〈英知の(こう)(げん) 希望の(てつ)()に学ぶ〉

テーマ:()(しゅ)仏法

 (れん)(さい)「英知の(こう)(げん) 希望の(てつ)()に学ぶ」では、仏法理解を深めるための(かぎ)となる教学用語や法理を解説。また、関連する池田先生の指導を(けい)(さい)します。今回は「()(しゅ)仏法」について。創価の仏法対話の意義を考えます。
 

池田先生の指導から

 たとえば、目の前に、絶望に打ちひしがれている人がいるとする。
 「断じて負けてはならない。あきらめてはならない」――(こん)(しん)(はげ)ましによって、希望に目覚めさせ、勇気を(ふる)()たせて、力強く立ち上がらせる。学会には、この無数の(とうと)き共戦の姿(すがた)、そして勝利の姿がある。現実に息づいた、人間主義の姿がある。(中略)
 南無妙法蓮華経の「()(しゅ)」とは、いわば究極の励ましです。人々の生命の底に(ねむ)っている勇気の力、希望の力を引き出し、目覚めさせるのです。限りない人間の底力を奮い立たせるのです。その限りない底力こそ「(ぶっ)(しょう)」にほかならない。
 無限の勇気、無限の希望、無限の()()(げん)(せん)である(そん)(ごく)の仏性を(たも)つがゆえに、人間は尊い。また、その仏性を現実に勇気として現し、希望として現し、そして智慧として現して、正義と幸福の道を堂々と歩みきっていってこそ、人間の(そん)(げん)(かがや)かせていくことができる。これが仏法の人間主義です。(『池田大作全集』第33巻所収、「御書の世界〈下〉」)
 
 

Q1:私たち創価学会員が(じっ)(せん)する仏法対話の意義とは?

 妙法に(えん)させて、人々の心に成仏の種子((ぶっ)(しゅ))を植えること――すなわち「()(しゅ)」の(じっ)(せん)です。
 中国の天台大師は法華経に(もと)づいて、仏が(しゅ)(じょう)を成仏へと導く(()(どう)する)過程を、植物の種まき・育成・(しゅう)(かく)に例えて「下種・調(じょう)(じゅく)(とく)(だつ)」の三つの(だん)(かい)があるとしました。
 「下種」とは「種を()ろす」ことであり、人々に成仏の因となる妙法を初めて教えることです。「調熟」とは、仏の化導によって、人々の仏法を理解する力(()(こん))が次第に増していくことを、生育した種が(じゅく)していくことに例えたもの。「得脱」とは、最終的に成仏を()げさせることです。仏が衆生を化導するそれぞれの()(やく)を、「()(しゅ)(やく)(じゅく)(やく)(だっ)(ちゃく)」といいます。
 そもそも、(しゃく)(そん)が説いた(ぼう)(だい)(しょ)(きょう)(てん)には「(ぶっ)(しゅ)」が明示されていません。(ゆい)(いつ)、法華経の本門寿(じゅ)(りょう)(ほん)で、釈尊自身が(ぼん)()であった時に「()(さつ)(どう)(じっ)(せん)したこと」によって成仏することができたと示しているだけです。つまり、これらの教えでは「熟・脱」の利益にとどまるため、機根が整っていない(まっ)(ぽう)の衆生は成仏できません。
 日蓮大聖人は「(しゅ)(じゅく)(だつ)(ほう)(もん)、法華経の(かん)(じん)なり。(さん)()(じっ)(ぽう)の仏は、必ず妙法蓮華経の五字を(たね)として仏に()(たま)えり」(新1458・全1072)と(おお)せになり、「南無妙法蓮華経」こそ、法華経の(かん)(じん)である成仏の根本法であり、仏種であると明かされました。ゆえに、末法のいかなる衆生にも直ちに仏種を植え、万人を成仏へと導いていける大聖人仏法を「下種仏法」といいます。
 
 

Q2:「下種」によってこそ末法の(しゅ)(じょう)を救えるのですね。

 「種を下ろす」といっても、仏性はもともと万人に(そな)わっています。しかし、御書に「(ぶっ)(しゅ)(えん)より()こる」(新1953・全1467)とある通り、(ぶっ)(かい)の真実を説き示す妙法に縁しなければ、仏性が働き始めることはありません。
 大聖人は「仏になる法華経を耳にふれぬれば、これを種として必ず仏になるなり」(新697・全552)と仰せです。仏法対話によって、相手の“(しん)(でん)”に成仏のための種を植える「下種」の実践が、相手の仏性を発動させる一切の出発点となります。
 この「下種」には、相手に法を聞かせる「(もん)(ぽう)下種」と、仏法の実践を決意させる「(ほっ)(しん)下種」の二つがあります。
 戸田先生は「初めて会って(しゃく)(ぶく)した。けれど信心しなかった。これは聞法下種である。ところが、次の人が行って折伏し、御本尊様をいただかせた。これは発心下種である。どちらも下種には変わりはない。()(どく)は同じである」と語りました。
 大聖人が「(いっ)()をも人にかたらん人は(にょ)(らい)の使いと見えたり」(新1721・全1448)と仰せのように、妙法を一言でも語り広げていく人は(だれ)であれ「仏の使い」であり、()(きょう)(みの)る、実らないを問わず、無量の(ふく)(とく)があることは()(ちが)いありません。
 そして、御書には「春夏、田を作るに、(わせ)(おくて)あれども、一年の中には必ずこれを(おさ)む」(新363・全416)とあります。
 田に植えられた(いね)の成長に早い(おそ)いの(ちが)いはあっても、必ず実を結んで(しゅう)(かく)できるように、(だれ)しも妙法に縁することで、発心の時期は(こと)なっても、いつか必ず成仏という(さち)の大輪を()かせることができるのです。
 
 

Q3:(えん)する人々の幸福を祈り妙法を語っていきます。

 「()(もん)(ぶつ)(じょう)()」には「(ぼん)(のう)(ごう)()との(さん)(どう)、その(とう)(たい)()さえて(ほっ)(しん)(はん)(にゃ)()(だつ)(しょう)する」「法華経に()って三道(そく)(さん)(とく)となるなり」(新1326・全983)とあります。煩悩・業・苦という「三道」に(まよ)う末法の衆生の生命に、そのまま、仏の法身・般若・解脱という「三徳」を(ひら)いていける、下種仏法の()(だい)()(りき)を教えられています。
 いかなる迷いの生命も、成仏の(こん)(ぽん)(いん)へと(てん)(かん)していけるのが妙法です。()(あい)(そう)(ぞう)(げん)(せん)に、逆境を前進へのバネに――日蓮仏法は、価値創造の(ほん)(げん)の力といえるでしょう。
 末法(じょく)()での(みん)(しゅう)(きゅう)(さい)(いど)まれた大聖人は、衆生の一人一人に内在する仏性の開発を(うなが)すことで、時代そのものを(へん)(かく)していける道を開かれました。その意義は、現代においてこそ、ますます(かがや)きを放っています。
 (ふん)(そう)(かん)(きょう)問題、(けい)(ざい)()(きょう)。未来への不安は、転じて、“人間そのもの”に対する根本的な不信を助長しているのではないでしょうか。ゆえに、万人に無限の可能性が(そな)わることを示す日蓮仏法の生命(てつ)(がく)が、これほど希求されている時はありません。
 人間自身の希望の変革が、時代・世界をも変えていく。これが、大聖人の「下種仏法」の(よう)(てい)です。
 私たちが目の前の友に妙法を語り、(はげ)ましていく「下種」の実践によって、広宣流布の水かさが増します。妙法の力が世界に広がることで、全人類の仏性が(しょく)(はつ)され、時代変革の(だい)(ちょう)(りゅう)が生まれるのです。