から学会を()(えん)してくれる人びとの(そん)(ざい)が大切になってくる。
 (さら)に、そうした友の存在こそが、人間のための宗教としての正しさの証明にほかならないことを、彼は痛感していたのである。
 (「新世界」の章、118~119ページ)

()()()(さつ)」の使命を()(かく)

 

 <シカゴの座談会で伸一は、人種差別に苦しみ、自分のルーツに(しば)られてきた黒人の青年に、「()()()(さつ)」の()(かく)に立つよう(うなが)す>
 
 「仏法では、私たちは(みな)、『地涌の菩薩』であると教えています。
 『地涌の菩薩』とは、()(おん)(むかし)からの仏の弟子で、末法のすべての(みん)(しゅう)を救うために、広宣流布の使命を(にな)って、生命の大地から(みずか)らの願望で出現した、最高の菩薩のことです。
 もし、ルーツと言うならば、これこそが、私たちの(きゅう)(きょく)のルーツです。つまり、私たちは、いや、人間は本来、(だれ)もが社会の平和と幸福を実現していく使命をもった久遠の兄弟なんです。
 自己自身の(りっ)(きゃく)(てん)をどこに置くかによって、人生の意味は、まったく(こと)なってきます。たとえば、緑の枝を広げた(たい)(じゅ)は、()(ばく)や岩の上には育ちません。それは、()(よく)な大地にこそ育つものです。
 同じように、豊かな人間性を開花させ、人生の(えい)(かん)(みの)る人間の大樹になるには、いかなる大地に立って生きていくかが大事になります。その立脚点こそ、『地涌の菩薩』という自覚なんです。
 この大地は()(へん)であり、人種や民族や(こく)(せき)()え、すべての人間を()(せい)させ、文化を(はん)()させます。その地中には、()()という清らかな()()の生命の(いずみ)()いています。皆がこの『地涌の菩薩』の使命を自覚し、行動していくならば、真実の世界の平和と人間の共和が築かれていくことは()(ちが)いありません」
 (「(きん)(しゅう)」の章、184~185ページ)

最高の(ほう)(せき)は自身の中に

 

 <ニューヨークの座談会を(おとず)れた伸一は、信心の確信を持てない婦人たちを温かく(つつ)()むように指導>
 
 「信心を(つらぬ)くならば、一人も()れなく、幸福になれます。(げん)に、日本では、百万人を()える同志が幸せになっています。それが最大の証明ではないですか。仏典には、こんな話が()かれています。
 (むかし)、ある男が、親友の家で酒を()()われ、()って(ねむ)ってしまった。親友は、この男が決して生活に(こま)り、(なげ)くことのないように、()ている間に、最高の高価な(ほう)(せき)を衣服の(うら)()いつけてあげた」
 参加者は、()()まれるように、伸一の話に聞き入っていった。
 「……やがて、男は別の土地に行き、おちぶれて食べるにも(こと)()くほど(びん)(ぼう)になってしまった。しかし、自分の衣服に、そんな高価な宝石が縫いつけられていることなど、全く気づかなかった。おちぶれた()てに、男は親友と再会する。親友は、男の衣服に、高価な宝石を縫いつけたことを教える。その宝石のことを知った男が、幸せになったのはいうまでもありません。
 これは、法華経に説かれた『()()(じゅ)(たとえ)』という(せつ)()です。最高の宝石とは、皆さんの心にある『仏』の生命のことです。御本尊に唱題し、広宣流布のために戦うことによって、その『仏』の生命を引き出し、最高の幸福(きょう)(がい)を築くことができる。
 しかし、せっかく信心をしながら、それがわからずに、ただ悲しみに(しず)んでいるとしたなら、この説話の男と同じようなものです」
 (「()(こう)」の章、228~229ページ)

“広布(せい)(がん)”の決意の祈りを

 

 <ブラジルのサンパウロの座談会で伸一は、農業を(いとな)み、()(さく)(なや)む壮年の質問に答える>
 
 「仏法というのは、最高の道理なんです。ゆえに、信心の(ごう)(じょう)さは、人一倍、研究し、()(ふう)し、努力する姿(すがた)となって表れなければなりません。そして、その(ちょう)(せん)のエネルギーを()き出させる(げん)(せん)(しん)(けん)な唱題です。それも“(せい)(がん)”の唱題でなければならない」
 「セイガンですか……」
 壮年が(たず)ねた。皆、初めて耳にする言葉であった。
 伸一が答えた。
 「“誓願”というのは、(みずか)(ちか)いを立てて、願っていくことです。祈りといっても、自らの努力を(おこた)り、ただ、(たな)からボタモチが落ちてくることを願うような祈りもあります。それで良しとする宗教なら、人間をだめにしてしまう宗教です。
 日蓮仏法の祈りは、本来、“誓願”の唱題なんです。その“誓願”の根本は広宣流布です。
 つまり、“私は、このブラジルの広宣流布をしてまいります。そのために、仕事でも必ず見事な実証を示してまいります。どうか、最大の(ちから)(はっ)()できるようにしてください”という決意の唱題です。これが私たちの本来の祈りです」
 (「(かい)(たく)(しゃ)」の章、294~295ページ)

恩師との胸中の語らい

 1960年(昭和35年)10月2日、山本伸一は初の海外平和旅に出発。最初の(ほう)(もん)()ハワイに向かう機中で、彼は恩師・戸田先生との語らいを思い起こした。

 

羽田の東京国際空港で、見送る学会員に手を振る池田先生(1960年10月2日)

 伸一は、静かに(むね)に手をあてた。彼の上着の内ポケットには、恩師・戸田城聖の写真が(おさ)められていた。彼は、戸田が(せい)(きょ)の直前、総本山で(びょう)(しょう)()しながら、メキシコに行った夢を見たと語っていたことが(わす)れられなかった。
 ――あの日、戸田は言った。
 「待っていた、みんな待っていたよ。日蓮大聖人の仏法を求めてな。行きたいな、世界へ。広宣流布の旅に……。伸一、世界が相手だ。君の本当の()(たい)は世界だよ。世界は広いぞ」
 伸一は、戸田が()(とん)のなかから差し出した手を、無言で(にぎ)()めた。
 すると、戸田は、まじまじと伸一の顔を見つめ、(ちから)()(しぼ)るように言った。
 「……伸一、生きろ。うんと生きるんだぞ。そして、世界に()くんだ」
 戸田の目は(するど)い光を放っていた。伸一は、その言葉を(ゆい)(ごん)として胸に(きざ)んだ。
 彼は、()き恩師に代わって、弟子の自分が世界広布の第一歩を(しる)すことを思うと、熱い(かん)(がい)()み上げてならなかった。
 彼が初の海外訪問の出発の日を十月二日と決めたのも、二日が戸田の命日にあたるからであった。伸一には、「世界に征くんだ」と語った戸田の思いが(いた)いほどわかった。
 (「(きょく)(じつ)」の章、14ページ)