「在在[いたるところ]の諸仏の土に|常に師と俱に生ず」(法華経317㌻)と読み下す。 最初に法を説いて下種した師匠と、下種を受けて結縁した弟子は、あらゆる仏国土にあっていつも一緒に生まれるということ

「在在諸仏土 常与師倶生」の文を生命で読んだ戸田の「われ地涌の菩薩なり」との悟達こそが、学会の...

創価学会の確信の精髄は、戸田城聖の「獄中の悟達」にある。法華経に説かれた「在在諸仏土 常与師倶生」(在在の諸仏の土に常に師と倶に生ず)の文を生命で読んだ戸田の、「われ地涌の菩薩なり」との悟達こそが、学会の魂である。その戸田という師に連なる時、学会は広宣流布を使命とする「創価学会仏」たりえるのである。

 

世界一の生命哲学を学ぶ 連載84回(24)生死一大事血脈抄「師弟の宿縁」

本文(御書全集一三三八ページ一行目~二行目)
 過去の宿縁追い来(きた)つて今度日蓮が弟子と成り給(たま)うか・釈迦多宝こそ御存知候(そうろう)らめ、「在在諸仏土常与師倶生(ざいざいしょぶつどじょうよしくしょう)」よも虚事(そらごと)候(そうら)はじ

通解
 あなたは、過去の宿縁に運ばれて、今度、日蓮の弟子となられたのでしょうか。釈迦仏・多宝仏こそ、ご存じであると思われます。「いたるところの諸仏の国土に、常に師とともに生まれる(法華経化城喩品第七)」の経文は、決して嘘ではありません。

解説
 日蓮大聖人は、苦難の中で、どこまでも師を求め抜く最蓮房の求道の心を最大に讃え、「あなたは、過去の宿縁によって、今度、日蓮の弟子となられたのでしょうか」と、万感の励ましを送られます。そして、「この縁(えにし)の深さは、仏のみがご存じであると思われます」と述べられ、法華経化城喩品(けじょうゆほん)第七の「いたるところの諸仏の国土に、常に師とともに生まれる」との経文を挙げて、法華経を持(たも)つ師弟の宿縁が、いかに深いかを教えられます。
 この経文は、釈尊と声聞の弟子たちは、はるかな昔から釈尊を師匠として、さまざまな仏の国土に生まれては、共に菩薩の修行をしてきたことを表します。この説法によって、声聞の弟子たちは自分自身が、はるかな昔から菩薩行を重ねてきたことを思い出し、民衆救済の大いなる使命を自覚したのです。
 大聖人は、この経文の通り、師弟の絆(きずな)が三世の宿縁であることは間違いないと教えられています。過去世からの深い縁によって、今、師弟となった。そして未来永遠に、共に戦い続けるのだ――広宣流布の大願を貫く人生を歩ませたいとの師匠の慈愛に、最蓮房は、師弟共戦の誓いを、心に深く刻んだことでしょう。
 すべての人を幸福にするために戦い抜くという「広宣流布の大願」が、自らの本来の使命であることを思い起こさせてくれる師匠の存在ほど、ありがたいものはありません。師匠への報恩感謝の心で、師弟共戦の人生を歩んでいきましょう。

池田大作先生の指導から

 師弟は「三世(さんぜ)の宿縁」です。広宣流布に真剣に戦えば、その深いつながりを確かに感じとることができるのです。日蓮仏法の精髄である「戦う師弟の精神」を現代に蘇らせたのが創価の初代・二代・三代の会長です。創価学会が出現しなければ、法華経、そして日蓮仏法の師弟の魂は潰(つい)えていたと言っても決して過言ではありません。
(『生死一大事血脈抄講義』)

―参考―
 生死一大事血脈抄 第五章 一切衆生救済の大慈大悲を示す(下)

本文(御書全集一三三八㌻一行~一三三八㌻二行)
 過去の宿縁追い来(きた)つて今度日蓮が弟子と成り給(たま)うか・釈迦多宝こそ御存知候(そうろう)らめ、「在在諸仏土常与師倶生(ざいざいしょぶつどじょうよしくしょう)」よも虚事(そらごと)候(そうら)はじ。

通解
 過去の宿縁から今世で日蓮の弟子となられたのであろうか。釈迦多宝の二仏こそ御存知と思われる。化城喩品の「在在諸仏の土に、常に師と倶(とも)に生ぜん」の経文は、よもや虚事(そらごと)とは思われない。

語訳
在在諸仏土常与師俱生(ざいざいしょぶつどじょうよしくしょう)
 法華経化城喩品第七の文。「在在(いたるところ)の諸仏の土に 常に師と俱(とも)に生ず」(『妙法蓮華経並開結』三一七㌻ 創価学会刊)と読み下す。最初に法を説いて下種した師匠と、下種を受けて結縁した弟子は、あらゆる仏国土にあっていつも一緒に生まれるということ。

講義
 大聖人が佐渡流罪という大法難にあっておられるさなかに最蓮房が弟子になったということは、過去の宿縁による不思議な巡りあわせ以外にないと仰せられ、それは「釈迦多宝こそ御存知」すなわち仏しか分からないことであるといわれている。
「在在諸仏土常与師倶生」は法華経化城喩品第七の文である。「在在(ざいざい)諸仏の土に、常に師と倶(とも)に生ぜん」と読む。
 大通智勝仏の十六人の王子のそれぞれによって化導された衆生は、あらゆる十方の仏土に、常にそれぞれの師である十六王子とともに出生するという意である。
 末法今時では、師とはいうまでもなく御本仏日蓮大聖人であられる。したがって、弟子は必ず師のもとに生まれ、仏法を行ずるということから、最蓮房との不思議な巡りあわせは、まさしく経意そのままであり、ゆえに「よも虚事候はじ」と述べられているのである。
 大聖人滅後においては、御本尊が大聖人の御生命であるゆえに、三世にわたって御本尊を信受しきっていくことが、「在在諸仏土常与師倶生」の姿なのである。

出典『日蓮大聖人御書講義』第三十巻上(編著者 御書講義録刊行会 発行所 聖教新聞社)

 

 

師弟の広布旅は三世永遠

 

過去の宿縁追い来(きた)って今度(こんど)日蓮が弟子と成り給うか・釈迦多宝こそ御存知候(そうろう)らめ、「在在諸仏土常与師倶生(ざいざいしょぶつどじょうよしぐしょう)」よも虚事(そらごと)候(そうら)はじ

(生死一大事血脈抄、1338㌻)

 

〈通解〉 あなたは、過去の宿縁によって、今度、日蓮の弟子となられたのであろうか。釈迦・多宝の二仏こそ御存知であろう。「在在(いたるところ)の諸仏の土(ど)に 常に師と倶(とも)に生ず」(化城喩品)の経文は、決して嘘とは思われない。

 

~同志への指針~

 

仏法の師弟の絆は、三世永遠である。この絆は誰人(たれびと)も壊すことはできない。

常に、師と共に使命の天地に生まれ、元初の請願を果たしていくのだ。苦悩渦巻く娑婆世界を、常楽我浄の仏国土へと忍耐強く変革していくのだ。

いつも、心は一緒である。広宣流布のため、共に戦い、断固として勝つのだ。

 

-2011年4月2日付聖教新聞より-