〈ONE GOSHO この一節とともに!〉男子部教学室編
撰時抄
広布拡大の「一滴」に
間もなく創価学会創立90周年となる「11・18」の佳節を迎える。学会は今日まで、日蓮大聖人に直結し、仏意仏勅の教団として、世界広宣流布を現実の上で進めてきた。今回は、創価三代の師弟に流れ通う「一人立つ」精神を学ぶ。
御文
衆流あつまりて大海となる微塵つもりて須弥山となれり、日蓮が法華経を信じ始めしは日本国には一渧・一微塵のごとし、法華経を二人・三人・十人・百千万億人・唱え伝うるほどならば妙覚の須弥山ともなり大涅槃の大海ともなるべし
(御書288ページ)
通解
多くの川の流れが集まって大海となり、小さな塵が積もって須弥山となったのである。
日蓮が法華経を信じ始めたのは、日本国にとっては、一滴の水、一粒の塵のようなものである。やがて、二人、三人、十人、百千万億人と、人々が法華経の題目を唱え伝えていくならば、妙覚の須弥山ともなり、大涅槃の大海ともなるであろう。
背景
本抄は、建治元年(1275年)、日蓮大聖人が身延で著され、駿河国(静岡県中央部)の西山由比(由井)氏に与えられたとされている。
この前年、蒙古が襲来。大聖人が「立正安国論」で予言された他国侵逼難が現実となり、社会が騒然とする中で認められた。題号の「撰時」は、「時を撰ぶ」、すなわち「広宣流布の時として末法を選び取る」との意である。
本抄で大聖人は、末法は法華経の肝心である南無妙法蓮華経が広宣流布する時であることを示され、不惜身命で妙法を弘める大聖人こそ、一閻浮提第一の法華経の行者であり、智人、聖人であることを明かされる。
解説
広宣流布の遠大な広がりも、“一人”から始まる――このことを明確に示されているのが今回の拝読御文である。
冒頭で日蓮大聖人は、「川の流れ」や「塵」といった、小さなものがたくさん集まることで、「大海」や「須弥山(世界の中心にある巨大な山)」などの大きな存在が生み出される例えを引かれ、広宣流布も、こうした「一滴の水」「一粒の塵」から始まることを教えられている。
続く御文では、「日蓮が法華経を信じ始めしは日本国には一渧・一微塵のごとし」と仰せになっている。大聖人御自身が、日本において、法華経を弘める最初の「一人」であったことを示された箇所である。
さらに大聖人は「法華経を二人・三人・十人・百千万億人・唱え伝うるほどならば妙覚の須弥山ともなり大涅槃の大海ともなるべし」と記され、一人の「法華経の行者」から、二人、三人と、多くの人々が題目を唱え、仏法が弘まっていくことを述べられている。
最初に立ち上がった「一人」が、あらゆる大難を勝ち越え、妙法を弘めていくならば、同じ志を持った次の一人、また次の一人へと、必ずつながっていく。そのために大切なのは、新たに立ち上がった一人もまた「唱え伝うる」人となることである。
だからこそ、私たち一人一人が「法華経の行者」であるとの自覚に立ち、自らが唱題を実践するとともに、他者の幸福を願い、弘教に励むことが、何よりも肝要であるといえよう。大聖人はこの御文で、広宣流布の永遠の“方程式”を教えられていると拝することができる。
大聖人の御誓願を継ぎ、現代において世界広宣流布を実現するための、初めの「一滴」「一微塵」となったのが、創価三代の師弟である。
牧口先生・戸田先生の師弟不二の闘争、そして、師の大理想を実現せんとする池田先生の師子奮迅の戦いによって、地涌の連帯は世界192カ国・地域にまで広がった。
「一人立つ」精神で妙法を弘めた三代会長の死身弘法の闘争があり、そしてそれに続く無数の人々の目覚めがあって、大聖人の仏法は世界宗教へと飛翔。今や、広宣流布は世界同時進行の時代を迎えている。
池田先生は次のように語っている。
「あらゆることは、一滴、一微塵から始まるのです。しかし、その一滴、一微塵が確かな存在であれば、同じ志で次の『一人』が立ち上がり、着実に積み重なっていきます」
学会創立90周年の「11・18」を目前に控えた今、各地で活発に行われている「体験談大会」や、一対一の訪問激励など、日頃の学会活動は、まさに広布の「一滴」から次の「一滴」を生み出し、「大海」をつくる運動そのものである。
創価の師弟不二の精神を胸に、今いる場所で広布の潮流を起こしゆく“一人”となる誓願を一段と燃やしたい。