【世界広布の源流 青年に語る創価の魂】第9回 公明党の結党

 

· 〈出席者〉谷川主任副会長、梁島男子部長、林池田華陽会委員長、田島学生部長、先﨑女子学生部長

政治を変えるのは「民衆」

東京・大田池田文化会館から多摩川を望む(2015年12月、池田先生撮影)。1955年の統一地方選の折、先生は多摩川を渡って大田と鶴見を行き来し、友の激励に奔走した

 ◆梁島 今回は、創価学会が「立正安国」の理想を掲げ、政治の分野にも積極的に関わってきた意義について、お聞きしたいと思います。1958年(昭和33年)2月、戸田先生は「大白蓮華」の巻頭言で、「青年は心して政治を監視せよ」と述べられました。
  
 ◇谷川 学会の支援活動が始まったのは、55年(同30年)の統一地方選挙です。後に、自民党と社会党による、なれ合い政治になっていった「55年体制」が始まった時です。
 保守陣営は、大企業の資本家を擁護し、革新政党は労働組合の利益を優先しました。大多数の庶民は、政治から取り残される状況にありました。さらに、金権政治や選挙での買収も横行していました。
 民衆の手に政治を取り戻すために、学会は挑戦を開始しました。民衆不在の政治を変革していく――その意味で、庶民の声を届けやすい地方議会から出発したことは、大きな意義があることだと思います。
 戸田先生は、58年2月の「大白蓮華」の巻頭言で、政治の貧困について「聞いて恥じない民衆」「聞いて驚かぬ青年」「関心なき婦人」に、その原因があると喝破されています。
 政治を変えるのは「民衆」であり、「壮年」はもとより、「青年」「女性」が立ち上がることが大切なのです。
 巻頭言では、次のようにも記されています。
 「偉大な抱負に生き、未来に大きな希望を持っていたために、今までのような醜悪なる選挙運動ではなく、正々堂々、天下に恥ずるものはなかった。わが創価学会の選挙のあり方こそ、古今無類のものであり、天下に恥ずるものなしであった」(一部、現代表記に改めた)
 学会は、いかなる不法行為も厳禁とし、公明正大な支援活動を展開していきました。

1982年6月に池田先生がしたためた「立正安国」の書

触発と歓喜が「勝利の鉄則」

 ◆林 支援活動の源流は、54年(同29年)11月に設置された「文化部」にあります。
  
 ◇谷川 戸田先生は、政治・経済・教育など、社会の各分野に広布の人材を輩出しようと、文化部を設けました。
 翌55年(同30年)には、各界で活躍する同志が文化部員に任命され、その代表が4月の統一地方選挙の候補者に推薦されました。
 小説『人間革命』第9巻「展開」の章には、候補を立てた目的がつづられています。
 「政治的野心に基づくものではなく、ひとえに民衆の幸福と、社会の平和、繁栄を願う一念より発したものである」「創価学会が政治化したのではなく、その念願を達成するための一分野の活動にすぎぬ」と。
 ここに示されている通り、学会の支援活動は、一人一人の幸福と社会の繁栄を願ってのものです。決して、一宗一派のためのものではありません。
 55年の統一地方選において、池田先生は東京都議選(大田区選出)と横浜市議選(鶴見区選出)の支援の最高責任者を務められました。
 池田先生は現場を回り、「組織が活気を失っております。選挙テクニックに信心が流されてしまった感じです」(「展開」の章)と戸田先生に報告します。
 池田先生が取り組んだのは、座談会などの日常活動を活発化することでした。自ら率先して同志の激励に走る中で、団結が生まれ、大田と鶴見はトップ当選を果たします。
 56年(同31年)の「大阪の戦い」でも、先生の“朝の御書講義”と“徹底した個人指導”が勝利の原動力となりました。
 信行学の基本に徹する中で、一人一人に触発を与え、歓喜を広げていくことが、広布の戦いにおける勝利の鉄則です。
  
 ◆田島 戸田先生は、「文化活動、また当面している政治活動というものは、立正安国の大構想から見るならば、一つの分野の活動にすぎません」と語り残されています。
  
 ◇谷川 仏法に根差した人間主義の潮流を社会全体に広げていくことが、創価学会の運動の目的です。
 戸田先生は、このようにも述べられています。
 「本当の日本の国の平和と安泰を思う時、政治の分野では衆議院にも参議院にも、真に民衆のために体を張っていく妙法の使徒が、数多く輩出されなければなりません。これは、教育の分野にも、また芸術や科学といった世界にも通ずることです」
 恩師の魂を受け継いだ池田先生は、立正安国の構想を平和・文化運動へと昇華させ、政治の分野においては、公明党を創立されたのです。

1964年11月17日に行われた公明党の結成大会(小説『新・人間革命』第9巻「衆望」の章から、内田健一郎画)

立党精神の発表から60年

 ◆先﨑 本年は、公明党の立党精神「大衆とともに」が発表されてから60年の節目です。
  
 ◇谷川 62年(同37年)9月、公明政治連盟の第1回全国大会に出席した池田先生は、三つの指針を示されました。
 第一は「団結第一であれ! 派閥は許さない」。
 政治の世界は利害、策略が渦巻いています。そんなことは眼下に見下ろし、大衆の幸福のために戦う政治家であることを、先生は訴えられたのです。
 第二は「大衆に直結せよ! 大衆から離れるな」。
 「大衆に直結」とは、“特別な存在になるな!”という厳命でもあります。大衆のために苦労して、苦労して、苦労し抜く――それが、公明党の議員の本来あるべき姿です。
 第三は「研鑽を積み大政治家に育て!」。
 社会は時々刻々、変化していきます。地方議員であれ、国会議員であれ、公明党の一人一人は徹底して学び、大衆の幸福に資するために行動してほしい。
 この三つの指針を胸に、大衆に直結し、本気で戦う議員を、私たちは全力で応援します。
  
 ◆梁島 公明政治連盟の大会から2年後の64年(同39年)11月、公明党が結成されます。
  
 ◇谷川 ジャーナリストの田原総一朗氏は、著書『創価学会』に記しています。
 「宗教団体を基盤とした結党は過去に例がなく、そのため国民に理解され、受け入れられるためには、相当な時間と労力が必要」
 「政党結成まで至ったことは、これまでとは比較にならないほど激しい社会からの烈風を覚悟しなければならないことでもあった」
 公明党の結党以前からあった一部マスコミなどによる、創価学会への中傷・批判は、結党後、さらに激しくなりました。その中で、学会は堂々と言論戦を展開してきたのです。
 言論とは、正しいことを正しいと言い切ることです。その勇気をもって、味方を増やしていくことです。
 先日、訪米の機会があり、小説『新・人間革命』をひもときました。第1巻「新世界」の章に、こうありました。
 「広い裾野をもつ大山は容易に崩れないが、断崖絶壁はもろく、崩れやすいものだ。同様に、盤石な広布の建設のためには、大山の裾野のように、社会のさまざまな立場で、周囲から学会を支援してくれる人びとの存在が大切になってくる。更に、そうした友の存在こそが、人間のための宗教としての正しさの証明にほかならない」
 今、日本の国内外に、創価学会の理解者がいます。その陰には必ず、真心の対話を重ねてきた友の奮闘があります。青年部の皆さんは、広布の重大な使命を担う大切な一人一人です。対話拡大に挑み、理解者を広げていってもらいたいと思います。

 【参照】
 ◆小説『人間革命』=第9巻「展開」
 ◆小説『新・人間革命』=第1巻「新世界」