〈ONE GOSHO この一節とともに!〉 男子部教学室編

 

一生成仏抄

 今月11日の「部結成70周年」を勝ち飾った男子部。連続勝利の次なる峰へ進むに当たり、日蓮仏法の根幹である「唱題行」の意義と実践について学ぶ。

 

弛まぬ不屈の前進を

御文

 深く信心を発して日夜朝暮に又懈らず磨くべし何様にしてか磨くべき只南無妙法蓮華経と唱へたてまつるを是をみがくとは云うなり(御書384ページ)

 

通解

 深く信心を奮い起こして、日夜、朝夕に、また怠ることなく自身の命を磨くべきである。では、どのようにして磨いたらよいのであろうか。ただ南無妙法蓮華経と唱えること、これが磨くということなのである。

 

背景

 本抄は、執筆の年次や宛先は定かではないが、建長7年(1255年)に著され、下総国(現在の千葉県北部などの地域)の門下・富木常忍に与えられたと伝えられている。
 題号の「一生成仏」とは、凡夫がこの一生のうちに成仏することを指す。その一生成仏の要諦である「唱題行」の意義について、法理と実践の両面から明かされているのが本抄である。
 日蓮大聖人は、「南無妙法蓮華経」の題目を唱えることが仏の境涯をあらわす直道であると示され、生命を鍛える唱題行を「鏡を磨く」作業に譬えて、持続の祈りの大切さを教えられている。

 

解説

 日蓮大聖人は拝読御文の直前で、「衆生(凡夫)」と「仏」とは互いにかけ離れた存在ではなく、「迷っているか」と「悟っているか」の違いにすぎないと仰せである。
 さらに、迷いに覆われた生命を「磨かざる鏡」に、真実の悟りの生命を「明鏡」に譬えられている。
 鏡は磨かなければ曇ってしまうように、生命もまた、放っておけば無明という「迷い」に覆われてしまう。
 しかし、曇った鏡も磨いていくことで、あらゆる物をよく映す明鏡となる。生命も同様に、唱題行によって無明を払い、本来具わる仏の生命を開き顕していけるのである。
 「磨く」行為である唱題行の実践について、大聖人は、拝読御文で二つの面から御指南されている。
 1点目に、大聖人は「深く信心を発して」と仰せである。
 いくら唱題を重ねても、疑いを抱いたままでは、御本尊の功力は十全には現れない。自身が妙法の当体であり、「必ず一生成仏できる」と深く確信して、題目を唱えることが大切である。
 そしてまた、私たちが現実の課題や逆境に直面した時、無理だと諦めるのではなく、“必ず苦難を打開してみせる”との決意に奮い立てるかどうか。
 この「覚悟の深さ」こそ、生命錬磨の修行の要諦であるといえる。
 2点目に大聖人は、「日夜朝暮に又懈らず」と仰せである。
 日々、怠ることなく実践していく――信心には、“ここまでやればいい”という到達点はない。過去にどれだけ頑張ったかだけでなく、「持続」することが一生成仏には不可欠である。
 その点、大聖人は別の御書で、「受くるは・やすく持つはかたし・さる間・成仏は持つにあり」(1136ページ)とも御教示されている。
 私たち後継の男子部は、この「確信の祈り」「持続の祈り」を実践しながら、新たな対話と友好の8月へ打って出たい。
 1955年(昭和30年)8月、池田先生が北海道で指揮を執り、広布拡大の金字塔を打ち立てた「札幌・夏の陣」。
 先生は、朝の勤行と御書講義から毎日をスタート。行く先々で、“札幌の同志に勝利を”と祈り、常に題目を唱え続けたという。
 先生はかつて、北海道の友に語っている。
 「『妙法』の祈りは、自身の“生命の変革”をもたらし、その変革は、必ず“周囲の人々や生活環境の変革”へと連なっていく。
 地域の発展も経済の好転も、“自分にはとても手が出ない”と思われるような願いであっても、わが『一念』から発する『信心』の力用しだいによって、やがて厳然とかなえられていくことを、強く確信していただきたい」
 下半期の勝利への“助走期間”ともいえるこの8月。
 日々の目標を明確にし、祈りを根本に大きく仏縁を拡大しながら、スタートダッシュを切る夏としたい。