〈新春トーク〉 大学駅伝部・榎木和貴監督×日本ハム・池田たかひで投手、田中正義投手2024年1月1日

  • 苦しくても一歩前へ! 今ふたたびの“創価せんぷう”を

 1月2、3日の箱根駅伝に出場する創価大学駅伝部の“新春こうれいかく”。2024年、えのかずたかかんとくと語り合うのは、プロ野球・北海道日本ハムファイターズで昨シーズンの勝ちパターンをになった、創大OB・同級生コンビの池田たかひで投手と田中せい投手です。ここまでのなんの道のり、ささえになったもの、一流に通じるてつがく……。「駅伝×野球」の楽しいトークの始まりです!

右から、創価大学駅伝部・榎木和貴監督、日本ハム・田中正義投手、池田隆英投手

右から、創価大学駅伝部・榎木和貴監督、日本ハム・田中正義投手、池田隆英投手

 〈榎木〉 私はプロ野球を見るのが大好きなんです。2年前はお二人のせんぱいで、ヤクルトの小川やすひろ投手とこのかくで語り合いました。
 ヤクルトもおうえんしていますが、これをきっかけに日本ハムのファンになります(笑)。
  
 〈池田〉 やっぱり今まではファンじゃなかったかー!(笑)
 〈かんとくは大の巨人ファン=編集部注〉
 ここ数年、駅伝部が全国で結果を残してきたのをずっと見ていました。いっしょに戦っているじゃないですけど、げきを受けましたし、創大OBとしてほこらしかったです。
  
 〈田中〉 実は実家が箱根駅伝のコースから近くて、毎年のように見にっているんです。“このスピードで20キロも走るの!?”っておどろいていました(笑)。
 初出場の時も感動しましたけど、5年連続で出場し続けるのは本当にすごいです。ぼくはようやく1年を通して1軍で投げられたので、その大変さが分かるつもりです。
  
 〈榎木〉 監督しゅうにん当初から選手たちは“箱根に行きたい”“結果を残したい”という思いを強く持っていました。その熱量に私の経験をかんげんして、それがうまく結果に結び付いたのだと思います。
 監督一人で暴走してもダメですし、常に選手と一緒に目標をかくにんしながら進んでいくことを心がけています。
  
 〈田中〉 指導者やささえてくれる人のそんざいは大きいですよね。
 昨年はソフトバンクからせきして、シーズンちゅうからクローザーをまかされました。九回という一番重圧のかかる場面で投げたんですけど、支えになったのは創大創立者の池田先生の言葉です。
 「『こわくない』のが勇者なのではない。ふるえながらでも『一歩前に出る人』が『勇気ある人』なのです」
 この言葉を常に自分に言い聞かせながら、投げるのがめちゃくちゃこわい時も、それでも一歩前に出て、ファンのかたや見てくれている人たちに何かを感じてほしいとうでりました。
  
 〈池田〉 自分も同じですね。「なんたから」という創立者のしんを大切にしていて、しんどい時こそ“ためされている”“成長するしかない”と思うようにしています。
 どんなにいい投球ができても、はっきり言って、毎回まったゆうがないです(苦笑)。でも“試されている”ととらえることで、えるちからが出てきます。
 かつやくすると喜んでくれる人がたくさんいることも、大きな支えになっています。

クローザーとして相手打線をねじ伏せる田中投手©H.N.F.

クローザーとして相手打線をねじ伏せる田中投手©H.N.F.

お前ならできる

 〈田中〉 プロ入りしてからは、とにかく苦しいことばかりでした。
 そくせんりょくと期待されて入団したのに、1年目はけがでシーズンをぼうりました。オフに“もうこれ以上できない”ってくらい練習して、2年目はかいまく1軍を勝ち取ったんです。
 でも、打たれに打たれて、すぐに2軍に落ちました。“こんなにやってもが立たないんだったら、もう無理だ”って、目の前が真っ暗になったんです。とんでもなく分厚い、高いかべを感じました。
 それでも周りが、ぼくのことをあきらめないでいてくれたんです。「お前ならできる」って言葉を、チームスタッフや両親がずっとかけ続けてくれて……。
 その人たちに喜んでもらいたい、安心してほしいという気持ちが、僕を野球にとどまらせてくれました。
  
 〈榎木〉 私が実業団に入った時も、箱根駅伝で4年連続区間賞ということで、ドラフト1位だった田中投手のように大きな期待をかけられていたんです。
 でも、なかなか結果を出せなくて、マラソンでは1度ゆうしょうしましたが、おもえがいたオリンピック出場といった夢はつかめませんでした。現役を終えたのは、今のお二人と同じ29歳の時です。
 空回りして期待にこたえられなかった、一番苦しい時代でしたね。ただ、そうした経験が指導者になってから、練習のやり方や選手への声のかけ方などに生かされています。
  
 〈池田〉 苦しいと“やっぱ無理だな”ってなります。でも後でかえった時に、たからの経験だと思えるんです。
 高校3年の時、みぎひざの前十字じんたいだんれつと半月板そんしょうという大けがをして、大学入学後の1年間は試合で投げられず、4年生まで公式戦で勝てませんでした。
 その中でも、創大野球部には「目標は日本一。目的は人材育成」というモットーがあって、そのおかげで“人間として成長しよう”と決意ができました。
 “ユーモアあふれる人になりたい”とも思えたし、くさらず諦めずに、当時も今も野球を続けられています。

池田投手は昨季、51試合に登板し安定感が光った©H.N.F.

池田投手は昨季、51試合に登板し安定感が光った©H.N.F.

「人間力」で勝つ

 〈榎木〉 池田投手、田中投手のように人間力ある選手が毎年、育ってくれたら指導者みょうきます(笑)。
 箱根を走って卒業できる選手は、わずかしかいません。だからこそ出場の有無を問わず、卒業後も“創大駅伝部で本当に良かった”と思える、人生の財産になるような指導ができれば、私としてはすごくやりがいがあります。
 陸上でも、長く成功している人は、やっぱり人間力が高いです。相手に対するづかいや自分の信念が、しっかりそなわっている。
 そうした人間教育とへいこうして、競技力の向上をはかっていけるように意識しています。
  
 〈田中〉 それは興味深いです。僕も「強く正しい人間でありたい」という人生の目標を持ち続けています。
 昨年は日本シリーズをテレビで見て、おおたいで投げたいという思いがより強くなりました。今シーズンはチームとして日本一、個人では、昨季の25セーブをえる35セーブを目指します!
  
 〈池田〉 目標は今年も変わらず、“ビッグボス”新庄かんとくどうげすることです。個人では、一試合一試合しっかりおさえて正義に回して、その積み重ねで昨年を上回る数字を残します!
 そして、いよいよ箱根駅伝ですね。
  
 〈榎木〉 はい。100回目の記念大会で「総合3位以上」という目標はブレずにいきます。
 戦略としては、往路ゆうしょうした3年前のように、じょばんから有力校をあわてさせる「めの走り」をして、ふたたび“創価せんぷう”を巻き起こします。おうえんよろしくお願いします!

●えのき・かずたか 1974年生まれ。宮崎県出身。中央大学を卒業後、実業団の旭化成に所属し、別府大分毎日マラソンで優勝した。トヨタ紡織陸上部監督などを歴任。2019年2月から創価大学駅伝部の監督を務め、21年の箱根駅伝で初の往路優勝・総合準優勝に導いた。

●いけだ・たかひで 1994年生まれ。佐賀県出身。東京・創価高校から創価大学を経て、2016年、ドラフト2位で東北楽天ゴールデンイーグルスに入団。21年、日本ハムに移籍。昨季は中継ぎとして、気迫あふれる投球でチームトップの51試合に登板。25ホールドをマークした。

●たなか・せいぎ 1994年生まれ。神奈川県出身。東京・創価高校、創価大学卒。2016年、ドラフト1位で福岡ソフトバンクホークスに入団。昨シーズン、日本ハムに移籍し、プロ初勝利をマーク。クローザーに定着し、球威あるストレートを武器に25セーブを挙げた。

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