〈ONE GOSHO この一節とともに!〉 男子部教学室編
四条金吾殿御返事(衆生所遊楽御書)
真の幸福とは何か――今回は、この根源的な問いに、日蓮大聖人が明快に答えられた「四条金吾殿御返事(衆生所遊楽御書)」の一節を学ぶ。
不屈の境涯こそ真の遊楽
御文
一切衆生・南無妙法蓮華経と唱うるより外の遊楽なきなり経に云く「衆生所遊楽」云云、此の文・あに自受法楽にあらずや(御書1143ページ)
通解
一切衆生にとって、南無妙法蓮華経と唱える以外に遊楽はない。寿量品には「衆生の遊楽する所なり」とある。この文は「自ら法楽を受ける」ことを言っているのである。
背景
本抄は、建治2年(1276年)6月、日蓮大聖人が身延の地から鎌倉の四条金吾に宛てて送られたお手紙で、別名を「衆生所遊楽御書」という。
2年前の文永11年(1274年)、大聖人が流罪の地・佐渡から戻られたことに歓喜した金吾は、主君の江間氏を折伏する。
しかし、江間氏は大聖人に敵対する極楽寺良観の信奉者であったため、金吾は主君の不興を買い、遠ざけられることに。さらに、同僚からの中傷もあり、金吾は江間家の中で孤立し、命まで狙われる事態となる。
解説
拝読御文の冒頭で大聖人は、南無妙法蓮華経の題目を唱えること以外に、本当の幸福、すなわち「遊楽」はないと断言されている。
この「遊楽」とは、すぐに消え去る“はかない楽しみ”ではなく、いかなる状況でも、その瞬間瞬間を楽しんでいける境涯のこと。題目を唱え抜いていけば、仏の大生命力を発揮し、全てを楽しんでいける、幸福へと転じていけることを示されている。
続いて、法華経如来寿量品の経文「衆生所遊楽」を引かれ、妙法を持つ衆生にとって、娑婆世界こそが最高の遊楽の場所であることを教えられている。幸福をつかむ舞台は、どこか遠くではなく現実社会にあるのだ。
次いで大聖人は、「衆生所遊楽」の文は、「自受法楽」(自ら法楽を受く)を表していると仰せである。永遠に崩れない真の喜びの境涯である「法楽」は、他の誰かが与えてくれるものではなく、自分自身が題目を唱えることによって得られる境涯であることを教示されている。
さらに拝読御文の直後、「衆生所遊楽」の文を、「衆生」「所」「遊楽」の三つに分け、四条金吾に教えられている。
「衆生のうちに貴殿もれ給うべきや」――あなたも、この「衆生」の中の一人である。
「所とは一閻浮提なり日本国は閻浮提の内なり」――日本は閻浮提(全世界)の中にあり、あなたのいる所も含まれている。
「遊楽とは我等が色心依正ともに一念三千・自受用身の仏にあらずや」――私たちの色法(身体)と心法(心)、依報(環境世界)と正報(主体)も、ともに一念三千の妙法の顕れである。自在の仏であり、真実の遊楽を味わっていける存在なのである――と。
本抄の御執筆当時、苦難の渦中にいた四条金吾にとって、この大聖人の渾身の励ましは、現実の苦難と戦い抜く大きな力となったに違いない。
金吾は、本抄を受け取った翌年の建治3年6月、人生最大の危機に陥る。金吾をねたむ同僚の讒言(事実無根の訴え)を信じた主君から、“法華経を取るか、所領を取るか”と迫られたのである。それでも金吾は迷うことなく信仰を選び、大聖人の仰せ通りに信心に励み抜く。そして、主君の治療・看病を通して、金吾は信頼を回復。最終的には、それまでの3倍の領地を勝ち得ていく。
小説『新・人間革命』第26巻「法旗」の章には、山本伸一が「遊楽」の意義について次のように語るシーンが描かれている。
「最も大事なことは、どんな大試練に遭遇しても、決して負けたり、挫けたりすることのない、自身の境涯を築いていくことです」「大病を患ってしまった。最愛の人を亡くしてしまった――そんな事態に遭遇しても、それを乗り越え、幸福を創造していける力をもってこそ、本当の遊楽なんです」
厳しい試練に遭った時こそ、信心を磨き、絶対的幸福をつかむ好機なのである。
戸田先生から、池田先生を中心とする青年に広布のバトンが託された3・16「広宣流布記念の日」が目前に迫ってきた。私たち後継の男子部は、日々の唱題を根本に、地域へ、社会へ励ましの輪を大きく広げていきたい。その実践の中に、困難に負けない遊楽の人生が開かれていく。