〈きょうの発心〉道妙禅門御書 岐阜・飛騨池田県長 武田晃彦  2023年10月5日
 

御文
 「祈禱(きとう)に於いては顕祈顕応(けんきけんのう)・顕祈冥応(けんきみょうおう)・冥祈冥応(みょうきみょうおう)・冥祈顕応(みょうきけんのう)の祈禱有りと雖(いえど)も、只(ただ)肝要(かんよう)は此の経の信心を致(いた)し給い候はば、現当の所願満足(しょがんまんぞく)有(あ)る可(べ)く候     (道妙禅門御書、1242ページ)」
 

通解
 祈りと願いの現れ方には、顕祈顕応、顕祈冥応、冥祈冥応、冥祈顕応の四種があるが、ただ肝心なことは、この法華経の信心をされるならば、現在および未来の願いは満たされるであろう。
 

深き祈りで自身の境涯革命を
 御本尊への信を貫く強い祈りにより、現在から未来にわたる所願満足の人生を確立できるとの御文です。


 名古屋市北区に住んでいた20代の頃、仕事で挫折し、悶々とした日々を送っていました。男子部の先輩が、この御文を拝し、“祈り続けていけば、必ず願いはかなうよ”と励ましてくれました。その言葉に奮起し、唱題根本に境涯革命に挑戦。仕事と学会活動に走り抜きました。
 やがて、使命の仕事に巡り合い、16年前には故郷の岐阜・高山で会社を起こしました。現在、多くのお客さまと縁しながら、地域のために働けることは、夢のようです。祈りの力を確信しています。
 同志と「信心して本当に楽しい」との喜びを分かち合いながら、励ましの対話を広げていきます。

 

「顕祈顕応」とは、何か物事に直面したとき、真剣に祈り、それに応じて直ちに解決の方途が開け、願いが叶っていくことである。
「顕祈冥応」とは、祈りに応じた具体的結果は、直ちに顕れないが、その功徳が生命に積み重ねられていくことである。
「冥祈冥応」とは、たゆまざる唱題の功徳によって、自然のうちに生命が浄化され、豊かになり、所願満足の道へと入っていくことである。 

「冥祈顕応」とは、常日ごろの唱題の功徳がいざという時、厳然と顕れてくることである。 大聖人はこの四種の「祈り」がある