【世界広布の(げん)(りゅう) 青年に語る創価の(たましい)】第3回 「原水爆禁止宣言」の発表65周年〈上〉

 

·〈出席者〉長谷川理事長、田島学生部長、先﨑女子学生部長、山下未来部長、山口女子未来部長

(かく)(へい)()(そん)(ざい)を許さない

第8回「原水爆禁止宣言 - 毎日が、始めの一歩!

1957年9月8日、横浜・三ツ沢の競技場で、「原水爆禁止宣言」を発表する戸田先生

 ◆山口 明8日は、1957年(昭和32年)に、戸田先生が「(げん)(すい)(ばく)(きん)()(せん)(げん)」を発表されてから65周年の()(せつ)です。
  
 ◇長谷川 日蓮仏法は生命(そん)(げん)(てつ)()であり、万人の幸福を志向しています。だからこそ、創価学会の社会的使命は「世界平和」と「(みん)(しゅう)の幸福」の実現にあります。
 日蓮大聖人は末法万年のために、妙法を()かれた。つまり、私たちの(しん)(こう)は、常に「今」のためにあります。
 戸田先生の原水爆禁止宣言もそうです。「今の私たち」のために、(かく)(へい)()は人類の(せい)(ぞん)(けん)()(おびや)かすものと断罪し、その全面禁止を求める宣言を発表されたのです。それは、(せい)(きょ)される7カ月前のことでした。
 私たち、なかんずく青年部の(みな)さんが、原水爆禁止宣言を過去の出来事として(とら)えてしまったならば、「()(くん)の第一」として発表された宣言の精神も、核兵器は“絶対悪”であるとして、その遺訓の実現に(しょう)(がい)(ささ)げてこられた池田先生の精神も、流れ(かよ)わなくなってしまう。
 恩師の宣言をいかに実現していくかを、(しん)(けん)に考え、行動を起こすことに、青年部の戦いがあります。

「核時代平和財団」のデイビッド・クリーガー会長と握手する池田先生(1997年9月14日、パシフィコ横浜で)。「原水爆禁止宣言」から40周年を記念する世界青年平和音楽祭の終了後、先生に「平和の大使」賞と「顕彰状」が授与された。先生は「『平和の大使』として戦い続けます。何ものも恐れず」と真情を語った

師から弟子へ平和(たく)()(しき)

 ◆山下 原水爆禁止宣言が発表された横浜での「若人(わこうど)の祭典」に、理事長は参加されていたと(うかが)いました。
  
 ◇長谷川 当時、私は高校生で、(せん)(ぱい)()れられて参加しました。()ずかしい限りですが、“感動した”という()(おく)しかなく、戸田先生の宣言が、どれほど大きな意義があり、歴史的な(しゅん)(かん)の場にいたのかということは、池田先生のご指導などを通して、後で知りました。
 学会の(つど)いにどんな意義があるのか、10代、20代の時には分からないことがほとんどです。しかし、後になって、だんだんと分かってくる。
 だから、先輩は未来部を、新たな人材を、大切に(はぐく)んでもらいたい。私も先輩が連れていってくれたからこそ、原水爆禁止宣言の発表の場にいることができた。そのことは今、自身の大きな歴史となっています。
 私は、あの日の恩師の宣言は、(こう)(けい)の青年の代表である池田先生へ(たく)されたものであったと思います。師弟の(しゅん)(げん)なる()(しき)です。
 小説『人間革命』第12巻「(りょう)(ふう)」の章に、「若人の祭典」の1カ月前、57年8月13日、(あさ)()(やま)(おに)(おし)()しでの語らいの場面が(えが)かれています。
 「何か聞きたいことはないかね」と(たず)ねる戸田先生に、山本伸一は「現代では、戦争などの人災の(ほう)が、はるかに大きな(きょう)()になってきているのではないかと思います。なかでも最大の脅威は、原水爆ではないでしょうか」と()べます。すると、戸田先生は「そうだ。そうなんだよ。私も、最近、この問題について、考え続けているんだよ」と答えます。
 原水爆に関して、師弟の思いが同じであることを示している印象深いシーンです。
 伸一は恩師の宣言を、「打ち(ふる)える思いで」聞きました。さらに、「この師の遺訓を、必ず果たさなければならないと、(みずか)らに言い聞かせた。そして、戸田の思想を、いかにして全世界に(しん)(とう)させていくかを、彼は、この時から、真剣に()(さく)し始めた」(小説『人間革命』第12巻「宣言」の章)のです。
 伸一は恩師の遺訓を、「ほかの(だれ)か」ではなく、「自分自身」に(あた)えられた、と(とら)えています。
 この責任感にこそ、師弟の精神は(みゃく)(どう)するのです。

戸田先生が“宣言”の草稿を記した手帳

学会の活動は“(みな)(そこ)の動き”

 ◆田島 戸田先生は核兵器の使用について、「使用したものは、ことごとく()(けい)にすべき」と宣言されています。『人間革命』第12巻「宣言」の章では、「死刑」という言葉をあえて使われた理由を、「生命の()(しょう)への『死刑(せん)(こく)』ともいえよう」と(しる)されています。
  
 ◇長谷川 世界のいずれの国であれ、核兵器を戦争の道具として使用しようとすることは、人間の生命に()()う「魔性」の働きにほかなりません。
 仏法では、その魔性の働きを「(がん)(ぽん)()(みょう)」と()きます。戸田先生は無明に()まった生命を、「(ほっ)(しょう)」「()(だい)」という(ぜん)の生命に転じていかねばならないという意味から、あえて「死刑にせよ」という言葉を使われたのだと思います。
 人間の生命には(ぜん)(あく)の両面があります。“悪の生命”を(こく)(ふく)し、“善の生命”を(かがや)かせていく――つまり、一人一人の(きょう)(ちゅう)に「平和の(とりで)」を築いていかなければなりません。
  
 ◆先﨑 先日、ニューヨークの国連本部で開かれていた核兵器()(かく)(さん)条約(NPT)(さい)(けん)(とう)会議は合意に(いた)らず、残念ながら、最終文書の(さい)(たく)はできませんでした。
  
 ◇長谷川 だからこそ、平和を願う民衆の声が、民衆の連帯が、重要度を()しているといえます。私たちは広宣流布の運動を、強く()(すす)めていくことを(ちか)い合いたいと思います。
 20世紀を代表する歴史学者のトインビー博士は、(きゅう)(きょく)(てき)に歴史をつくるのは、世間をにぎわすニュースや出来事ではなく、「(みな)(そこ)のゆるやかな動き」と()べています。
 学会活動は、平和を築く“水底の動き”――その確信を、青年・未来部の(みな)さんは持っていただきたいのです。
 学会は仏の()()の精神がみなぎる、(うるわ)しい人間主義の団体です。私たちは、創価の平和(てつ)(がく)を勇気(りん)(りん)と語り、友情と(しん)(らい)を広げていきたいと思います。
 池田先生は『新・人間革命』第30巻〈下〉「(せい)(がん)」の章で、次のようにつづられています。
 「あきらめてしまえば事態は何も開けない。平和とは、あきらめの心との(とう)(そう)である。戦争を行うのは人間である。ならば、人間の(ちから)でなくせぬ戦争はない」と。
 学会の人間革命の(じっ)(せん)は、平和構築への不断の(とう)(そう)でもあります。核兵器廃絶への道は(けん)()です。しかし、どれほど(こん)(なん)であろうと、断じてあきらめてはなりません。

長谷川理事長と語り合う、田島学生部長、先﨑女子学生部長、山下未来部長、山口女子未来部長(先月25日、学会本部別館で)

 ◆山口 理事長は、第2次世界大戦下、4歳で東京(だい)(くう)(しゅう)()われました。当時のご()(おく)をお聞かせください。
  
 ◇長谷川 あの時のことは、今でも(わす)れられません。3月10日、(しょう)()(だん)の雨でした。
 火の()の海の中を()()()(ちゅう)()げました。目の前に焼夷弾が落ちてきて、(きょう)()で立ちすくんで、逃げられなくなりました。しかし、そのおかげで助かった。逃げるはずだった場所に(ばく)(だん)が落ちたのです。
 (おさな)い頃の東京大空襲の()(おく)は、今でも焼き付いています。(げん)(ばく)()(がい)を受けた広島、長崎の(かた)(がた)の苦しみは、どれほど大きいか。
 戦争となれば、ミサイルなどによって、多くの人命が失われ、建物も()(かい)される。しかし、原爆の(おそ)ろしさ、(ざん)(こく)さは通常兵器の比ではありません。(いっ)(しゅん)にして無数の人が殺され、町が消える。まさに、()(ごく)です。
 ()(ばく)(しゃ)の中には、今なお(こう)()(しょう)などに苦しむ人がいます。「核兵器の(そん)(ざい)を、ましてやその使用など絶対に許してはならない」とは、私たち、師弟の(さけ)びです。
 平和を守るために、青年部の皆さんが立ち上がってほしい。生命の(そん)(げん)を叫び()いてもらいたいと強く願っています。

参照

 ◆小説『人間革命』=第12巻「涼風」「宣言」
 ◆小説『新・人間革命』=第30巻〈下〉「誓願」