〈ONE GOSHO この一節とともに!〉 男子部教学室編
新時代の“まさかが実現”へ、いざや前進!――いよいよの「勝負の時」に当たり、不可能を可能にする信心の要諦を学ぶ。
呵責謗法滅罪抄
壁破り新たな歴史を
御文
何なる世の乱れにも各各をば法華経・十羅刹・助け給へと湿れる木より火を出し乾ける土より水を儲けんが如く強盛に申すなり(御書1132ページ)
通解
いかなる世の乱れにも、あなた方を法華経や十羅刹女よ助け給え、と湿った木から火を出し、乾いた土から水を出すように強盛に祈っている。
背景
本抄は文永10年(1273年)、日蓮大聖人が流罪地の佐渡から、鎌倉の四条金吾に送られたお手紙であるとされてきたが、詳細は不明である。
ただ、その内容から、本抄を送られた門下が鎌倉の在住で、厳しい迫害にさらされていたことは間違いない。
この門下は亡き母の追善のために、大聖人に御供養を届けた。本抄は、その真心に対する御礼の手紙である。拝読御文は本抄の末尾の一節である。
解説
御文の冒頭で、「世の乱れ」と仰せの通り、日蓮大聖人が本抄を御執筆された当時、社会は騒然としていた。
文永9年(1272年)、幕府の実権を握る北条一族の内乱(二月騒動)が起こり、さらに、文永11年には蒙古が襲来。
大聖人が諸経典に基づいて幕府に警告されていた「自界叛逆難」(内乱)、「他国侵逼難」(他国からの侵略)が現実のものとなったのである。
大聖人と門下にも激しい迫害の嵐が及んでいた。
大聖人は文永8年(1271年)9月、「竜の口の法難」に遭われ、佐渡流罪に。門下らは追放や所領没収など、“1000人のうち、999人が退転した”といわれるほどの大弾圧にさらされていた。
大聖人は流罪地の佐渡にあって、直接、各地の門下を励ますことはできない。しかし、本抄で門下たちに限りなく心を寄せ、「法華経・十羅刹・助け給へ」と強盛に祈っていると仰せになられている。
「法華経」とは「御本尊」のことであり、「十羅刹」とは、法華経に登場する10人の羅刹女のこと。十羅刹女は、法華経の会座で、諸天善神として正法を持つ人を守る誓いを立てる。
“断じて弟子たちを守る!”と、強盛に祈念される大聖人御自身の姿勢を通し、諸天をも揺り動かす確信の祈りの重要性を教えられていると拝される。
その上で、唱題の姿勢について、“濡れた木から火を出し、カラカラに乾いた土から水を得るように祈る”ことを示されている。
“とても無理だ”と思うような厳しい状況で、そのまま諦めてしまえば、そこで全ての可能性は消えてしまう。
しかし、濡れた木を粘り強く全力でこすり合わせていけば、その熱で木が乾燥し、火がつくことがあるかもしれない。砂漠のような大地も、地中深く掘っていけば、水が出てくるかもしれない。
不可能を可能にしゆく祈りは、「不可能」と決め付ける自身の“弱い心”を打ち破ることから始まるのである。
小説『人間革命』第10巻「一念」の章には、1956年(昭和31年)1月、「大阪の戦い」に臨む関西の同志と共に本抄を拝した山本伸一の言葉が、次のようにつづられている。
「今、私たちの置かれた立場や、合理的な考えに慣れてしまった頭脳では、不可能と思うでしょう。
しかし、無量の力を御本尊は秘めていることを、日蓮大聖人は、明確に教えていらっしゃる。これを信じるか信じないかは、私たちの問題です。
大聖人の正統派の弟子として戦う以上、まず、強盛な祈りによって、不可能を可能とする実践が勇んで出てこなければなりません」
師弟不二の祈りと限界突破の戦いに徹し抜いた結果、関西の友は広布史に燦然と輝く大逆転劇を果たしたのだ。
“まさかが実現”の歴史的な戦いから65周年となる本年、私たちは創立100周年に向けた“勝負の10年”の初陣にあって、大一番を迎えている。
いかに困難な状況になろうとも、我々には不可能を可能にする信心がある。
無量無辺の力を引き出す強盛な祈りと、執念の対話拡大に挑み抜き、創立の月・11月を、師弟凱歌の歴史で断じて勝ち飾っていこう!