月々日々に――池田先生の折々の言葉2024年1月15日

 ほんぞんいのることができ、はげましあえる
 どうがいる。がっかいとともにあゆじんせいたい
 さいこうの「なんそくあんらく」の人生なのです。

 ※『創価学会永遠の五指針』を基にしています。

「創価学会永遠の五指針」に学ぶ 淵源から65周年2022年12月21日

  • 一人ももれなく大功徳を

 国際法学者として世界的に著名なベッド・ナンダ博士は、創価学会に対して「皆さんの一つ一つの行動が、仏教の『慈悲』を体現している」と、深い期待を寄せる。
 博士はまた、「創価学会永遠の五指針」について、「本当に素晴らしい五指針」とたたえてやまない。
 指針の淵源は、1957年(昭和32年)に。この年の12月、75万世帯の弘教という生涯の願業を果たした戸田先生は、“何のための信心”かを明確に示し留めておこうとした。
 そして、同月の本部幹部会の席上、「一家和楽の信心」「各人が幸福をつかむ信心」「難を乗り越える信心」の「学会の三指針」が発表された。今年は65周年の節目である。
 それから時を経た2003年(平成15年)12月、池田先生は、世界広布の未来を展望し、新たに「健康長寿の信心」「絶対勝利の信心」の2項目を加えることを提案。「創価学会永遠の五指針」は、師弟不二の“結晶”なのである。

 書籍『創価学会永遠の五指針』と小説『新・人間革命』第5巻「獅子」の章を通し、その精神を学ぶ。

全世界の同志に励ましを送る池田先生ご夫妻(2003年12月、八王子市の東京牧口記念会館で)。この月、先生は「学会の三指針」に2項目を加えた「創価学会永遠の五指針」を発表した

全世界の同志に励ましを送る池田先生ご夫妻(2003年12月、八王子市の東京牧口記念会館で)。この月、先生は「学会の三指針」に2項目を加えた「創価学会永遠の五指針」を発表した

 
一家和楽の信心

 家族は、日蓮仏法の信仰において、かけがえのないテーマです。ゆえに「一家和楽の信心」が一番目に掲げられているのです。
 ◆◇◆ 
 「和楽」という、世界平和の縮図を実現するために、いかにあるべきか。
 第一は、自らが「家庭の太陽」となって、慈悲の陽光で皆を包むことです。
 第二は、親子、夫婦という家族の絆は、三世の宿縁であることを知って、互いに尊敬し合うことです。
 そして第三は、社会に貢献していくことと、その後継の流れを創り出すことです。
 ◆◇◆ 
 家族の在り方は千差万別です。しかし、私たちは、皆、創価家族です。久遠元初からの誓願という最も深く、最も麗しい生命の絆で結ばれています。
 
 

幸福をつかむ信心

 この「つかむ」という一言には、深い深い哲学があります。
 幸福は、他の誰かから与えられるものではない。自分の意志や努力とは無関係に、いつか突然やって来るのを待つのでもない。究極は、各人が、自分自身で「つかむ」しかありません。必ず「つかむ」ことができる信心なのです。
 ◆◇◆ 
 法華経は、この世界を「衆生所遊楽」と説きます。しかし、苦悩多き娑婆世界は、弱い生命力では遊楽していくことはできない。ゆえに信心で仏界の生命を涌現し、生命力を強くするのです。強い生命力を発揮すれば、起伏に富んだ人生の坂も悠々と楽しみながら上っていける。
 ◆◇◆ 
 絶対の法に則り、揺るぎない確信に立った幸福な人生を歩める。他の誰でもない、自分自身が必ずそうなるのです。
 
 

難を乗り越える信心

 戸田先生は、「試練の山を一つ切り抜けるたびに、成仏という、崩すことのできない境涯となっていくのである」と、一つ一つ、乗り越えていくことの大切さを教えられました。
 「一つ一つ」です。信心が深まるのを待って、それから難に向かうのではありません。難に向かっていく中で生命が磨かれ、金剛の信心が鍛え上げられるのです。
 ◆◇◆ 
 「難を乗り越える信心」とは、「難を乗り越える祈り」であり、「難を乗り越える唱題」の異名です。
 ◆◇◆ 
 人間革命の道を進みゆく人々に、信心への不信、疑念を抱かせようとするのが、魔の本質なのです。決して、自分の信心が弱いから、また、自分の信心の姿勢が悪いから難が起こってくるわけではないのです。
 
 

健康長寿の信心

 「法華経と申す御経は身心の諸病の良薬なり」(全1015・新1372)と仰せの通りです。「病魔に勝つ」と一念を定めて題目を唱え、自身の生命力を湧き起こしていくことです。
 生老病死は人生の実相であるゆえに、避けることはできません。逃げていては、真の幸福を勝ち取ることはできない。
 ◆◇◆ 
 健康長寿の人生を歩むためのポイントは、①張りのある勤行②無理と無駄のない生活③献身の行動④教養のある食生活、の四点です。
 根本は基本を守ることです。暴飲暴食、睡眠不足、過労などが続けば、どこかに支障をきたし、病にかかったり、事故を起こしたりしかねません。だからこそ、さまざまに智慧を出して、価値的な生活をすることです。
 仏法は道理です。信心は即生活です。
 
 

絶対勝利の信心

 「絶対勝利」――これこそ、私たちの信仰と人生の究極の目的です。戸田先生が衰弱したお体をおして熟考され、発表してくださった「永遠の三指針」の奥底を貫く、根本の精神です。
 ◆◇◆ 
 日蓮仏法の根幹は、「師弟」にあります。「絶対勝利の信心」も、その要諦は、詮ずるところ、「師弟」の二文字に凝縮されます。「師弟相違せばなに事も成べからず」(全900・新1211)だからです。
 ◆◇◆ 
 広宣流布の師匠と心を合わせて、法華経の兵法で戦えば必ず勝てる!
 勇気ある信心を貫けば、必ず正義を宣揚できる!
 異体を同心とする善の団結を築けば、いかなる悪をも打ち破れる!
 これが「絶対勝利の信心」の極意です。
 
 

小説「新・人間革命」第5巻「獅子」の章から

 〈1962年(昭和37年)「勝利の年」の元日の勤行会で、山本伸一はあいさつした〉
 「戸田先生は、亡くなる少し前に、三つの指針を発表されました。
 それは、『一家和楽の信心』『各人が幸福をつかむ信心』『難を乗り越える信心』の三つであり、これこそ、創価学会の永遠の三指針であります」
 集った幹部たちは“おやっ”と思った。一年前の初勤行でも、伸一は、この三指針の話をしたことを思い出したからである。
 伸一の指導は、いつも斬新で、話題も豊富であった。それだけに多くの参加者は、なぜ、山本会長は、二年も続けて同じ話をするのだろうかと思いながら、彼の話に耳を傾けていた。皆の心を察知するかのように、伸一は言った。
 「私は、昨年の新年の勤行の折も、この三指針の話をいたしましたが、今年も同じ話をするのは、この三指針に、どこまでも信心の目的があるからです。
 学会は、今や二百三十万世帯を超え、事実上、日本の柱となりましたし、これからも、さらに布教の渦を巻き起こしていきます。
 では、その目的は何か。学会という教団が勢力を拡大することでもなければ、議員を増やすことでもありません。
 この戸田先生の示された三指針を、一人ひとりが現実のものとして、一家の和楽を、人生の幸福を、何ものにも負けない自己自身を築き上げていくことこそ、私どもの目的であります。
 本日、ここに集った幹部の皆さんは、この“なんのため”の信仰かを銘記し、同志を一人も退転させることなく、全員に大功徳を受けさせていただきたいのであります。それが、私の念願であります」

名字の言 創大駅伝部かんとくが選手にうったえていること2024年1月15日

 第100回箱根駅伝で創価大学は「5年連続のシードけん」をかくとくした▼創大駅伝部のえのかずたかかんとくは常々、選手に語る。「監督やコーチからの発信をって動くのではなく、自分たちがどうなりたいかを常に考えて動かないと、とても目標はたっせいできない」「待ちで受け身の姿せいではなく、主体者として行動しなければチーム全体で勝利できない」と(『創価大学駅伝部 獅子奮迅2024』潮出版社)▼創大が箱根駅伝に初出場したのは、2015年の第91回大会。この時は最下位の20位だった。その後、93回大会は12位、96回大会は9位、97回大会は2位、98回大会は7位、99回大会と今回の100回大会は8位。今や上位をねらう常連校となった▼箱根駅伝は世界さいの駅伝として、世界陸連から“陸上界の世界さん”「ヘリテージ(遺産)プラーク(かざがく)」がじゅされている(「Competitions〈大会〉」部門)。世界の陸上界の歴史に多大なこうけんたした個人・団体におくられるもの。同部門の受賞は、日本では箱根駅伝と福岡国際マラソンである▼どんな分野であれ、歴史をつくるには、主体者として行動する努力をかさねるしかない。さあ、黄金の自分史をつくろう! 青年とともに!! 青年のこころで!!(革)

寸鉄2024年1月15日

人生の一番大事なことは
もくてきかん―牧口先生。誓願せいがん
むねに共戦の闘争とうそうを今日も

 

第二次世界大戦中のことである。牧口先生が会長の時代に、創価学会は「価値創造」という機関紙をつくっていた。軍部権力の弾圧で廃刊させられるまで、九号にわたって続いた。
 「価値創造」が創刊されたのは一九四一年(昭和十六年)の七月。日本がアジアを侵略し、太平洋戦争へと突入していった時代である。(五カ月後に開戦)
 創刊号には、牧口会長の講演論文が掲載された。タイトルは「目的観の確立」。
 ″日本は行き詰まっている。将来の見通しが全く立っていない″と、深く憂えた論文である。
 将来への何の見通しももたない無責任な政治家や軍人や学者たちと、牧口先生の観点は、まったく違っていた。日本の行き詰まりの根本原因を、「哲学の不在」「目的観の欠如」と鋭く見抜いておられた。
 「目的なしの行動は、暗中模索で成功しない」。なかには「金がたまれば生活が出来幸福になれると思うて居るものがある」
 (『牧口常三郎全集』第十巻。第三文明社。以下、引用も同じ)
 しかしそれは、確固たる目的観とは、とうてい言えない。そうした生き方は「ある場所まで行けば、その先が見えると思うて行くのと同じ」であり、漫然と進んでいるのは、不安定このうえない。
 要するに「究竟(=究極)の目的が確定せずして、中間の目的は定まらない」のである、と。
 その通りである。ここに、人生と社会の根本問題がある。

  それでは、その「究極の目的」とは、どうすれば見つかるのか。
 ″それは、自分だけ、家族だけ、国家だけに閉ざされていたのでは分からない。「世界」に心を開け!″と牧口先生は訴えた。「世界が解らずに、国家が分かるものでない」と。
 続いて「国家の生活が立たないでは一家の生活が立とうはずはない。ゆえに一家の生活を確立せんとするには国家の生活が確立せねばならぬ。世界の生活が確定せねば国家の生活は定まらない」とある。
 しかし、「世界」を知るといっても、現在の表面的な姿を見ているだけでは分からない。
 「世界は過去現在将来の三世が分からなくては分からぬ。三世にわたる因果の法則が解ってこそ初めて、現在の各自の生活の確立ができるのである。それは現世に限られた科学の力では出来ない」
 ここに、三世永遠の生命観を解き明かした、正しき日蓮仏法が不可欠な所以がある。生命尊厳の哲理を実践していく以外に、「自他ともに幸福を満喫していく」という最高の目的観に生ききることはできない。
 ――これが、牧口先生の堂々たる論調であった。明快なる哲学である。本当に偉大な先生であられた。
 そして、我々は、その門下である。先生の主張通りに、「究極の目的観」を抱き、最も正しい道を進んでいるのが、皆さまなのである。いかなる有名人よりも、虚像の指導者よりも、事実の上で、人を幸福にしている。誇らかに胸を張っていただきたい。(拍手)

     ◇
中等部結成記念日。みな
成長が学会の希望なり。
さあ共に勇気の一歩を!
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東京「新宿の日」。広布の
さきけこそ本陣の使命!
さちしろの仲間と対話拡大
     ◇
さいはじめ感染コロナが増加
傾向けいこう流感インフルエンザは減少もいま
流行と。基本対策たいさく心がけ
     ◇
防災ぼうさいとボランティア週間
じょ・共助の強化が減災げんさい
のカギに。地域のきずな強く