あかし 信仰体験〉

2024年1月13日

素朴な優しさに満ちた萩焼。触れてなお美しさが分かる

素朴な優しさに満ちた萩焼。触れてなお美しさが分かる

 【山口県市】ぼく――。それでいて強さと美しさを宿やどす、はぎやき
 かざらぬたたずまいにはどうかんろくがあり、古くからちゃじんあいこうされてきた。

 「土が命」と、平野豊さん(67)=副本部長(かいたく長〈ブロック長〉兼任)=は言う。土の風合いを生かし、表情をいかに引き出すか。
 とうげいとなり、土と向き合ってきた半世紀。「めるほどに、焼き物はむずかしくなる」

冬の光を背に浴び、ろくろを回す平野さん。苦労にもまれたその手から、ぬくもりのある陶器が生まれる

冬の光を背に浴び、ろくろを回す平野さん。苦労にもまれたその手から、ぬくもりのある陶器が生まれる

 祖父が萩焼のかまもとだった。小さい頃からねんをこし、どろみをして、土にれてきた。
 夜通しのかまきはおまつさわぎ。ジュースや寿ならび、心をおどらせた。
 陶芸家になることは自然の流れだった。

 定時制高校に通いながら、窯元で働いた。
 高度経済成長の中で焼き物ブームが起こり、全国に多くの窯が誕生。萩焼もそのうねりの中でさかんになり、1972年(昭和47年)には、平野さん一家も山口市から宇部市へ移り、新しい窯を構えた。

 「土り3年、ろくろ10年」。誰もが通る下積みのたんれん。来る日も来る日も、土をもみ、ろくろを回した。
 出来はじゅく。それでも熱とこころざしがあった。十年いっけん。やがて土が手を受け入れ、手のひらの中で、しなやかなうつわりょうせんが流れるようになった。

自宅には展示場も構える

自宅には展示場も構える

 萩焼にはさいなひびようが入る。特有の現象で「かんにゅう」と呼ばれる。そこに、ちゃしぶなどの色素がしんとうしていくと、器の表面にまで、ざんぐりとした風合いが現れる。
 「萩のしちけ」といわれる。

 窯から出た時はかんの作。使いむうちに、わびた味わいが生まれ、生活の中で焼き物が完成する。
 育てる楽しみもまた萩焼のみょうといえる。

 なんわざがある。つぶじょうの模様「かいらぎ」(うわぐすりちぢれたもの)を茶わんに部分的に出す技法。
 「これが、やってもやってもできん」
 あれこれためすも、さらに迷いのぬまにはまってしまう。

 悩み果て、ふっと力をいた時だった。不思議にも理想的な「かいらぎ」が陶器に入った。
 そこで気付いた。
 焼き物は、ぐうぜんの産物。土の配合やうわぐすりしょうせいなどの重なりによって、ゆいいつふういんが生まれる。
 技術で無理にあやつろうとせず、土を信じ、ほのおを信じ、とうそのものに仕上げをゆだねる。そう思えた時から、たくみの道が開けてきた。

 表現のはばも広がり、いつしか「先生」とばれるようになった。
 自信としんかみひと。信心でおのれりっし、おごりをねじせた。
 宇部はかつての炭鉱の街。「ふんぞりかえると、けつるからな」。学会の同志が正しいどうを示してくれた。

 としあなもある。てんらんかいの入賞や、かんな評価。せつの成功体験にってしまうと、過去に取りつかれ、作品の新しいきょうを開けなくなる。賞を受けた作品は手元に置かず、すぐに売った。

 日々しょうじん。自らに挑戦をし、昨日の自分を超えながら、陶器を作り続けた。こんしんのつぼを作った年(94年)のこと。池田先生がんでくれた。
 〈天よりも 大なるつぼの 王者かな〉
 バブルほうかいや業界のすい。くじけそうになると、師弟の句を心で唱え、嵐をき抜けてきた。

 にもめぐまれた。時代に沿ったそうさくの発案をくれるめいゆう。仕事のえんもつないでくれ、市役所のとうへきを製作した。
 「宇部焼」という新ジャンルを、共にさくするなど、日々にげきたんきゅうがある。

 5年前だった。妻・かずさん(70)=地区副女性部長=のはいがんが判明。まんせい心不全も見つかった。
 自らも3年前にのうこうそくたおれた。右手がふるえ、食事が口に運べない。陶芸人生の終わりが頭によぎる。
 りょくないしょうも発症した。「ここで、しまいか」。れる心にうるおいをくれたのは師の言葉だった。「題目をあげて、あげて、あげて、あげきなさい」

 祈りを生活のじくとし、仏間にぶくろを置いた。題目のあいに家事をし、題目の合間にすいみんをとる。「祈り切った先の景色をながめてみたい」。苦しくとも、感謝の題目をつらぬいた。
 かず江さんは、ほうしゃせんりょうこうそうし、現在、症状は落ち着いている。平野さんもこうしょうだっし、仕事に復帰した。

 それでもなお、苦労のとうげは続く。
 「健康も、生活も、今がり時なんじゃ」。かくを口にしながらも、なぜかその表情にはおだやかさがある。

 師は言った。「前進する人生には/あいかんしょうもない」。だから笑うんよと、平野さんはくちびるはしをくいっと持ち上げる。
 「これはこれでぼくらしい人生。それでいい。前へ前へ。けじだましいよォ」

 目指す人がいる。とうげいの師である父親。その器は色つやがあり、れる美しさがあった。
 まねてもまねてもとどかない。「おやじの壁はまだ高い」。年を重ねるごとに思い知らされる焼き物の深み。「器と向き合って、人間の器も広げてもらいよんじゃ」

 連日、深夜までともるけいこうとう。冬の風が打ち付ける作業場で、ろくろを回し、おのれたいする。どろくさく、ありのままに生きるくつの陶芸家。素朴にして、強さとやさしさを宿している。